どこかがズレていた
何となく「違う」と感じながら生きていた。
周りと違うところと言ったら「忘れ物が多い」「集中力が切れる」くらいだろうか。
授業は聞ける時と聞けない時があって、聞けない時は机の上で遊んでいた。走り回るとかはしなかったけれど、机の上で遊んでいた。
一対一、大人と接する時はなんの問題もない。
ただ、同年代や集団で集まる場所となると、本当に空気が読めなくなる。
大体やらかすのだ。幼い頃はお菓子を勝手に食べ出すとか、先生からの「じっとしてて」という指示を忘れて歩き出すとか、集中力が切れて泣き出すとか。とにかく忘れる。集中してたことを忘れるし、指示も忘れていた。
指摘されるたびに「なぜ忘れるのだろうか」と後悔していた。
常に心ここにあらずな子供だったらしい。昔から話を聞いてるんだか聞いてないんだかわからないといわれていた。常にぼんやりしていて、いつのまにか「現実とのずれ」を感じていたと思う。
現実からずれる時間が増えてきても、その実感はずっとなかった。さっきまで話していたことを忘れることが増え、記憶のない出来事を指摘されるようになる。いきなり友達のことを本名で呼び出したり、自分にはできない頭の使い方を求められるようになったらしい。
指摘を受けるたびに現実からいった。隔離されていった。記憶はある。出来事はつながる。でも感情の7割くらいしか感じない。そんな毎日だった。むなしくて寂しくて、それすらも押し込んで何も感じない、ただピエロのようにくるって笑っていた記憶しかない。中学の頃の馬鹿を演じる癖がそのまま残った。
どこかがマヒした状態で過ごした学生時代を終え、現在はほぼニートの一人暮らしをしている。今までのずれのほとんどが解離が原因だと知ることになり、訪看と主治医と協力しながら解離と向き合う練習をしている。
今も心は内側にあって守られている。離人というのが近しい表現なのだろうが、私は離れるというよりも内側に入っている。感情をフィルター越しに受け取。ダイレクトに感じるっている感覚だ。直接感じると痛くなる。フィルター越しに感情を感じていたい。それが楽。
でも、いつかこの内側の世界で守られる日々ではなく、自分の心で感情を感じられる日が来るといいな。と思えるようになっていた。