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子どもの「心」を育てるー養護の働き

どうもしろやぎ保育書房です。

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 今日は子どもの心を育てる養護の働き、というテーマでお話します。

 動画解説はこちら

突然ですが「子どもの心、というものを、いったいどのように育めばいいのでしょうか。

 すでに子ども達の心を大切にし、心を育てる関わりをされている先生方。たくさんいらっしゃるのではないかと思います。
 ただ「どういった関わり方が、心を育てる関わり方か」ということを考えた時、はっきりと「これです」と明言できる方はあまり多くないかもしれません。

 例えば、子ども達の気持ちによりそう、子どもの全てを受け止める、一人一人を大切にする。このような言葉は、保育の業界では非常によく聞く言葉です。
 では、こういったことが、子ども達の心を育てるのでしょうか。
 実際、このような関わり方は「概念」としては広く知られていますが、
 それが子どもの心の育ちにどのようにつながるのか、と言うところまで保育者は自覚しきれていないと言います。
 では、子どもの心の育ちを支える保育とは、一体どう言うものなのか

 今回の参考文献の著者、鯨岡さんは「子どもの心を育てるのは養護の働きだ」といっています。
 この「養護の働き」とは、一体何なんでしょうか。
 私たちは何を意識して保育をするべきなのか。
 皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

今日の参考文献はこちら、

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『保育の場で 子どもの心を どのように育むのか』鯨岡峻 著になります
それでは今日もよろしくお願いしまーす!

①著者の紹介と本書の概要

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それでは最初に、著者の紹介と本書の概要からお話しいたします。

 著者は鯨岡 峻さん。発達心理学者で、京都大学の名誉教授、現在は中京大学の客員教授をされています。

 この鯨岡峻さんですが、以前の私の動画『日本版保育ドキュメンテーションの作り方』で紹介した、日本版保育ドキュメンテーションの原型、「エピソード記述」を提唱をされた方になります。
 保育ドキュメンテーションは「エピソード記録」と「写真記録」の融合でしたね。興味のある方は過去の動画をご覧ください。
 本書でも、エピソード記述の書き方やその例が載っています。

 本書は、平成27年の子ども子育て関連3法案が実施されたことを受け、
 鯨岡さんが危機意識を持ったことをきっかけに書かれています。

 3法令改定に関連して「子どもの最善の利益」という文言が繰り返し使われているものの、本当に子どもにとって最善の利益が保証されているとは言えない状況がある。
 子どもの立場に立って考えられていない。
 子どもの心の育ちに通じる保育がなされている状況とは言えない。
 こんな思いで本書を書き上げたそうです。

 本書の構成としては、まずは、現代の問題の整理。ここでは、子どもの心の育ちを大切にすべきだと書かれます。そして心の育ちを支えるための「養護の働き」と言うものの説明。さらに「接面」という独自の概念を用いて、子どもの心を敏感にキャッチする方法について語ります。
 さらに、子どもの心の育ちを捉えるための「エピソード記述」について書かれ、
「養護の働き」の裏にあるもう一つの大切な働き、「教育の働き」についても語られます。
 と、このように、本書はかなり奥深い内容で、とても1本の動画で説明し切れるものではありません。
 なので、今回は 本書の前半部分。
 特に、著者の問題意識「子どもの心の育ち」とそれを支えるための「養護の働き」
 これについて簡単にまとめ、紹介させていただきたいと思います。

 本書は、子どもの心をもっと理解したい。子どもの心を育てる保育を知りたい、という方にはもちろん、
 自分の保育が子ども達の心の育ちを支えているのか、改めて見直してみたい方にも、楽しんでいただける内容になっていると思います。
 ぜひ興味がある方は手に取って読んでみてください。

 それでは本書の内容に入っていきましょう。


②現代の子どもは心が育っているのか

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 先程、子どもにとって最善の利益が保証されている状況とは言えない、とはなしました。本当にそうなのでしょうか?
 まずはこの「子どもの最善の利益」からみていきましょう。
 この言葉、非常によく聞く言葉ですね。
 保育所保育指針の保育所保育の基本原則の1にも「子どもの最善の利益を考慮」と書かれています。
 この「子どもの最善の利益」という文言は、1959年に国連で採択された「世界児童権利宣言」、そして1989年に採択された「子どもの権利条約」で登場します。

