インナーアースはミラーボールとして回る
インナーアースの住人たちを認めた上で、
その方たちとどうしたいかを思えば、
団欒を築きたい、と思うのです。
そのことはそのまま
アウターアース(現実世界の地球)の人たちに対しての僕の思いと同じなんですね。
“愛し愛される関係性“
という意味合いが
僕の用いる団欒という言葉にも
もちろんあります。
ただ、
愛いう言葉を用いた場合には、
たとえば
ネガティヴな感情も愛の一部のように、
犯罪や戦争のような
いわゆる過ちをも包括して
愛として扱うことがありますので、
団欒というより身近な言葉を使っています。
また、愛の場合、
“自己愛“のように必ずしも他者との関係を必要としないケースがあります。
僕が求める団欒の内容には
何かしらの他者との関係性が存在します。
この他者との関係性の中で
時に口論ですとかちょっとした喧嘩なんかも僕は認めています。
しかしそのようなネガティヴな物事を経ながらも、最後には仲良く食卓を囲んで同じご飯を食べるようなそんな団欒をイメージしているんですね。
僕は一人っ子ですが、
兄弟姉妹のいる方でしたら
幼い時に兄弟喧嘩をしても
なんだかんだで同じ食卓について
時間の経過と共にまた仲良くなったような経験のある方もおられるのではないでしょうか。
愛と言えば確かにそうで、
愛の関係性を指して団欒なのですが、
なんとなく僕の中でしっくりくる言葉が団欒ですので、この言葉を用います。
その団欒の中には他者が関係しますので、
絆、ご縁、運命、ソウルメイトのようなものも含まれます。
愛と言うと
宇宙と同じくらいに大き過ぎる概念なんですね。
僕としては。
大き過ぎるあまり
どこか他人事で抽象的になってぼやけてしまう僕がいるので、その意味からも団欒という言葉を用いるのです。
それで団欒に対する僕のイメージでは
そこに樂しみも歓びも遊びもあるのですね。
たとえ口喧嘩をしても
どこか遊びというか、
帰るべき所があるからこそ
口喧嘩ができる樂しみがあり、
そこに余裕を感じるのです。
何があってもそこで終わりにならない
帰着する場所がある安心感です。
【帰れる我が家がある】
その安心感が心に余裕を作り出す為に、
ちょっとした喧嘩も厭わずに自分を出せる関係性を団欒に感じるのです。
その感覺はお互いにある感覺ですので、
団欒には絆もあるんです。
しかしながら
より良い団欒を築くためには
それぞれが自立していて、且つ、自分と相手を尊重している必要があります。
そんなわけで
なんかバンランスが良いのですよ。
団欒を思えば☺️✨
それで
『僕というのはこの団欒を求めていたんだな』
とインナーチャイルドと向き合う中で思い出したのですが、今までの僕にとってこの団欒とはフィクションのような感覺でした。
絵に描いた餅であり、絵空事であり、机上の論理として、団欒はありました。
この感覺というのは
幸せや愛や豊かさにも当てはまるものであったのですね。
幸せは幻。
愛はフィクション。
豊かさは絵空事。
希望は机上の論理。
樂しみは絵に描いた餅。
この感覺の出所を僕はインナーチャイルドとの向き合いで思い出しました。
当時の僕の現実の日常生活が樂しいものではなく、幸せでもなく、安心して愛を感じることができないものでした。
そのような幼少期から十代までを過ごした家では必ずテレビがついていたんですね。
僕の現実は辛く苦しく悲しいもの。
そんな現実生活の中で観ていたテレビの画面には
樂しそうで幸せそうで豊かさそうな世界が映し出されていたんです。
このような環境の中で
歌番組のような樂しさはフィクションであり、現実に求めてはならぬもの。
ドラマのような恋愛はフィクションであり、現実に求めてはならぬもの。
バラエティー番組のような当時のお金をふんだんに使った豊かさはフィクションであり、現実に求めてはならぬもの。
おそらく、このな風に思い込んだと思います。
白黒思考のような極端さもここにはありますから、関係はあるように思います。
たとえば
現実では恋愛や性への批判を
母の父との関係性から四六時中聞かされているのに、テレビでは恋愛や性に対して幸せそうに、時に樂しそうに語っていたり、芝居していたりする。
ここに
ネガティヴな現実
と
ポジティブなフィクション
があるのです。
ここで僕は
恋愛も性もフィクションで、
ポジティブもフィクション
と捉え、それを求めることを抑圧したと今思います。
樂しむこともフィクション。
歓びもフィクション。
笑いもフィクション。
幸せもフィクション。
愛もフィクション。
平和もフィクション。
希望もフィクション。
そのような思い込みにより、
現実の僕でもそれらがあっても“見えない“もので感じられないものへとなっていたと思うのです。
それらはまさに➖夢➖の話。
叶えられる夢ではなく、
眠りながら見るだけの夢でした。
僕が求めていた団欒には
それらの要素が全て詰まっています。
僕がそれらの現実創造ができなかったのは、
そのフィクション意識です。
現実にもそれらは在る
と認めることで
それらとは叶えられ得る夢となります。
僕のインナーアースに住まう
インナーチルドレンと
そのフィクションと思い込んでいたものたちをもって団欒を築き上げていく
という形から現実創造をしたいな、
と今の僕は思っています。
僕が封印した宝箱とは
このフィクションとしてあった団欒です。
しかしここで、
【封印されたままの宝箱は実在する】
と解明されましたので、その封印を解く生き方が僕の今後の生き方になるわけです。
➖団欒の中で僕は遊びます➖
僕の中のインナーアースが
輝きと煌めきでミラーボールのように回る🪩✨
その回るミラーボールと共に
チルドレンという➖子宝➖は踊り、遊ぶのですね💃🪩🕺
長くなりましたね🌳
続きはまた次回以降に✨
最後までお読み戴き
ありがとうございました。
またね👋
チャオっ❣️🤠
祭統 白宇
SHIR㊉W