二度目の帰省 2
12月29日。朝から特にやることも無かったから、運転の練習ついでに母の買い物に付き合った。緑のラパンは小さくて、慣れない駐車もやりやすい。
お節料理の材料を買いたいからと、ニュータウンのグラシアスではなくて、国道沿いのじょいふるさんへ向かった。車もまばらだったグラシアスに比べて、ジョイフルサンの大きな駐車場はほぼ満車。年末年始の買い出しに店内は活気付いていた。
東京へ出て9ヶ月が経った。一人暮らしの部屋では滅多に魚を食べることがないから、ジョイフルサンの鮮魚コーナーに並ぶキラキラ光る魚たちに目移りしてしまう。何度か参加したサークルの飲み会で行った居酒屋の刺身に、心底がっかりしたことを母に話すと、「そうやろう、そうやろう」と得意げだった。
小さい頃から刺身が好きで、祖母からはよく「じいちゃんによう似とる」と言われていた。叔父さんが釣って持ってきてくれる魚は本当に美味しくて、僕は今でもマグロやサーモンより、ブリやアジの方が好きだ。
母は奮発して刺身をたくさん買ってくれた。海老、黒豆、栗きんとん、竜眼、なます。それからうちではなぜか正月にカニの爪を食べるのが習慣だった。どこの家でもやるものだと思っていたから、それほど一般的でもないことを知った時は驚いた。
家に戻って、母が用意してくれた昼食の焼きそばを食べ終えると、また手持ち無沙汰だ。母にことわって車を借りて、もう少し運転の練習をしてみることにした。車が多くて道も狭い市内を走る自信は無かったから、国道を北へ。少し離れたコンビニまで行ってみることにした。
浮き足立つ気持ちをおさえながら、東京の暮らしのことを考えた。自転車で大学へ行って、学食でご飯を食べて、七畳の部屋へ帰って、テレビを見て寝る。ほとんどがその繰り返しだ。東京にはひとりぼっちの頼りなさがある。そしてこの町には、あらゆる物がある。美味しいお刺身、広い実家、車。東京の七畳の部屋で、一体何をしにここへ来たんだろうとわからなくなることがある。たとえば3限で終わる木曜日。毎週何をしようかと一緒考えるけど、結局ほとんどはそのまま部屋に帰って、16時台の面白くもないテレビを見る。
自分がまるで別人になってしまったかのように、東京ではうまくいかないことばかりだった。はじめの頃はバレーボールのサークルにもよく顔を出したけれど、地元が東京の遊び慣れた連中を前にしているとだんだんと自分が惨めに思えてきて、先月はとうとう一度も行かなかった、
車の後部座席で何度も走った道を、我が物顔でハンドルを握って走る。急に大人になったように感じる。15分ほど車を走らせて、コンビニへ。缶コーヒーを飲んで、シートを倒して横になった。1週間後には、また東京へ戻る。それを考えるだけで少し憂鬱になる。