「丁寧な暮らし」ってなんぞやと、松浦弥太郎を読む

ナチュラリスト系の記事を読むと近頃非常によく出てくる松浦弥太郎さんという名前。
一度はちゃんと著作を読んでみたいなと思い、
長めの移動の一日、つい2冊買ってしまいました。

そして

期待して読みはじめた。
こだわりの丁寧な生活。
シャツはいつも白いオックスフォード
ネイビーのジャケット
上質なパンツや靴、リネンで揃えるハンカチ。
読めば読む程憧れる丁寧なくらし。
そして、お金を友だちと例えて、お金と仲良く出来るつき合い方を提案する、
お金じゃなく「お金さん」と読んで仲良くしようなんていう
なんというかナチュラル自己啓発な内容。

でも、読み進めるうちにじわじわと違和感が迫ってくる。
高くて質のよいものと丁寧につき合う、非の打ち所のない正論が
なんだかハナについてくる。
なんなんだろうこの違和感。

読み進めて思ったのは、これはあくまで都会の、とくに東京の
サラリーマンに向けたスタイリッシュさこそが彼がいう
『丁寧な暮らし』なのだということ。
土に触り、旅をし、自営業で時に大きなリスクを負いながら
自分のやりたいことに泥臭く立ち向かう人たちにとって、
これはほんとうに「丁寧な暮らし」なのだろうか?

なんだか資本主義的というか、安寧な保守主義というか…

もちろん「靴はハンドメイドを直して長く履く」
とか、「トラディショナルには価値がある」とか大共感できる事もたくさんあるのだけど、
私はこういう「丁寧」ではない丁寧さや美しさを極めたいな、
と思ってしまった。
もっとダサく、もっと直感的に、もっと貪欲に生きたい。

いや、「お金さん」とはすごく仲良くなりたいですけどね。

(2015年11月3日ブックレビュー再掲)

※昔の私のレビューはだいたい言葉がきつい(笑)んですが、私、多分読んでもきっと同じように思う。
今はハンドメイドの靴を直して長く履いているけど、それはスタイリッシュな生き方ではなくてただただ出会いあってのことで、日々の生活はやっぱり泥臭くて、「お金さん」なんて呼べないからちっともお金と仲良くならない。
でも、私、それなりに丁寧に暮らしている気がする、今は。