超訳 二水遺稿〜4曲目「明日にかける橋」
BGM サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」
富山市に今は観光地にもなっている豪農の館内山邸(富山県民会館分館)がある。内山家はかつて千石地主とも呼ばれた越中の豪農。昭和52年に第21代当主 李友氏から富山県が有償で譲り受け、翌年に富山県民会館の分館として、現在に至っている。
と、静かな書き出しだけれど、内心は凄く興奮している。前回、芳野魂鼓吹吟詩集(スーパー漢詩人たちのスーパー漢詩集)の編者辰巳長楽に、大橋二水を推薦したのは、徳富蘇峰ではないか?と考えたのだけど、どうやらなんだか本当にそうかもしれん。
鍵は内山家第12代当主松世(漢詩名 外川)にある。内山外川と徳富蘇峰の縁はすごく深い。蘇峰は内山邸も訪れている。(ちなみに犬飼木堂(毅)も親交が深い。なんと犬飼木堂の漢詩も芳野魂鼓吹吟詩集に掲載されているのだ!)
色々資料読んでみると、内山外川と徳富蘇峰はもう今の感覚で言うなら親友に近いと思う。徳富蘇峰博物館の書簡の記録も他に比べると断然多い。
その内山外川と大橋二水が意外なところで繋がる。大橋二水の漢詩の師、木蘇岐山(連載始めてやっと岐山が出てきた)だ。
明治の芸術家、森琴石の知縁交友の記録に木蘇岐山があるが一瞬で僕の目の前に入ってきたのは、これだ。
「明治二十五年翁遷って越中小杉に寓し、帷を下して生徒に教授し、月三社を設けて詩を教へた。
門下から松尾立西、大橋ニ水等諸人を出した。
又島田湘洲、内山外川等と湖海吟社を富山に興した。」
木蘇岐山を通して内山外川と大橋二水は繋がる可能性がある。
僕は二水と内山外川が繋がる証拠がこの「二水遺稿」にあるような気がした。
見つけた。
訪内山外川
主人待我眼先青 交只存心不在形
対座思詩黙無語 蛙声如雨満門庭
超訳
待っている。友が待っている。
静かに待っている。
柔らかに緑が風に揺れている。
心があればいいじゃないか。何もなくてもいいじゃないか。心が繋がればいいじゃないか。それだけで。
待っている。友が。
二人で黙って向かいあう。
ただ言葉もなく詩を思う。相手を思う。
心があればいいじゃないか。
何もなくてもいいじゃないか。
蛙の声が庭を満たす。
まるで雨音のような壁が私達を内面へと深く深く誘う。
私達は心を繋ぐ。
なんて、涙が出そうな詩なんだろう。そして、二水と外川はなんて純粋な友情を育んでいたのだろう。
ああ、おそらく徳富蘇峰は(それまで面識があったにせよ)親友の外川からの強い勧めで二水と知己を得た。
大橋二水の生き方に触れた。その詩を知った。
感動したに違いない。それだけは確かだと思う。
内山外川の時代に彼は茶室を三つ作っている。もしかしたら、二人が蛙の雨音を聴いたのはその茶室の一つかもしれない。名を「夜雨廰」という。
大学生の頃、サイモン&ガーファンクルをよく聴いた。雨音のような歌に癒やされた。
僕は孤独だった。
Painter kuro