超訳 二水遺稿〜6曲目「私は風」
BGM 「私は風」カルメンマキ&oz
藻谷海東という人物がいる。二水の漢詩の友人であり、歌人の藻谷銀河の父であり、甥の片口江東に最初に漢詩を指南した人物である。
この海東、僅か41才で早世している。越中で自由民権運動を啓蒙した人物でもある。
二水はこの海東の死によほど思いがあったとみえて、二水遺稿にも彼の死を悼む詩が2篇あった。
僕は最近死に関して敏感で、それはコロナのせいでもあり、僕自身故かもしれない。
人が人を見送ることに関して、僕達の祖先はとても自然でとても美しい。まるで夕陽が沈んでいくように、過度な感傷もなければ諦観もない。穏やかで優しい。
二水の漢詩で絵を意識したのは初めてだった。僕は黄色の絵の具を画材屋で買ってきた。
黄色は風の色と言ったのは、誰だったろう。
藍田荘次外川席上詩的書感
四十年前訪此園 満蓑烟雨記黄昏
海東仙遊外山去 重到白雲紅葉村
超訳
四十年前私はここにいた。
黄昏の中、雨が降っていた。
雨の中を歩いていたたくさんの無表情の人々の群れを見た。黒一色の雨合羽。
時間が交錯する。
愛する友人は未来に消えたのか、この地に消えたのか。
私は再びここにいる。
紅い葉が風に流れる。雲がやってくる。
たくさんの無表情の群れの中を君は歩いている。黒一色の雨合羽を着て。
風が優しく私を撫ぜる。
何年前になるか。まだ僕が東京で活動していた時分だ。あるイベントで、ライブペイントをすることになった。吉祥寺のマンダラ2だった。
ゲストにカルメンマキさんがいた。僕は緊張でキチンとできたかどうか。カルメンマキさんと一緒にするんだよ、と言うと父はそりゃ、すごいね、と喜んでくれた。僕が父を喜ばせてあげれたのは、あとは希望の高校に合格した時位だ。
カルメンマキ&ozの「私は風」を聴きながら深夜バスで京都から家出してきたんです、と言っていた女の子も見にきていた。
女の子は結婚して幸せになった。
父は、無表情で黒い雨合羽を着て歩いている。
Painter kuro