風土記 1
鳴海ニュータウンが属する琴海町は、西彼杵半島の東部に位置する。町の西部、北に伸びる半島の背骨にあたる部分には標高561mの長浦岳や飯盛山などが連なり、町全体が東向きのなだらかな斜面となっている。斜面に広がるのは、照葉樹林やスギ林や、半島全域で広く栽培されているミカン畑だ。
海岸は大村湾に面し、リアス式海岸で複雑に入り組んでいる。大村湾は開口部が非常に小さいため、湾全体で波が穏やかだ。町の北部には尾戸半島が南に伸びており、半島に挟まれた形上湾は、さらに波が穏やかで、このあたりが琴の海と呼ばれる所以となっている。
町の南部に鳴海ニュータウンが造成されたのは、1960年代にさかのぼる。ならだかな起伏のある表情豊かな地形を生かして、バブル景気に沸く1980年代には海岸の半島部に相次いで3つのゴルフ場も作られた。
海岸沿いにはわずかながら平地もあり、田やブドウ畑、ビニールハウスなども点在し、この平地を南北に走る国道206号は、半島の大動脈だ。長崎から佐世保、松浦方面へと抜ける道は諫早、大村のある東彼杵側の高速道路を使うのが主流ではあるけれど、西彼杵半島を北上し海橋を渡るルートも、もう一つの物流ルートとして利用されている。だから206号線沿いのコンビニの中には、大型トラックが駐車できる広い駐車場を備えている店もある。
ベッドタウンとしての開発は鳴海ニュータウンが造成された60年代以降も続き、206号線を少し南に下ると、大型のスーパーやショッピングモールなども見られる。ちょうど鳴海ニュータウンを境にして、その来たが古い町、南が新しい町、といった様相だ。
鳴海ニュータウンの特徴はそういった、地理的にも歴史的にも、狭間にあるということに他ならないのではないだろうか。海の上に突き出した岬の上に戸建てが整然と並ぶ鳴海ニュータウンには、風土に触れて生業と為す田舎的な暮らしは無くて、商業施設が近接する時津の真新しいマンションに暮らすような便利さも無い。
生活地でありながら、さながら伊豆高原の別荘地のように、歴史からポツンと、取り残されているようにも見える。
自然、人口は80年代を過ぎると減少に転じ、今では造営時の計画人口の、約半分の人口となっている。
高度経済成長期を終えて、新しい時代へと進む日本。そんな時代が描いた絵図は、人工的なユートピア。計画の中で、人の野生はどこかで忘れられている。だからそこに、人と町の、軋轢が生まれる。そして軋轢のあるところには、それを超克しようとする物語がある。
鳴海ニュータウンに僕が強く惹かれるのは、自分が生まれ育った土地という以上に、そういう理由があるのだと思う。