逆⇔中国大返し-その2-
天王山
秀吉側の本陣側にあり、合戦時は天王山山頂(標高270m)には、黒田官兵衛と秀吉の弟、秀長が入っていたそう たしかにここからの景色なら一望できて戦局がわかりやすい
※写真は、今回の逆⇔中国大返しの道中ではなく、もっと前の別日に撮影
勝竜寺城跡
もともとは細川幽斎の城で、息子の忠興と光秀の娘ガラシャ(玉)が本能寺の変前年まで居城していた
山崎合戦で敗走した光秀は、勝龍寺城でいったん籠城するも秀吉軍の追撃を受け、北門から脱出
本来の拠点である近江坂本城へ逃走するものの途中で死去 ※こちらの写真ももっと前の別日に撮影
この天下分け目の戦いは、1日のうちに勝敗が決し、秀吉が勝利 信長の後継者となった秀吉は、天下統一へと乗り出すことになる
先の戦争とは異なり、「本能寺の変」も「関ヶ原の戦い」も1日で決着したのは、采配者の手腕なのか、争う者同士の意思の疎通なのか、"時代"を考えさせられた