生きることを諦めたい
ヨルシカさんの、「言って」という曲が苦手だ。曲自体は好きなのだけれど、聞くとどうしても辛くなってしまう。
あのね、私実は分かってるの
もう君が逝ったこと
あのね、わからず屋って言うんだろうね
忘れたいんだけど
それは、もうその人がいないことに気づかされるというより、その人が「いた」ということを思い出さざるをえなくなるから。
忘れていられる方が幸せに決まっている。
世界が滅びることになったとして、みんなで手をつないでかたまっておわりのときを迎えられるならそれ以上にしあわせなことはこの世にない。
そうやって外的要因によって、生を諦めてもいい状態になったらいいのに。みんな、諦めたけど、まあしかたないね、っていう笑顔でいっぺんに消えることができたらいいのに。
今すぐとは言わない。あと数年、十数年後にその終わりがくると分かっていれば、穏やかに過ごせる気がするのである。
私は長生きしたいなんて思ったことないのにどうしてこんなに人間は長生きするための発明を積み重ねていくんだろう。そんなにも長く生きたいのだろうか。
私は怖い。
どんどん寿命が延びることが怖い。
永遠ほど恐ろしいものはない。永遠に近づくことが怖い。
他の人は想像できるのだろうか。研究者は、開発を進める人々は想像がついているのだろうか。
自分が永遠の命を手に入れ、永遠に死なない、死ねないと分かっているなかで永い永い時間を、生きていくことを。
永遠に研究を続けるのだろうか。永遠に開発を続けるのだろうか。ゴールもないのに。終わりがあるから頑張れるのではないだろうか。終わりがあるから今が楽しいのではないだろうか。終わりがないと分かって、それでも人間は笑顔でいられるのだろうか。
私には分からない。