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 ここでは「子どもの立場に立って、子どもの持つ様々な権利が最大限尊重され、保証されるべきだ!」と謳っているわけです。
 しかし、現代は「子どものために」から「大人の都合からみた子どもの利益へ」と主旨がいつの間に変わってきている、と鯨岡さんは指摘します。
 そもそも「世界児童権利宣言」が出された1959年は今と大きく状況が違いました。
 日本でも欧米でも、子ども達を取り巻く世界には、戦争と貧困がありました。
 常に子ども達の命が奪われる危険があり、健康を阻害されるような環境の中です
 きっと、「子ども達の生きる権利を守らなければならない」という、切なる思いが「権利宣言」に現れたんだと思います。
 しかし、戦争が終わり、子ども達の命の危険が非常に少なくなりました。
 そして、70年の時を経て、日本も世界各国も経済的に豊かになります。
 豊かになれば幸せだと思って頑張ってきたんですね。
 しかし、豊かさに比例して、子ども達が幸せになったかと言うと、、、必ずしもそうなってはいない、と鯨岡さんは指摘します。
 実際、2020年ユニセフが発表した「先進国の子どもの幸福度をランキング」の中で、日本の子ども達の精神的幸福度は、なんと先進国38ヵ国中37位

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 さらに15~24歳の自殺率は先進国でワースト1です。2018年度に自殺した児童生徒数は332人、これは1988年度以降最多を更新しつづけています。
 ちなみに 2020年は479人(2021年2月文科省の発表)ここでも過去最多を更新しました。

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 2019年には日本の10~14歳の子どもの死因の第1位が初めて「自殺」になりました。
 鯨岡さんが指摘する通り、今の子どもたちは幸せだと感じていない、という状況があるようです。

 もちろん、ネグレクトや虐待、貧富の差の拡大など、子どもを取り巻く社会的な問題もあります。
 しかし、鯨岡さんは特に、
子どもたちが大人の意向や期待に振り回され、自分らしく、主体として生きることを阻害されている」といったことに問題を感じています。
 大人の期待に答えることに必死で、それを満たせないから傷ついたり、主体としての尊厳が認められなかったり、常に不安や不満を抱える子も増える結果につながっているとのこと。
 特に現代は「できる、できない」を重視する能力主義社会です。

 子どもの為と思い込んで、子ども達のできることを増やしていくことに熱心になりがちです。お稽古事など早期教育に熱心な親も多いです。

 何かができるようになることが、子どもたちの幸せに繋がる。
 子どもに「力をつけること」が「子どもの最善の利益」になる。そう信じています。
 しかし、このような大人は、「いまここにいる」子どもの存在承認欲求を満たすより、「これからの」ために色々な力をつけさせることに目が向きがちになります。今より未来。
 結果、子どもの心の満足というものが、昔よりも得られにくくなっている、と鯨岡さんは言います。
 昔のような、直接的な生命が脅かされる不安とはちがう、自分にもその出どころがわからない不安や不満が心に充満する。
 そしてそこから、自己否定感、自己不全感、意欲の欠如といった「心の問題」を抱えた子ども達が育っていく。

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「最低限の生きる権利」の上に積み上げられるはずの「幸せになる権利」が奪われている子どもたちが大量に生まれてきている、ということなんです。

 鯨岡さんはこの原因の一つとして、「発達の考え方」が人々の間に普及したことを上げています。
 戦後復興の過程で、「高度経済成長」が人々に幸せをもたらされたと多くの人が考えました。 そこから「成長」や「発達」という考え方が良しとされ、人々の子育ての在り方や子どもへのかかわり方を変えました。
 「子ども達の最善の利益」というものは、「生命の保持」「健康の維持」に加えて、「子どもたちの心身の発達を保証する」ことではないか?と考えられたんです。発達を促すことが、子どもたちの幸せにつながる、と多くの大人が信じました。
 しかし現実は、「心身の発達」と良いながら、能力面の発達にだけ目を向けている。
「できるできない」といった目に見えるものの発達のみを大人は追いかけている。「子どものためだ」と言いながら、目に見える発達を促すことだけに力を入れてしまっているんですね。
 鯨岡さんは、「発達とは子どもの身・知・心の面に表れる時間軸に沿った変容を捉える試みである」と述べています。
 そして、子ども達の発達を見る見方の中に、心の面も含めるべきだ!と強く主張をしているわけです。

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 本来、力の面の育ちと、心の面の育ちは対立するものではありません。
 保育においては、力と心、両面の育ちを支えることが大事です。
 しかし、現代はあまりにも多くの場面で「力の面の育ち」が優先されています。
 親は家庭で色々と出来ることを増やそうとします。家庭で教えられないことはスクールに通って教えます。
 保育施設では親が喜んでくれるから、子どもたちに力をつけさせ、運動会、発表会でも披露します。
 こういった現状の中において、まず子ども達の「心の面の育ち」を優先することが保育者には求められているのではないでしょうか。
 
