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逆⇔中国大返し-はじめに-

本能寺跡⇆亀山城「光秀の本能寺の変」のルートを辿った終わったその日
帰宅する新幹線に乗車まで時間があったため、京都市内にある「豊国廟」へ立ち寄ることにした
そこで「逆⇔中国大返し」に入るにあたり秀吉のお墓周辺について少しふれてみようと思う

豊国廟は京都駅から東に3km弱程の所に位置し、京都女子大の裏山にあたる 北側に清水寺があり、その間辺りが「光る君へ」でも舞台となった"鳥辺野" 平安時代以来、葬送の地として源氏物語等で登場し、藤原道長もここで荼毘に付されたそう
他に京都で有名な葬地として「西の化野」、「北の蓮台野」がある

秀吉の廟所

麓から563段の石段を登った阿弥陀ヶ峰山頂に石造の五輪塔が建てられている

登った日は9月17日で、秀吉が亡くなった日の前日にあたる 日曜の昼下がりだったが参拝者が全くいなかくてひっそりしていた

秀吉の五輪塔傍から見た清水寺

この景色は一見の価値あり 修学旅行で清水寺に行ったとき反対の景色を見たときここに何があるんだろうと疑問に思った記憶があり、ここでその疑問が解けた

ただ、稀代の天下人秀吉のお墓がなぜここまでひと気がなかったのか今のところ不明
ちなみに現在の豊国廟は明治天皇の命により、豊臣恩顧の黒田家ら子孫が再建した2代目 豊国廟の麓には秀吉の孫にあたる国松の御墳墓も祀られていた 江戸時代は徳川家の意向により朽ち果てるまま放置され続けていたそう

おまけ

六波羅探題
豊国廟を訪ねた後、帰りの新幹線までまだ時間があったのでさらに六波羅探題跡地を散策

鴨川の東、松原通〜五条・七条一帯が跡地らしい
六波羅蜜寺内に石碑を発見

1221年承久の乱後、鎌倉幕府が設けた警察機能付出先機関で1333年鎌倉幕府の滅亡で業務終了

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