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コロナ禍において、人はなぜ不安になるのか?~令和の実存主義哲学の再来と実践~

1.はじめに

はじめましてシロテナガサル子と申します。
もっと、早くに書きたかったのですが文章をまとめるのに時間がかかってしまいました。
一人でも多くの方に、読んでもらえれば幸いです。
(初投稿になります)

2021年1月8日(金)東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県の1都3県、続いて1月14日(木)
栃木県、愛知県、岐阜県、大阪府、京都府、兵庫県、福岡県の7都府県に緊急事態宣言が再発令されました。
そして、横浜クルーズ船の最初のコロナ報道から約1年が過ぎようとしています。

皆様は、この緊急事態宣言についてどのように思われましたか?
・海外のようにロックダウンしたほうがいい
・医療現場(従事者)のことを、もっと考えて行動してほしい
・お給料(ボーナス)が減額し、やっと自分事として捉えるようになった
・自営業なので、将来が不安でたまらない
・コロナに感染し重症化したらどうしよう
などでしょうか?

あるいは、「他者との関わりが少なくてすむ」という点で、少し安心している方もいるかもしれません。
しかし、緊急事態宣言を手放しで喜んでいる方は、一人もいないと思います。

コロナ禍において、マスクは必需品、リモートワークの推奨・実施、飲食店の時短営業、ステイホームなど様々な変化がありました。 
毎日のようにテレビではコロナの感染者数が報道され、それに関する光と闇が同時に映し出されました。
それにより混乱、落胆、絶望した方も多かったと思います。

2.実存主義哲学とは何か?

令和はコロナ禍において時代の転換期ともいわれ、まさに「実存主義哲学の再来」だと私は考えています。ドイツの哲学者ニーチェ(1844年~1900年)は、「神は死んだ」と言いました。対象(神)そのものが死んだわけではなく「比喩」として使われています。

この考え方は、当時としては非常識であり不謹慎でした。

ニーチェの生きていた時代のヨーロッパは、キリスト教(神)が生活の中心であり、すべての価値観を形作っていました。
そして「神(キリスト教)に縛られた生き方はやめよう」「人間(自分自身)の思うままに生きよう」と言ったのが「実存主義哲学」です。
人々は、「人間らしさ(自分の意見)を押し殺し」それに従い真面目に生きていました。
なぜなら「神の言うことを聞いていれば天国に行ける、逆らうと地獄に堕ちる」と教えられていたからです。

少しでも哲学を学んだことのある方なら、「実存主義哲学」についてすぐに理解できると思います。

もっと分かりやすく説明するために現代風にアレンジして書いていきます。
これから書くことは、あくまで哲学的観点からの考察になります。


3.令和の「神は死んだ」の「神」とは一体何者か?

ここでいう「神」とは、「前時代の画一的な価値観(昭和と平成)」のことを意味しています。

そして「前時代の画一的な価値観(神)は崩壊(死んだ)した」となります。

昭和と平成の代表的価値観を見ていきましょう。

《昭和》
・終身雇用
・年功序列
・学歴社会
・性役割分担
昭和は、「神との約束された幸福」のある時代といえます。
神から「私の作った“人生のレールからは絶対”に外れてはいけない」「人間はこうあるべき」と教えられてきました。
人間が「約束された幸福」を手放すことは愚かな行為だとされました。
なぜなら、神は人間を「幸福にする」絶大な力があり、それと同時に「掟から外れる者」を排除する力を持っていたからです。

《平成》
・格差社会
・非正規雇用
・少子化
・自己責任(決定)
平成は「神が試練を与える」時代といえます。
神から「幸福でいたいのなら、人々と争い続けなさい」と教えられてきました。
勝った者には「幸福」が、負けた者には「不幸」が与えられました。
また神から「幸福で居続けたいのなら、人々と争い続けなさい」と教えられてきました。
一部の心優しい人間は争うことに悲しみ疲れ、神の言いつけを守ることができませんでした。
「争わなかった」人間には「いくら働いても貧しい罰」が与えられました。

4.コロナ禍において、人はなぜ不安になるのか?