 はい、いかがでしょうか。
 現代の子どもを取り巻く状況とその心をの育ちについて見てまいりました。
 また、保育者が子どもたちの心の面の育ちを支えることの重要性もお伝えいたしました。
 ではここからは、心を育てるにはどうすればいいのか。どんなかかわり方が良いか、ということを見ていきたいなと思います。

③「心」を育てる「養護の働き」とは

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 まずは「心」とは何かを見ていきます。
 本書では、「心の中核には「基本的信頼感」「自己肯定感」がある」と言っています。
 これは「非認知能力の基礎」としても知られていますね。
 つまり、鯨岡さんが言う「心を育てる」とは、子ども達の中に「基本的な信頼感」と「自己肯定感」が育つような関わり方をする、ということになります。 

  ではそんな心を育てるためには、どんな関わり方が良いのか。

 発達心理学者のエリクソンは乳児期に「信頼感」人を信じられるようになるように育てることが大事だと言っています。そして、「赤ちゃんは自分の望んだことを望んだとおりに十分にしてもらうことで、人を信頼できるようになる」といいます。

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また、保育者養成のテキストには「一緒に遊ぶ、スキンシップをはかる、一緒に添い寝をする」などなど、こういった行為をするとよい、と書かれているものが多いようです。
 これから保育の現場に向かう新人保育者にとって、自分のするべき行為を示してもらえることは、マニュアルのようで非常にわかりやすいです。

 しかし、
本来子どもの心を育ているのは、育てる側の目に見えない「心の動き」ではないでしょうか。このことは、これまであまり議論されてきませんでした。
 つまり、子どもの心を育てるのは、行為ではなく、育てる側の心なんだ。と鯨岡さんは言います。
 同じ「抱っこ」という行為をとっても、「愛おしい」と思って抱っこを続けるのと、「重いな、早く寝てくれないかな」と思って抱っこを続けるのとでは、子どもの得られる安心には大きな差が出ます。
 エリクソンのいうように、子どもが抱っこしてほしいと思ったときに、抱っこしてあげたとしても、その時の大人がどんな心の動きをしているのか。
 本当に「信頼感」が育めるかどうかは、大人の心にかかっています。

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 また、
子どもの自己肯定感というは、周りの大人の「あなたが大事」という思いが、こどもに取り込まれ、「私は大事」と反転する形で心に定着します。
 「信頼感」にせよ「自己肯定感」にせよ、子どもの心の育ちには「大人の心がどうか」ということが非常に重要なんですね。

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 例えば、子どもを大事にする心や慈しむ気持ち、優しく包み込む心、愛する気持ち、慰める気持ち、こういった大人が持つ心の動きのことを、総称して「養護の働き」と鯨岡さんは呼んでいます。
 そして、子どもの心の中核を育てるうえで、この「養護の働き」が欠かせない、ということなんです。

 保育所保育指針にも「養護」という言葉が使われています。
 鯨岡さんの「養護の働き」と同じ漢字を使っていますが、「養護の働き」が保育者の心の動かし方が焦点になっていることに対して、保育指針で示される「養護」は、アレルギー対応や、食事の介助、衛生面の配慮など、保育者の「行為」に焦点が当たっています。

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 今までは、泣いている時に抱っこすること、眠れないときに背中をトントンする事。これら一連の目に見える行為が「養護」だと考えられてきました。
 しかし、問題は「その子が求めていることに本当に応えているかどうか」です。
 その子が本当に求めているものとは、行為だけでなく、その行為の裏にある保育者の心です。
 トントンも抱っこも、そこに保育者の「心」が伴っていないと意味がない。
 悲しみに共感してくれる、安心して眠れるように優しく見守ってくれる、そんな保育者の心がないと意味がないんです。
 以前、1対1の担当制の保育を紹介しましたが、1対1で保育を行う保育者の行為の裏にも、保育者の「心」が伴っていないと、子どもたちの心の育ちには繋がっていきません。

 さらに、こどもの発達に沿って「あれをさせよう」「これをさせよう」と考えていると「養護の働き」は起こりません。と鯨岡さんは言います。
「何かをさせよう」と考えると、子どもの気持ちがつかみにくくなるからです。
 大事なのは「何かしてあげないと」と考えるのでなく「目の前の子どもに寄り添いたい」という気持ちをもつことなんです。

