僕の中心にあるもの
優しさは何よりも強い。
ずっとそう思って生きてきた。
優しい人であり続けたいと思ってきたし、今でもその気持ちに変わりはない。
人と接していると、僕の事を優しいと言ってくれる人もいるけど、そうありたいと思ってしている事に対してそう言われるのは、本当に優しい事になっているのかな?
優しいっていったいなんなんだろう。
身体を壊し、理不尽と向き合い続けながら生きていると、少しずつ孤独の闇に吸い込まれていく。
理不尽とは孤独。
僕が見てきた世界のひとつの答え。
理不尽に押しつぶされ苦しんでいる時でも、それを他の誰かに触れられる事で、闇から遠ざかる。
例えそれが同じ理不尽と向き合っている人だったとしても、そこに変わりはない。
ああそうか、僕の苦しみの正体は孤独だったんだ。
答えに辿り着いた時、闇はより近い存在になった。
人は孤独には勝てない。
理不尽に勝てるのは愛だけ。
いつからだろう。気づいたらそう感じるようになっていた。
理不尽は無条件でやってくる。待ってもくれないし、終わりは見えない。
無条件の理不尽に対抗できるのは、無条件の愛だけ。
そう思うようになっていったのかな。
愛ってなんなんだろう。
ある時ふとそう思う事があった。
優しさを与える事?
好きを届ける事?
僕が出した答えは、“ゆるす”だった。
こころをゆるす。
からだをゆるす。
つみをゆるす。
ゆるすには色々なものがある。
そこに条件の無いものが愛なんじゃないか。
全てをゆるし、受け入れる事そのものが愛で、愛を与えるとはそれを示す行為なんじゃないか。
そんな気がした。
僕が見てきた世界で出していった答え。
いつかこの答えにも続きが現れるのかな。
次々とやってくる理不尽。それと向き合う生活。
“戦う”じゃなく“向き合う”。
理不尽の正体が孤独であるなら、せめて自分だけでも向き合い、受け入れないと。
そこに終わりが見えなくても、今はそうしていこう。
そう思いながら十数年が経った。
今でも理不尽な時間は続いている。
まだ、そこに終わりは見えない。
終わりを見誤らないようにするので精一杯だ。
さみしい。
痛いより、苦しいより、つらいよりも。
孤独は何よりも力強く終わりの方へ背中を押し続ける。
僕がずっと求めてきたもの。
求めてしまうもの。
それは優しさじゃなくて、愛だった。
優しさには常に条件が付きまとう。
そして何より余裕が必要になる。
大事なのは、どれだけ、どんな優しさをくれるかじゃなく、それが誰なのか。
そして、自分を必要としてくれているのかどうか。
どれだけ優しくあろうとしても、優しくしても、どこかむなしさがくっついた感覚が残るのはそのせいなのかな。
大事な人、好きな人にどれだけ優しさを送っても、それが僕である必要があるかどうかは僕には分からない。
それどころか、条件に合わないと逆に相手を傷つける事にもなる。
それはなによりも辛い事。
誰かに必要とされたい。
いつからか抱いていた唯一の夢。
今では唯一の望み。
これから生き延びていったとして、そんな日が来るのかな。
まだ答えは見えない。