noteだからこそ、発信したい。「手紙」を書く風習を残したい。
何となく、ほんと何となく思うことがある。
手紙を書くという行動。
LINEで文字を打つという行動。
これらってイコールでしょうか?
最近感じていることは、
どんどん便利になっていって、
時間の効率化が進み過ぎている感じがする。
何でも「時短」。
そんなに時短する必要があるのかな?って。
その時短にするために、手紙はなくなり、年賀状もなくなり、
メールもなくなり、チャットだけで意思伝達をする。
手軽やし、
最短時間でできるし、
コストかからんし。
でも、そんなに、みんな忙しいのかな?って思う。
もちろん、こういう自分も手紙は書かなくなったし、
メールすら面倒臭くなってLINEで済ます。
でも、御礼状だけは未だに筆ペンで書く。
まぁそれくらいやけど。。。
そこで思ったことがある。
すごく抽象的な言い方かもしれないけど、
メッセージって頭で考えて打つ。
手紙はココロに感じた事を書いている。
この「打つ」という行為と、「書く」という行為、
単に伝えるだけの事だけ考えると変わらないかもしれない。
でも、手紙を書くという時には、
読み返して、気持ちが伝わっていないと感じたら、
ビリビリ破って、新たに書き直す。
ラブレターなんて、
何回も何回も書いて、
一冊全部なくなってやっと一通って事もあった。
返事は毎回ペラペラの封書。
「ごめんなさい・・・・」から始まる文章。
でも、気持ちが伝わってくるし、
まぁ落ち込むけど、
気持ちが入っているという感はめっっちゃあった。
昨日、メタバースの資料を読み込んだ時ふと思った。
やっぱ、メッセンジャーって頭で打ってる。
ココロで打ってない。
手紙はココロで書いている。
この違いがどんどん遊離していって、
ココロの言葉をメッセンジャーで打つということができなくなるのでは?と
思うようになったんです。
なんか頭とココロが遊離している
そんな気がしてきたんです。
手紙の良さ、
それはココロで考えて、
それをしたためる事によってココロが伝わるんではないかなと。。。
メールやメッセンジャーは否定してるわけではないんです。
手紙を無くさないことの大切さ。
これが言いたいんです。
巻物の手紙とまでは言わないけど、
手紙は残したい文化です。