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【ブックレビュー】自分でできる子に育つほめ方叱り方

どうもしろやぎ保育書房です
(今回の動画解説はこちら)

今回レビューするのはこちら

「自分でできる子に育つほめ方叱り方」島村華子著です

自分でできる子に育つほめ方叱り方(Amazon)

①はじめに

大人気のこの本。ご存知の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

中田敦彦のYoutube大学で紹介され、脅威の125万回再生!

フジテレビの情報番組ノンストップでも紹介された大人気の子育て本です。

「モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽くした

オックスフォード児童 発達学 博士が語る」と言った、謳い文句もくすぐられるものがありますね

ちまたでは「子育てを助ける最新バイブルだ」とも言われているようです。

皆さんの中にも子どもへのほめ方、叱り方で悩んだことがある方がいるかもしれません。

そんな方にも、ぜひ一度手に取っていただければと思います。

こちらの本には、子どもへのほめ方や叱り方の「ヒント」がたくさん掲載されています。

ほめ方、叱り方の「正解だ」とは言いません。

あえて、「ヒントだ」と言わせてください。


本書には、具体的なほめ方叱り方がたくさん載っています。また、的外れなことを言っている訳でもありません。

しかし、しろやぎ的には「これが答えだ」とは感じなかったんですね。あくまで「ヒントだなー」と。

えー、その理由については、このブックレビューを通して、お伝えしていきたいと思います


②本書の概要

本書における著者、島村さんの主張はこうです。

日本人に多いとされる自己肯定感の低い子どもは(中略)、ほめ不足が原因でなく、非効率なほめ方や叱り方が原因

島村華子(2020)『自分でできる子に育つほめ方叱り方』4ページ,Discover

つまり、

ほめられる回数が少ないから、自己肯定感が低い子が育つのではなく、

ほめ方や叱り方が悪いから、自己肯定感が低い子が育ってしまうのではないか。ということです。

そしてその非効率な褒め方、叱り方の例として、

「条件付きの接し方」を上げています。

これは、なになにをしたら褒める。なになにができたからご褒美をあげるといった行為です。そして、できなかったら叱る。

心理学者の鯨岡峻さんも、近年の子育ての問題として「条件付きの愛」を挙げています。

〇〇したら愛してあげる」というかたちで、子どもに本来向けるべき無条件の愛を自分のいくことを聞いた時にだけあたえる条件付きの愛に置き換え、それによって子どもを操作するようになった

鯨岡峻(2015)『保育の場で子どもの心をどのように育むのか』9ページ,ミネルヴァ書房

さらに、

条件付きの愛に振り回され、心が充実しない子ども、自己肯定感が立ち上がってこない子ども、それゆえに幸せを感じられない子どもが増えてきている」

鯨岡峻(2015)『保育の場で子どもの心をどのように育むのか』10ページ,ミネルヴァ書房

そう警笛を鳴らします。

島村さんは、条件付きの接し方でほめたり、叱ったりすると、「条件付きの自己肯定感しか持てなくなる」と言います。

それはつまり「ほめられるから、自分には価値がある」こう言った自己肯定感。

言い換えると、「ほめられないと、自分には価値がない」と考えているのと同じことです。

自分自身の価値を誰かの評価に頼ってしまう。

このような価値観で育つと、それ以後の人生、なかなか苦労しそうですね。

では、どう言った褒め方、叱り方がいいのか。

本書に掲載されているポイントを、駆け足で紹介していきましょう。

③本書のポイント

褒め方のポイントは3つ

褒め方のポイントその①ほめるのは成果ではなく、プロセス

これは、例えば「縄跳びが上手だね」と言って「できたこと」を褒めるのではなく、「いっぱい頑張ったね。縄の持ち方をいろいろ工夫してたもんね」と取り組みの過程における努力や工夫に目を向けて褒めることです。