昭和は、「一億総中流」といわれたように、「みんなと同じことをしていれば、人並みに幸せな生活を送れる」時代でした。
平成は、「勝ち組」「負け組」の言葉が流行したように、「物質的な豊かさ」がより強調された時代へと変わっていきました。

そして昭和、平成と先に述べた「神」とは別に、脈々と引き継がれてきた「隠れ神」が存在していました。
令和の時代も、息をひそめ「生き続ける」はずでした。
しかし、コロナによりその姿が表舞台に晒されると、今までにないくらい力が衰えていくのを、私たち人間は目の当たりにしました。

「隠れ神」とは、時代を問わずに人間が「盲目的に信じてきた価値観」のことを意味します。

昭和、平成と共通して「”隠れ神”からの難問を乗り越えた先に、知識の実と永遠の幸福」を与えられていたといえます。

隠れ神からは「私の作った生命の掟から外れてはいけない」と教えられてきました。
人間にとって、掟は苦しみであり、苦しみは掟でした。
その苦しみが少しでも軽くなるよう、一生懸命に働いた者たちもいます。
しかし、その反対に「私利私欲に走る者」「他人を見下す者」「胡坐をかくもの」も現れました。
それでも、掟さえ守っていれば隠れ神から、罰せられることはありませんでした。
なぜなら、知識の実を得ることは選ばれた者にしかできない特権だったからです。
そして、隠れ神を妄信的し続けてもらうには、「人間が生きている」ことが必要不可欠だったからです。

5.「隠れ神」とは一体何者か?


皆さん、「隠れ神」が何かもう分かりましたよね。

政治家でしょうか?マスコミでしょうか?それとも教育者でしょうか?

いいえ、それは「医療(職)」です。
コロナ最前線で戦っている医療従事者・患者の皆様を非難しているわけではありません。
そこを、誤解されませんよう読んでいただけると助かります。
 
医療(職)は、職業的地位が高く、高収入であり、一生安泰という風に見られがちです。
しかし、それは「命の重さに対する責任」と「人間の最後の砦」を守り抜こうとする意志の表れに対する対価なのです。

「前時代の画一的な価値観(神)は崩壊(死んだ)した」

そして、どんな時代でも「人間に幸福と希望をもたらしていた」隠れ神の力を持ってしても、コロナの前には非力なのです。

だから、私たちは何を信じ縋っていけばいいのか分からなり、不安になっているのだと考えています。

 
6.令和の「実存主義哲学」の実践とは、具体的に何をすればよいのか?


それは、ニーチェの言っていた「人間(自分自身)の思うままに生きよう」を
「今この瞬間」に体感することです。

もう「みんなと“同じ”」ことをしていても「約束された“幸福”」が訪れることはありません。
そして幸福のために「神から与えられる“試練”」を乗り越え、「争い続ける」ことにも私たち人間は疲れ果ててしまいました。

令和は神(前時代の画一的な価値観)など存在しない、「人間が人間との約束を誠実に守る」時代になると考えています。
その中には、“他者”はもちろんのこと“自分自身”も含まれます。

そこには、同調圧力も、間違いも、勝ち負けも存在しません。
物質的な豊かさだけでは図れない、精神的に充足した幸福を感じるはずです。
そして、実存主義哲学の実践の道のりは決して、平坦なものではないと思います。

だから、「自己責任」という言葉で誰かを傷付けないでください。
本来の意味は「世の中が社会的に成熟し、多様性を容認できるようになった。だから自分のやりたいことを大切にしてね」だと考えています。
しかし「弱者を切り捨てる」「我慢大会」「無関心」を意味する言葉として使われることが、個人的には残念でなりません。
どうか、自分自身の生き方を大切にしてください。

「神は死んだ」

もう、あなたを縛り付ける「神」はどこにも存在しません。
だから、安心して自分自身の人生を生き、その手で未来を切り拓いてください。

7.あとがき


最前線で戦っている医療従事者の方々には感謝しています。
コロナに感染された方の1日でも、早い回復を祈っています。
経済状況の変化により生活困窮されている方、毎日のニュースに振り回され疲弊されている方、境遇は様々かと思います。
私には何もできませんが、皆様の不安な気持ちが、少しでも軽くなればよいと思っています。

コロナの収束を心から願っています。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。


シロテナガ サル子

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