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私がnoteを書く理由 -自己紹介に変えて-

note10記事を超えたところで何も凄いことはないのだが、私にしてはよく続いたと思う。嬉しいことにnoteを開くごとにスキの数が増えていてお知らせが来ている。

ここで少し、私がnoteを始めた理由について書こうと思う。
詳しいプロフィールや自己紹介もいずれ載せたいと思っているが、私のnoteを読んでくださる読者の方へ、「こんな気持ちで書いているんだ」ということを伝えておきたい。


始めての記事ではブログやSNSで発信するにあたって「伝えたいことは何か?」ということを書いた。

過去の私は伝えたいことが明確でないままに”何か”を生み出そうとしていたせいで失敗していた。今もまだ模索中で、だから私が書くnoteにはイマイチ中身がない。私は何が得意なのか、私に向いていることは何なのか、私にしか書けない文章とは何か、考えれば考えるほど疑問ばかりが浮かんでくる。

私がnoteを書いているのはその答えを探しているからでもある。

私は私のことがよくわからない。昔から自分のことに無頓着で、あまり深く考えることなく生きていた。いい意味でも悪い意味でもその日そのときを生きていたような感覚で、楽しいことも負の感情もその場限りですぐに忘れるような人間だった。昔の私は負の感情に対して鈍感で、上手く表現できなかった。(本当は悲しかったり傷ついていたりしても笑ってごまかしていることに、自分で気づいていなかった)

書くという行為を続けることで自分を見つめ、整理して、ときには他人の思考や感情に触れ、自分自身がどんな人間なのかもっと知りたい。

その後の記事では「noteで何を書くか?」というテーマについて考えた。

このようにやりたいことや目標を上げたのは、もちろん今後noteを書いていくにあたって伝えたいことを明確にするためであったが、そこにはもう一つの理由がある。私にとってnoteは、夢のための練習台でもある。

昔から自分の本を出したいという夢があった。その頃は本当に”夢”であったけれど、今では個人で本を出すことは珍しいことではなくなった。電子書籍の登場でそれはさらに身近なものになり、手軽に本をつくることができる時代なのだ。私もいつか、と考えるようになったのもある意味自然な流れだ。
ジャンルは何でもよい。小説でもハウツーでも経験談でも、とにかく自分の文章を読まれたかった。(昔はなぜか自分の書くものに根拠のない自信があった。黒歴史にしたい)
今でもその夢は変わっていない。ただ、「自分の文章を読まれたい」から「誰かのために伝えたい」と志が変わったのだ。
下手ではないと思っているがお世辞にも上手いとは言えない微妙な文章から少しでもスキルアップするために、書くという行為を続けようと決めた。
そしてただのブログとは違ったコンテンツもあり、有料記事やマガジンといった機能があるnoteは、そんな夢の第一歩として最適な場所だった。

読まれるための文章、テーマ、構成、装飾など学ぶことはたくさんある。しかしそれよりも大切なのは書く習慣をつけることだ。私にはアウトプットの経験が足りない。きちんと時間をかけて質の良いものをつくることはもちろん大事だが、とにかく書いてみること、書けるという自信をつけることが前提にある。質より量ではないけれど、量は質に転化する。量質転化の法則である。(「量をこなすと質があがる」という意味)

だから私は書き続けたい。楽しんで書ければなお良い。

noteとはこれから長く付き合っていくつもりなので、気が向いたときにでもちらりと覗いて見守っていただけると嬉しい。

さて、私はどれだけ成長できるのだろうか。



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