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 例えば、お昼寝の時にクラスの子ども達をとんとんしている。そんな時に遠くで一人で寝ている子どもと目が合うことがあります。保育者が子どもの「気持ちに寄り添いたい」と考えていると、子どもの目が自分に訴えていることに気づきます。
「せんせい、きて、私にもとんとんして」言葉には出さず、目で訴えてきているんです。
 でも、他の子をとんとんしている時に、その子の所にすぐに行ってあげるのは難しい。行ってあげたいけど、今は行けない。そんな時、「養護の働き」が備わっていると「わかったよ。今とんとんしているこの子が寝たら、そっちに行ってあげるからね」と眼差しに力を込めるができます。
 数メートル離れた物理的空間を挟んで、保育者の心は、眼差しを向けてくる子どもの元に持ち出され、そこで子どもの気持ちに寄り添っています。そして、目には見えない「養護の働き」が紡ぎだされています。
 このように「養護の働き」が紡ぎだせたとき、保育者には子どもの気持ちと繋がる「瞬間」というのがわかります。
 その子の心の喜びが伝わり、また保育者自身も、子どもの気持ちと繋がる喜びを経験することが可能です。

④子どもの気持ちに寄り添う、の正体

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 さてこの「子どもの気持ちに寄り添って」という言葉、保育の世界でしばしば耳にする言葉です。また「子どものすべてを受け止める」「子ども一人ひとりを大切に」という文言も良く聞きますね。
 これらの言葉は広く知られていますが、実際に心の育ちにどのように繋がるのか、というのを自覚している保育者はあまり多くないようです。
「養護の働き」に関連深い言葉として、これらの言葉を少し見ていきたいと思います。
 まずは「子どもの気持ちに寄り添う」
 これは保育の基本的な行為として、広く知られています。
 しかし、「どうすることが、気持ちに寄り添うことなのか?」と聞くと、ちょっとわからない、と思う人も多いようです。
 若い保育者の場合、抱っこ、添い寝、ほほずり、スキンシップ、また1対1で関わることだ、と理解している人も多いです。
 もちろんスキンシップも大事なんですが、先ほどのとんとんの例にもある通り、自分の心を子どもの心に寄り添わせるという事は、行為とはちがう、また別の次元の話です。
 鯨岡さんは「自分の気持ちを持ち出すことだ」と表現しています。
 気持ちを持ち出す、というのは少し理解の難しい概念ですが、本書に書かれている内容を簡単に解釈すると、相手の立場に立つこと、思いに共感すること、こんな概念に近いもののようです。
 また、若い保育者の中には「どうすれば子どもの気持ちにより沿えるんですか?」という疑問を持つ方もいらっしゃるそうです。
 寄り添うためのマニュアルを聞いているような質問です。
 しかし、相手の立場に立つ、ということも、思いに共感する、ということも意識をすれば出来るようになる、といった性格のものではありません。これが若手を指導するときの難しさです。
 意識するのは「どうすれば気持ちに寄り添えるか?」ではなく「あなたが大事、あなたのことをいつも気にかけている」という「人を愛する気持ちになる」こと。
 そうすれば自然と自分の気持ちは持ち出されるし、子どもの気持ちに寄り添えるようになるんです。
 現代の保育の難しさというのは、保育者自身があまり心を大切にされて育ってこなかったこと、保育者自身が大人の意向に強く従わされてきた経験にあります。
 そういった保育者は、自分が育てられたように育てるので、「気持ちに寄り添う」ということを理解することに大変苦労するようです。

 次に「子どものすべてを受け止める」という言葉。これは「子どものすべてを受け入れる」という言葉と混同されがちです。
 しかし、鯨岡さんはこの「受け止める」と「受け入れる」を非常に厳密に区別しています。
 まず「受け止める」ということは、目に見えない子どもの思いを、大人が「あなたはこういう思いなのね」と受け止め、自分の中で反芻して子どもに返していくことです。
 子どもにしてみると、自分がしたことの良い悪いはともかく、まずは受け止めてもらえたと感じます。
 友達を叩いてしまった。でも保育者が話を聞いてくれて「こういった気持ちだったんだね」と受け止めてもらえる。子どもには自分なりの理由があって、それをとりあえず保育者に理解してもらえた。受け止めてもらえたことで、自分の存在は肯定された気分になります。このように「受け止める」という行為は、子どもの存在を肯定的に捉えるという行為なのです。
 叩いたからといってすぐに叱ったり、禁止したり、制止したりすると、子どもは自分の行為が良くなかったととらえる前に、自分の存在が否定されたと感じます。
 こういった意味で「子どもの思いを全て受け止める」という対応には、非常に重要な意味があります。
 これに対し「受け入れる」というのは「行為」に向けられた言葉です。
 何かの行為は、大人である自分に対して「受け入れる」か「受け入れられない」かの2択になります。その中間はありません。
 子どものすべてを受け入れる、というのは、子どもの「行為の」すべてを受け入れるということになります。
 こう考えると「すべてを受け入れる」というのは、現実的には不可能です。受け入れられない行為もあるからです。
 誰かを叩く、何かをわざと壊す、人を傷つける。
 こういった行為は受け入れられません。
 しかし、思いを受け止めることは可能なんですね。
 思いを受け止め「こういう思いだったのね」と理解する。
 「でもね、叩くのはいけなかったでしょう?」と気づいてもらうことは可能なのです。
 この「受け止める」という対応は、子どもの思いに近づこうとする行為です
 「養護の働き」として意識して子どもの思いを受け止めていきたいですね

