詩誌「光」 為平 澪
「降り積もる雪のように 」
あなたの望む
あなたにおなりなさい
例えば雪のように
柔らかく白く
降り積もりなさい
やがて踏みにじられ
汚されて逝く
その傷や痛みを
涙や嘘で繕うのです
そうして白い瘡蓋で
覆うのです
人はまるで
降り続ける白い粉雪
自分を掘り下げるように
自分を重ねて行く
「夜の中」
電灯を持って 夜を渡っていく
陽に炙り上げられた煤けた空は
山影に 明かりをしまう
小指ほどの電灯をつけようと ボタンを押す前に
避け切れない車のライトに 身体は轢かれる
カーブミラーは 車が去ったあとの
痕跡を静かに見つめるだけだ
前方の二階の窓は火事
その隣の部屋で殺人事件が起きていた、と
ゴミ置き場のポスターの男が
赤い部屋へと指をさすが
交番の巡査は異常なしの欄に〇を書く
書いた〇は交番の玄関で赤信号より赤く灯る
濃いメイクの女の顔が得意そうに目配せを送り
それが私の肋骨の隙間のあたりを通過していく
私は照らされ轢かれて 見つけ出されて跳ね飛ばされて
砕けながら千切れた左手で傾く首を持ち上げ
何とかまっすぐ歩こうと 追いつけない足を𠮟りつける
コンビニに辿り着く前に恋人と
動かない舌で話をしたような気がしたが
店員に中身のない財布を量りに乗せたら
全てなかったことになっていた
帰り道はさすがに暗いと思い
小指ほどの電灯のボタンを
押して足元を照らしたら
うしろから私がついてきた
左手首で首を斜めに上向かせると
見たままの空が頭の上に貼りついた
星空は私と一緒に動くので
星はどんどんひっかかり
歩くたびに背中が
みるみる重くなる
足元を照らしていた電灯が
地面を昼間に仕立て上げるころ
夜に泣いていたのは
赤ちゃんではなく
おばあちゃんだった、いうことが
明るみに出ていた
あのトタン屋根の二階の火事も殺人事件も
帰る頃には交番の手柄になっていたのに
入口の〇は更に赤い灯を点して浮いていた
巡査は濃いメイクの顔の女と旅に出た、と
掲示板には書いてある
行き先はゴミ置き場の男が指示したらしい
私はカーブミラーから
必要な記憶を取り出すと 家路を急ぐ
頭に貼りついていた星が流れ始める
流星群の日は人がいっぱい死ぬのかなって
一緒に空を眺めて星になった友人のことを
下から見上げる
大きなドラムカンに何かを燃やし続けている家の畔の
大きな橋を渡ると 体は五体満足になっていた
坂の上の三叉路の三体のお地蔵さまに
お菓子を供えると
私の家の入口が開くのだという
*
私に名前は 未だない
「転がる」
交差点で行きかう人を 市バスから眺める
私には気付かずに
けれど 確実に交差していく人の、
行先は黒い地下への入口
冷房の効きすぎたバス
喋らない老人たち
太陽に乱反射する高層ビルの窓
その下に黙ってうつむく黒い向日葵
通り過ぎていく冷めきった人間たち
バスは座席からこぼれつづける多くの会話を
次の停留所で吐き出しては
また、新しい言葉を積んでいく
── 梅田の一等地あたりのマンションでいくらですか
── ロッカー、どっこも空いてないやん
── あの人いっつも家柄の自慢ばっかりやんか
『次は土佐堀三丁目』
大阪に網羅する血管の、
血が通っている所と、通わなくなった所
その、間の駅で降車する
改札口から吹き抜けていた風が
日照権のない平屋へ足を運ばせる
夜は 独り缶詰の底に沈んでいる家族の事などを想い
職場でハンマーを振り上げては
゛目玉焼きになる゛と 笑う父の姿が濃くなっていく
角の路地を出れば 小さなガラスケースの中
ウインナーとトースト、そして目玉焼きが
モーニングメニューとして
日焼けし、蝋細工の色は欠け落ちたままだ
違ってしまったのは
そこに何十年と通い詰めていた男が一人、減ったこと
一つ番地が消えたこと
以外、
変わったことなどさしてない
駅に向かう私を市バスたちが追い越していく
夕陽は黙ってうつむく私見つめて沈む
誰にも気づかれず死んでいく者の数を
あの赤い空は知っているのだろうか
*
高架下の交差点で
誰かに放り棄てられたビール缶が
どこまでも転がっていく
ガラガラと音を立て うろつきながら
どうしようもないことに
つぶされないように
横切っていく
私も素知らぬ顔をして
横断歩道を渡っていく
コンビニに入ると
店員はビール缶を棚に出しては
いくらでも並べてみせた
その手の裏側の方から
サイレンの音が鳴り響く
「ぼく」
「吐き出してしまえば、その場で楽になれる場所」として、ぼくは作られた。
誰かの口から出る汚物、言葉も想いも退廃物も全て受け入れるための便所。
