ep14 子の重み

人にはそれぞれ役割がある。社長の言うことはもっともだし、いつもしたり顔をしているなりの実績をあげて来た人ではある。でも、人は一人では何もできない。荒野で自給自足をする野人であっても、彼が日々斧を研ぎ、弓に矢をつがえるのは先人の知恵あってこそではないだろうか。

板倉は皿を洗いながら自問していた。俺の価値はなんだ? どうして1つ2つ、ミスをしたからといって、無価値なやつだとため息をつかれる筋合いがあろうか。社長、あんた一人で仕事ができるのか。全員が経営者と同じ視座を持つ集団が仮に実現できたとして、その集団は果たして組織としてよいものを社会にもたらすことができるだろうか? 世の中には必要なんじゃないか? 自分のような善良で矮小で、呑気で自堕落な人間が。いつの時代もそういう人間こそが、社長のような人間のアイデアや野望を現実のものとして形作っていくのだ。

スポンジに泡を足して、油ものの皿にとりかかった。対面型のキッチンからはリビングのソファに座る妻の後ろ姿がよく見える。目線を下に向けて、授乳中の息子に何か話しかけているらしい。

一方で板倉は、そんな自分の思想が単なる強がりのようなものだということもどこかで理解している。ルサンチマン。酸っぱい葡萄。だからこそ余計に腹が立つのだ。

家事はいい。思い通りにならないことが少ない。シンクは磨けばピカピカに光るし、ネギや玉ねぎや豚こまは、鍋を振れば板倉の思い通りに楽しそうに踊る。

皿洗いを終えてソファに座ると、妻の憔悴した顔が見えた。なんとなく微笑んではいるけれど、かなりストレスが溜まってきているようだ。40近くになって初めて授かった我が子は愛おしくもあり、またわけのわからない子とだらけの暮らしに頭と体を悩ませる種でもある。

南西向きの窓から午後の陽が差し込んで、乳児の足を照らす。透き通るように白い。まだ授乳を終えたばかりで、まだらに紅葉している。小さな小さな足の指が、自分と同じ形をしている神秘に見惚れる。

子のことについても、社長は知ったような顔をする。俺は自動の発達には詳しいんだと。暗に「お前の子育てはなってない」と言われているような気がして、社長がそんな話をするたびに板倉は胸の下のあたりがムカムカしてくるのだった。そしてそれもまた自分の自信の無さの現れだということを知っているからこそ、板倉はまた情けなく小さく、日常に閉じこもるのだった。

疲れている妻をみかねて、板倉はまだ眠らない子を抱き上げた。子守唄を歌うと一度ウトウトと目を閉じたけれど、じっと見つめているとすぐに覚醒した。

足踏みをしてみたり。背中をとんとんと強く叩いてみたり。ウトウトしては、また目を覚ます。そんなことを繰り返しているうちに板倉は腕と手首に疲れを感じた。ここ数年、まともに運動もしていなかった。5kgを超える子を抱っこしてあげられる時間も短い。若い親なら違うのだろうか。

板倉は子を抱いたまま北側の寝室へ向かった。枕を重ねて高くして、胸の上に仰向けに子を乗せた。それでしばらくまたトントンと胸を叩いてあげていると、子の手足から力が抜けてきたことがわかった。胸の上の子の姿勢をなるべく動かさないように、リクガメのようにゆっくりと首を伸ばして顔をのぞきこむと、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。薄暗い寝室。まだ短いまつげも、上から眺める形になるとよく見える。頬を親指で撫でる。新生児の頃の少しざらついた肌は、今はもうすっかり柔らかく、作りたての大福のようだ。

板倉も目を閉じて、胸の上の子の重みを感じる。温かい。自分と似た顔をしている小さな生き物。夜中に起きて、おむつを替えて、泣いたら慌ててミルクを作って。そういった子育ての諸相を体験したことが無い者が何を言ったって、自分には関係ない。板倉は心の奥の安心できる部分で、静かにそう思った。

社長は結婚もしておらず、子供もいない。彼はそんな人生を選べなかった。そして俺も同じように、彼のような人生を選べなかった。ただそれだけのことだ。

子の重みが、哲学的虚無の浮力に浮き上がってしまいそうな板倉を生活の層に押し止めている。

これでいい。誰がなんと言ったって、俺は今精一杯やっている。子が胸の上で安心して眠る時間を、全身全霊で作っている。このしごとは他の誰にも、社長にだってゆずれない仕事だ。

板倉は両手でそっと子を持ち上げて、自分の体の脇へそのまま仰向けに寝かせた。ひっ、と一度大きく息を吸った子は、また穏やかな寝息を立て始めた。ひらきかけたまぶたはまた閉じて、バンザイの形をした小さな手が布団なそっと沈んでいく。

当人は気づいていないけれど、その時板倉の五感がはすべて、二の腕の毛穴まで、その動きを感じ取ろうとしていた。草むらでじっと息をひそめる、高貴な野生の猫のように。

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