雨・・・嫌われて 愛されて
人はなんにでもジャッジする。
ほんとに 自分都合だな・・・。
雨がそう言ってるかどうかは知らないが。
そう思っているかもしれないが
私は そんなことを思った...。
ぴょこんと タイムラインに上がってきたのは
たまごまる氏の記事だった。
私あんまり 公式の企画ものにあまり乗っかってこなかった。
私の視界に入ってこないことが多いからだ
スマホでnoteをしていると 世界は小さくなってくなと思う
フォローしている人の記事しか目にしない。
パソコンからだと世界は違うのかもしれない。
最近 何かのせいにすることについての記事を
目にしたり書いたりする ことが増えた。
占いやセラピスト系のことをやっているときにも
話す機会が増えた。
そんなタイミングで 雨が好きだった理由を見て
「 雨よ すまないな・・・ ただお前は降ってるだけなのに 隠れ蓑にしたり バリアにしたり 楽しんだり 楽しめなくしたり すまんな・・・。」
っておもったのだ。
私も雨のせいにして 雨のおかげで よかったこと悪かったこと
いっぱいあってさ・・・。だから グイっと引っ張り出されてくる
人の記事の中の言葉たちが 教えてくれる 自分の中に埋もれたいろいろなできごとや 感情のかけら・・・。
ただ傘さすのは面倒だから 雨私が外にいるときは降らないでくれ!って
思う。
雨がやなんじゃなく 傘が嫌なんじゃなく 傘をさすのが嫌なのだ
こんなことを書いている 瞬間も 家の外から
雨の音が聞こえてくる。
ザーッという かなりの降りっぷりの雨の音が
いつもなら 近所から聞こえてくる話声
雨が降れば そんな声もほとんど聞こえない。
飛行機が飛んでいく音すら 聞こえはしない。
この時間を楽しむ 雨だからこそ いつもの音の中ではない
別の音の世界に包まれて
雨だからこその薄暗さの中を楽しめるのかもしれない。
雨だから 天窓を見つめる。
水の流れる様子を見て 時間の流れをただ見ている。
その流れは 二度と同じ形にはならなくて
雨の日しか見れない そこがいいと思うんだ
この一瞬が 常に新しい それはこんな一場面からも感じられる
そんな小さな出来事を 目で見て感じられる
それは雨ならではのことだよね
雨だからこその時間って他にもたくさんある気がする
スピが好きな人にしてみれば 雨は浄化だし
植物にとっては 雨はめぐみで・・・。
雨があるから 梅雨のこの時期だからこそ
雨を考える 雨をどんだけ楽しんでやろうか!ってチャレンジできる
私という人間が どう雨と対戦するのか?
「どうしてやろうか、どうしてやろうか・・・」
『どう楽しんでやろうか!』ってそういう姿勢になることが
もう 「雨を楽しんでいる」ということなんじゃないだろうか
雨についてみんなが 何か言葉を紡ぐ。
ただそれだけで すでに 雨が雨としてぞんざいする価値は
未知数な気がする・・・・。
面白い企画&きっかけをくれたたまごまる氏の記事に感謝である。
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