褒め方のポイントその②抽象的でなく具体的に褒める

これは、「縄跳びできて、すごいね!」と漠然と褒めるのでなく、「腕の回し方が上手くなったね」「足が最初よりも高く上がっているね」と具体的にフィードバックするほめ方です

褒め方のポイントその③褒めるだけでなく、感情を共有する

これは、何か褒めよう、と言葉を探すのではなく、子どもが何かを達成した時、何かを発見した時の喜びや感動を一緒に味わうことです。表情、アクション、だけで十分な時もあります。

続いて、

叱り方のポイントは4つ

叱り方のポイントその①否定禁止の叱り方をしない

これは、「ダメ」「違う」をできるだけ言わず、「どうしてそうしたの?」と聞いて子どもの気持ちを受け止める。そして、子どもの思いを受け止めたら「でもね」と思いを伝えることです

叱り方のポイントその②結果を非難するのでなく、やり方を変えてみようと提案する

これは褒める時と同様で、結果よりプロセスに目を向けるべきだということです。望まない結果になった時、そこに至ったプロセスに目を向け「こうすればよかったかなあ?こんなふうにしてみては?」とフィードバックします。

叱り方のポイントその③叱る理由を説明する

これは、子どもの取った行動が、なぜ良くなかったのかを説明することです。「ダメ」の理由を、子ども自身に、あるいは、他の人にどんな影響があるか、これを具体的に伝えることです。

叱り方のポイントその④気持ちを正直に伝える

これは「良い悪い」といった批判や否定するのではなく、「こうされると私は悲しい」「こうしてくれたら私は嬉しいのにな」と「自分」を主語に置いて気持ちを伝えることです。

以上が、ざっくりとした本書の要点になります。

もし、もっと詳しい説明が欲しいと言う方は、本書を手に取って読んでいただくか、もしくは他のYoutube動画でも色々と解説動画が出ているのでそちらをご覧いただけたらと思います。

本書におけるこれらのノウハウは、妥当な主張に思えます。

ですが、なぜか私には「なるほど!」「これは、すばらしい!」といって、完全に受け入れることに、抵抗を感じたんですね。

一体、なぜでしょう。

今回はこの疑問からスタートです。

④そもそもなぜこの本は、こんなにも人気なのか?

シンプルですが、今の日本では「ほめ方」「叱り方」がわからない、もしくはこれで良いのか不安な方、迷っている方、困っている方が多いからではないでしょうか。

もしかしたら、それ以前に、子どもとの関わり方がわからなくなってきている方も多いのかもしれません。

そんな方にとって、「こうやって褒めよう」「こうやって叱ろう」というテクニック論は非常にわかりやすく、実践するとよい反応が返ってくる。この即効性が受けている、という可能性があります。

アマゾンのレビューでは高評価がたくさんついており、口コミでは「実際に試してみたら効果があった!」と言う意見も多いです。

確かに、一定の効果があるとは思うのですが、その方法論だけで満足しても良いのかなぁと感じます。

なんだか、そもそもの問題が見えていない気がします。

では、なぜ、現代人は「ほめ方、叱り方」に困っているのでしょうか。

そしてなぜ、子どもとの関わり方に迷っている方が多いのでしょうか。

この疑問について、私は日本のこれまでの子育ての歴史から考えてみることにします。

⑤子育て観の歴史

実は、子育ての価値観というのは、戦後、高度成長期に確立されたものが多いのです。

この戦後の子育て観における重要なポイントが「学歴社会」と「能力主義」です。

学歴社会」は、良い就職をするために、良い大学を目指します。そのために勉強し偏差値を上げることを大事にします。教育の目的は、テストで良い成績をとって良い大学に入ることになります。

能力主義」は、とにかく子どもに何かの力をつけさせること、能力を高めることを目指します。野球を習わせ、ピアノを習わせ、そろばん、お習字。もしその分野で成功するのが難しいなら、せめて勉強で良い成績を、と塾に通わせ家庭教師をつける。子どもに何かの力がないと生きていけないと考え、力をつけさせることに注力します。