ぼくは黙って暗い場所で口を開けていればよかった。美しくなろうとも思わなかったし、それどころか美しいというものがどういうもので、どういうことなのか、もう覚えてはいない。風も届かない。けれど風が吹いたなら、ぼくからは臭い匂いが流れると人は言う。ぼくの白かった服は、今では落書きと傷と落ちない汚れに塗れて、そのあとは、それを付けて行った人たちについて沈黙していればよかった。そしていつか、きれいに壊されてさっさと消滅することだけが、ぼくの一番望んでいた未来だったのかもしれない。
── その人が来るまでは…。
その人はぼくの服を丁寧に手洗いして、ぼくの臭い口を濯いでくれた。白い服を着たその人は、とてもいい香りがした。ぼくとは遠い所にいる人だとすぐに分かった。その人は一日置きにぼくの体を洗ってくれる。やめてほしい、と思った。くすぐったい、と思った。そして、うれしかった。そんな喜びがこみあげてくる自分が惨めでしかたなかった。
── 期待させないでほしい。ぼくの所には汚いものが似合うのに。それを吐きにくる人のために作られたのに。君のように場違いで、ぼくより年下の、いつか世の中を知ってしまえば、ぼくがどういうモノであるかについて、一番先に土で隠そうとする階級の人にだけは、やさしくされたくなかった。そしてそれを「やさしさ」と認めたくもなかった。
その人は一年を通して二日に一度やってきて、ぼくの服を洗い身体をくすぐり、口の中をきれいにしていく。ぼくはその人にお礼を言いたかったけど、ぼくの口は言葉を沈めることができても発することはできない。ぼくが存在できるのは、ぼくが人の捌け口として役に立ち、利用できるから、それだけだ。ぼくがいなくなってもそこに更地が出来るだけで、また置かれる新機能付きのぼく。全ての人にはそういう話なんだよ。何度も自分に言い聞かせながら、やってくるその人の優しい手と真心のようなものを感じて、夜になると泣いた。
うれしいこととかなしいことが上になったり下になったりして、ぼくの中で処理して沈めることが難しくなり始めた。汚れてさび付いてやがて罅割れていくぼくの夢の先に、もっと深遠で、罅割れていないぼくの塊が輝いて見える。いやだ、そういうものをあの人に見せるのは! それを言葉にしようとしているぼくは、なんて卑しいのだろう…!
あの人はいなくなった。
夜しか外に出ることができない人だった。陽の光に皮膚が耐えられない病気を抱えていたと噂で聞いた。夜に病院を抜け出して、バケツを持って徘徊するキケンな人だと人々は言った。
ぼくは言いたかった。
彼女は夜、ぼくの服を洗って身体を拭いてくれたんだよって。彼女は精一杯生きていて、みんなが使う一番汚い場所をきれいにしてくれたんだよって。そして今、人が指さすキケンな人として住民たちが彼女の体を切り刻み、ぼくの口から腹の底へと投げ込んだのだよって。
ぼくは…、ぼくは…!
ぼくは口を開けて みんなにみせたい!
「単細胞」
本能だけで生きている
あられもない自分のこと以外知る由もない
けれど真ん中に込み上げる淋しさについて
幾度も躓く
単細胞は一つであるということ以外何も持たない
【自分でいる、自分がある!】
当たり前の事を言いまわる
むき出しのバカの自由(それでいい)
淋しさは淋しさを呼ぶ
やがて卵子と結合し
一体感を得た途端に分裂が始まった
見る
触れる
聞こえる
感じる
味わえる
単細胞は五感をフル活動させ
多細胞で固められた人間組織として歩き回る
学んだ
体験した
人付き合いも覚えた
疲労した
沈まない多くの夜に目を凝らし
陰りのある朝の中を歩き続けた
なのに
学べば学ぶほど
人に出会えば出会うほどに
単細胞は 淋しくなった
単細胞は
賢くなりたかった
勉強したかった
そして 偉くなりたかった
しかし組織は管理と監視を続け
同じ組織の中で生きる単細胞同士でも
裏切ったなら 他愛もなく壊死させた
自分が息継ぎをするためには
相手の息を止めるしかない
疲労し老い、追いやられていくものたちを
単細胞は眺めるしかなかった
真ん中の肉を削り取るような隙間風が
どんどん通過していく
その風に運ばれていく
夥しい自分であったものたちを見送り
そしていつか自分も
そこにいくということを知っていた
単細胞が歩いて、歩いて、学んだことは
これ、一つ
空を見上げて
【自分でいる、自分がある…!】
昔なら簡単に言えた言葉に押しつぶされて
バカみたいに青を滲ませて彼は泣いた
*
頭上の空はどこまでも高く、広く、
単細胞が生まれた時のそのままで…。
為平 澪 (タメヒラ ミオ)
第22回詩と思想新人賞受賞。
詩集に「割れたトマト」「盲目」(いずれも土曜美術社出版販売)
詩、絵画、歌、写真、イラスト、いづれも、表現することが好きです。