子供の頃の過酷貯金で いい人生など選べない
子供の頃の辛い記憶
辛い経験を無かったことにして
生きていく
それって自分の持つポテンシャルを無駄にしてるんじゃないだろうか?
子供の頃の経験に色をつけて
辛い経験に仕立て上げてるのは誰だろう?
これって臓器の基本機能なんじゃないかな
臓器は真っ当に仕事してるだけ…。
そこで沸き起こった
恨みや憎しみの対象を絞って
持って生きていく人は
未来の可能性を放棄しているのかもしれない。
そのエネルギーを未来に向かって使える人は
きっとどんどん進化するんだろう…。
ゆっくり癒せばいいよって言うセラピストは
最初のリハビリの頑張り方で 早く
歩けるようになる患者に
リハビリを十分に頑張らせず退院させるのとおんなじ
歩きたかったら 自分で家でリハビリがんばればいいんじゃない?って放任するようなもの
辛くても サポートをする人がいてできる環境
を有効に使ってその後 一人でもリハビリ続けて歩けるようになる人に
サポートできる間は しっかり頑張らんでいいよって言ってるようなもの。
一人で もっと しんどいリハビリを するしかないそんな状況をどこかで知ってて
今は 頑張らんでいいんちゃいます?って言うような人なのかもしれない。
過酷な経験でスタックする
それは当たり前のこと
変わりたくないって当たり前
でも 全てが変わってる中で
変わらないを選択することほど
本当は努力が必要
変わり続けているってことをちゃんと認知して
自分の行動や 感じ方を見つめないと
いつまでも 昔の功績にしがみつく じーさんみたいになる…
昔 どんなにお金持ちでも
今 貧しかったら お金持ちのようには振る舞えないのと一緒で
昔どんなに不幸でも
今不幸ぶる必要はないし
昔お金持ちだったとしても
今 なければ 何にもできはしない
昔の栄光にすがる人のことは よく意見を聞くけれど
昔の辛かった過去にすがる人もいると知った
過去のしんどさを盾にとって
今の自分はすごいんだなんて思ってるのも
栄光にしがみついている 人と変わりはしないんじゃないだろうか?
栄光にすがるより よっぽどたちが悪いかもしれない・・・。