この、何かが出来るようになることを「良し」と考える能力主義の子育ては、本書の著者、島村さんの主張にある、条件付きの子育てにつながります。なになにができたら褒める。できなかったら叱る。といった、「非効率なほめ方叱り方」が起きやすいです。

戦後の日本は、経済復興のために国家を上げて「人づくり政策」をとりました。そして、それを国民も懸命に支えます。みんなが豊かになりたかった。

そして、1950年60年代の高度経済成長に伴う「人づくり政策」では、高校生が普通科に殺到。多くの子どもが高等教育を望むようになります。また、工場などの労務作業者より、給料の高い企業で事務や専門職に就きたいといって、普通科に進学する学生が多くなります

早くから職業訓練コースに行かせるなんてかわいそうだと言う社会的な批判もあって、普通科の人気が高まってくるんですね。

教員も、高い学歴のもとでは、知識や判断力を養える。また将来の職業選択の幅を広げることもできる。だから、とりあえず高校の普通科ぐらいでておけ、と指導をするようになります。

普通科に進む学生が増え、その中で成績を競いあい、上位の者が良い大学へと進学する。

高度経済成長とともに、良い就職を目指し、良い学校に進学するための、学歴競争の時代がやってきました。

当然、保護者も「子どもの能力」を伸ばすことが第一と考えるようになります。

いい大学に入って、いい就職をすることが子どもの幸せになる。

そして「もっと勉強しなさい。テストでいい点を取りなさい。いい点が取れたな。よくやった。どうして勉強しないんだ。」などなど

こう言った言葉が家庭でも聞かれるようになってきます。

1970年代には「企業戦士」という造語が誕生。それ以前から、サラリーマンは12時間以上働くというのが当たり前となっていました。

1960年前後には、初めての全国一斉学力テストが実施。偏差値という新しい評価基準が誕生します。この偏差値というシステムは、全国の子どもを一列に並べ、全員に順位をつけていく。真ん中以上なホッとするけど、真ん中以下はコンプレックスを持つという、あまり心と体によくないシステムでした。このあたりから、子ども達は生きるのが精神的にきつく感じるようになります。

いわゆる「競争の時代」に大人も子どもも放り込まれたわけです。

この時代から、大人も子どもも絶えず急かされ、頑張りすぎるようになっていくのです。

一方で、日本は次第に豊かになっていき、国内総生産GDPは世界2位まで上り詰めます。

2010年GDPは中国に抜かされ世界3位になったものの、それでも世界的にみて裕福な国となりました。

しかしその反対に、自殺率の高さが問題として浮かび上がってきました。他の先進国に比べて、日本は非常に自殺する人が多い国になっていったのです。

2020年のユネスコの発表では、子どもの精神的幸福度は、先進国38か国中37位と下から二番目。15~39歳の各年代の死因は自殺が最も多く、先進国では日本だけにみられる事態(令和2年版自殺対策白書、厚生労働省調べ)です。

関西学院大学の桜井智恵子教授は、

直接の原因は「失業、倒産、いじめ」などかもしれないが、いずれもその問題に直面する中での「過労」が大きな引き金になったと思われる。もう生きていたくないと思うほど精神的に疲れ、それが身体のバランスを狂わせる

