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BMWをタダで借りる。

わたしには、タダでBMWを貸してくれるおじいちゃんが居ます。
親戚でもなんでもない、知り合いのおじいちゃんです。

この冬、たびたび借りては、妙高や八ヶ岳、白川郷に伊豆など、色んなところへ行きました。


▽ドイツ人とBMW


「タダほど高いものはない」という、言葉があります。
いやはや、おおかたその通りだと思います。

人は、いいよいいよと言いつつ、全てが全ていいというわけではない。
そこに、わたしは淡い線をひいています。

だから、こちらがそのあたりをわきまえる。

言葉だけでは分かりにくい世界があるため、お世話になるということは、むずかしい面があると思っています。

たとえば、お世話になる方に持っていく手土産。
あれは純粋なお礼の気持ちに加え、いざお世話になろうとする自分自身を守るための行為なのではないか・・・?
そう、錯覚したことがあります。

むかし、良くしてもらい過ぎて辛くなるという、摩訶不思議な体験をしたこともありました。

とあるご夫婦のお家に住み込みをさせてもらった時のこと。
わたしの実家は、洗濯物を干したりたたんだりということは自分でやるというルール。
ですので、小学生になった頃から、人に自分の洗濯物を世話してもらったことがありません。

しかし、そのご夫婦のお家では、干すのもたたむのも奥さんがやってくれた。
それが3日くらいならばいいのだけれど、2週間もの間してくれて、辛かったナという思い出です。
(途中、自分でやりますとお伝えしたけれど、いいのいいのと断られてしまった)

でも、だからといって金輪際、人のお世話にならないということはできないままでいます。

ひとりでなんでもできちゃったら、さびしいしネ。(そもそも、ひとりで全てできないしネ)

と、言い訳をしながら、今日も、自分のものでもないBMWを運転し、手土産を持って、これからお世話になるところへと向かう。

しかしわたしも、BMWは柄ではないけれど、軽トラをタダで貸すばあちゃんくらいにはなりたいなあと思いはじめています。

おやおや、これは。

BMWを借りるたびに、自分が受けた恩を若者に返していく運命に向かっていっているのかもしれません。

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