 最後に「一人ひとりを大切にする」です。
 実際「養護の働き」というのは、子ども一人ひとりに向けられるものであって、集団にあてはめられる言葉ではありません。
 しかし保育には「子ども一人ひとりを大切に」と「子どもたちを集団として動かして」の二面性があり、常にその間でゆらいでいます。
 1日の流れに沿って集団として動かなければいけない場面があります。
 また、保育者主導で動かなければならない場面も存在します。
 しかし、その場面場面において、子ども一人ひとりを尊重することが大事です。
 若い保育者の場合、子どもたちを束ねる事にどうしても意識が向きがちです。
 そんな余裕がない状態では、一人ひとりを受け止めるどころじゃない、というのが正直な心情だと思います。
 しかしそんなのは大人の都合であって、子どもはいつでも一人ひとり個性的に違うものです。アイディアの沸き方も、取り組み方も、楽しみ方も全員違う。
 そんな一人ひとりの違いが「困る」ではなく「面白い」に変われば、束ねる必要がある場面と、個別に対応する必要がある場面の両方があることがわかってきます。
 個別に対応することで「養護の働き」が一人ひとりに振り分けられる
 もし「力を育てる保育」から「心を育てる保育」に切り替えていきたい、と考えるなら、集団を束ねる姿勢から、子ども一人ひとりを大切にしていく姿勢へと切り替えることを軸に考えていくと良いようです。

⑤まとめ

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今日は「子どもの心を育てる養護の働き」についてみてきました。

 現代は「力を、力を」の能力主義社会です。
 子どもの最善の利益は変容しました。
 今日では心身の発達、主に「目に見える能力」を育てることが子どもの最善の利益だと考えられています。
 そんな中、子どもたちに心の育ちに問題が出てきています。
 2020年「先進国の子どもの幸福度をランキング」の中で、日本の子ども達の精神的幸福度は、先進国38ヵ国中37位!自殺率も非常に高い現状です。
現在の私たちは「心を育てる」事を優先する必要があります
子どもの心を育てるのは大人の側の心が大事です。
非認知能力でもある「基本的信頼感」「自己肯定感」は、大人が「養護の働き」を持つことで育まれます
養護の働きとは、子どもを大切に思う気持ち、慈しむ気持ち、愛する気持ち、優しく包み込む心の事。
 保育では「養護」と呼ばれる行為に焦点が当てられがちです。しかし「養護の働き」と呼ばれる、保育者の心の動きこそが、子どもたちの本当に求めていることです。
 子どもの気持ちに寄り添う子どものすべてを受け止める一人ひとりを大切にする
 そういった保育者の心のあり方を、意識して保育する事で、
 子どもたちの心の育ちを支えていく、というのが大事なのではないでしょうか。

 私もいままで、色々な保育のテクニック、考え方を紹介してきました。
 もちろんそこには「養護の働き」と呼べる、保育者の心、保育者のあり方も含めてお伝えしてきていたように思います。
 しかし、今回はその保育者の「心」こそが、子どもたちの心を育てる最も大事なものだという話でした。
 どんな技術やテクニックをもってしても、どんな先進的な取り組みをしていたとしても、子ども達の気持ちをどうとらえているか、保育者自身の気持ちが子どもにより添えているかにかかっています。
 倉橋惣三が「育ての心」で述べていました
「子どもは心もちに生きている。その心もちを汲んでくれる人、その心もちに触れてくれる人だけが、子どもにとってありがたい人、嬉しい人である」

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 子ども達の心もちに触れようとする、触れてくれる。
 子どもたちを愛して、子ども達を慈しむ。
 そんな保育者のみなさんに、子どもたちの心を、これからも一生懸命育ててくれることを願っています。

 テクニックよりもまず心。自分の心を大切に。そして、子どもたちの心も育てていってください!
 今日は以上になります。
 どうも、ありがとうございました!

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