桜井智恵子(2012)『子どもの声を社会へ』171ページ,岩波新書

このように、学歴社会と能力主義によって忙しくなりすぎた現代人に警笛を鳴らします。

高度成長期から続いた「競争の時代」は、もう終わったのでしょうか。

私が子どもの頃は、まだまだ、受験戦争や能力主義は一般的でした。

令和の時代になって、高い自殺率はむしろ増加し、近くの子育て家庭の様子を見ていても、学歴主義、能力主義はまだまだ色濃く感じます。

高度成長期からはじまった「競争の時代」は、今もなお続いているといえるでしょう。

こんな時代の流れの中で、

「ほめ方や叱り方がわからない」「子どもとの接し方がわからない」と感じるのも、無理はないなと感じます。

自分自身が能力主義の中で育ち、そのままの価値観で子どもを育てようとすると、反発を受けたり、うまく行かないなと感じたりするのではないでしょうか。

たとえうまく押さえつけれたとしても、能力主義は自己肯定感の低い子を、幸福感を感じにくい子を育ててしまいます。

最近よく言われるように、子どものありのままを受け止めたい。子どもの人生、その自身好きなように生きてもらいたい。そう願う方がいたとしても、本音では、それでも勉強もしてほしい。そう考えている方がまだまだ多いような気がします。

対立しがちなこの願いに、どう折り合いつければいいのでしょうか。

能力主義からの脱却は、令和の時代になってもまだまだ難しい話です。

⑥著者の主張の考証

さて、これまで見てきた時代の流れをもとに、著者の主張は正しいのか?を考えます。

著者の主張はこうでした

「日本人に多いとされる自己肯定感の低い子どもは、ほめ不足が原因でなく、非効率なほめ方や叱り方が原因ではないか

これについて、私しろやぎは「否」と考えます。

自己肯定感の低さは、「非効率なほめ方叱り方」といった子育ての手段が原因ではなく、日本の歴史が作り上げてきた価値観、すなわち能力主義こそが原因ではないかと考えるからです。

さらに、能力主義の中で育ってきた親や教師が、子ども達を育てる時に迷い、指針のない状態で接することが多くなる。

だから「褒める、叱る」の手段が非効率になり、関わり方が曖昧になり、大人本意になってしまうこともある。


その結果、鯨岡峻さんが言う、「自分の存在を認めてほしいという根源的な欲求(※1)」が満たされず、「自己肯定感が立ち上がってこない(※2)」という状況につながっているのではないかと考えます。

(※1鯨岡峻(2015)『保育の場で子どもの心をどのように育むのか』9ページ)(※2同書10ページ)

もちろん、本書における褒める叱るのポイントは、ノウハウとして有効な部分があることを否定はしません。間違ったテクニックではない、と感じます。

しかし果たして、手段だけで目的は達成できるのか。ということは忘れないでおきたいです。

そもそも、なぜ叱るのか、なぜ褒めるのか。

この叱る褒めるの先に、能力主義があるなら、個人の能力を高め、いい学歴で、いい企業に就職してほしいと考え、子どもがそう育つように本書のテクニックを使うはずです。一生懸命勉強したことをほめ、できるようなったプロセスを評価するはずです。

しかし、褒める叱るの先に、その子にとって幸せな人生を送ってほしい。主体性を持った子として生きてほしい、と願うなら、勉強したことや、できるようになったプロセス以外にも目が向くし、その子にとって本当に欲しい褒め言葉や叱り言葉がみつかるはずです。

果たして「目的」は何か。

ここを深められていないまま、こうほめよう、こう叱ろう、と考えるのは、その子に向き合っているとは言えません。結局、子どもに見抜かれて終わります。

「本当に自分のことを考えて言ってくれているのかな?」そう感じられても無理はありません。

冒頭で話した通り、

本書はほめ方叱り方の「答え」ではなく、「ヒント」が書かれています。

ノウハウを実践するだけで満足しない。ほめ方叱り方を考える前に、いま一度自分たちの子どもにどう育って欲しいのか、をじっくり考えてみるのも良いのではないでしょうか。

その考える「ヒント」として、本書を生かしていただけたらと感じます。

願わくば、

子どもの能力を伸ばすためだけに、ほめたり、叱ったりするのではなく、

この子の幸せは、この子の中にある」そう信じて、それを支えるために、子どもを見つめ、対話を重ね、関わっていく。

そんな大人が増えることを望みます。

今日は以上になります

どうもありがとうございました!

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