人類の「考える」を辿る旅~ “哲学と宗教全史"で見つけたAI時代のヒント~
年始にnote書こうと思ってたらちょっと時間が過ぎてしまいましたが、久々に読書メモ書きました!思ったより長くなってしまったのですが、備忘的に残しておきます。
読み始めたのは2024年末なのですが、2024年は新しいコミュニティや組織でさまざまな価値観に触れる機会が増えた年でした。そこに触れる中で価値観や思想が体系化された哲学や宗教というものについて、自分なりに理解を深めてみたいという想いが強くなりました。また、職業柄生成AIの目覚ましい進化を日々感じるなかで、「人の考え方や価値観はどんなふうに変化していくのだろう?」という妄想を膨らませる毎日を過ごしていました。
そんな好奇心を抱えたちょうどそのとき、同級生の仲間と3年ほど続けている読書会で『哲学と宗教全史』を読むことに。
本書『哲学と宗教全史』は、古代ギリシャから現代までの100人以上の哲学者や宗教家を、歴史と思想の流れに沿って体系的に学べるようまとめられている一冊です。歴史の大きな流れのなかで、「どのような文化的背景の中で、どの人物がどのような宗教や哲学を生み出してきたのか」を、東洋と西洋を横断的に理解できる点が特徴になっています。
読んだ感想の全体感としては、非常に良書で読んで良かった!と言うものでした。また、特に今この時代に読んだからこそ面白く感じられた部分も多々あり、3つの観点から整理して記録に残したいと思います。
第1章:新しく学べたこと
今回読んだ『哲学と宗教全史』を通じて、特に新たな学びとなったことが2つある。
1. 近代哲学への理解とのつながり
まず1つ目は、自分自身が近代哲学の影響を強く受けていることを改めて認識できたこと。
これまで私は近代哲学や西洋哲学について深く学んできたわけではなかった。抽象度の高い思考は好きでも、自らの気づきと他の人の論理体系を重ねることまではしてこなかったのだ。しかし、本書を読み進めるうちに、普段の生活で用いている「言語が世界の捉え方に影響を与える(ソシュール・ヴィトゲンシュタイン)」「選択した行動が自分自身を形づくる(サルトル)」といった考え方が、まさに近代哲学的な発想だと気づいた。
特に、ヴィトゲンシュタインの「言語の使い方が異なると、世界の捉え方も異なる」という言語運用の考え方は、深く考えてみることにした。(第3章にて考察)
2. イスラム教への理解が少し高まったこと
2つ目は、世界三大宗教のうち最も理解が低かったイスラム教について、少し知見が広がったことだ。これまでは、信仰されている地域や行われている儀式をぼんやり知っている程度だったが、本書で学んだイスラム教の特徴は非常に興味深かった。
ムハンマドのバックグラウンド
他の宗教では預言者や思想家、宗教的指導者としての側面が強調されるケースが多いが、ムハンマドはもともと商人として活躍し、その後は軍を率いる指導者や政治的リーダーとしての役割も担った。そうした一般的な社会生活の延長から発展した宗教であることが非常に特徴的。商業や経済活動と宗教が密接につながっているからこそ、現実的・実務的な視点が教義にも関わっていると感じた。一方で、そうした密接さゆえに、偏見や誤解が生まれやすいのかもしれない、とも思った。
信仰表現
イスラム教では偶像崇拝が厳しく禁じられており、礼拝や祈りの中心にはコーランのアラビア語による朗誦が据えられている。多くの宗教が布教の過程で教典を各言語に翻訳して広めていった一方、イスラム教は「アラビア語の原典」を神の言葉そのものとして大切にしてきたため、翻訳には「解釈」という位置づけにとどまる。
こうした信仰表現には、言語の音やリズム、そしてニュアンスを余すところなく伝えたいという考え方が色濃く表れているように感じた。耳から直接、神の啓示を受け取ることで言葉の深みを保つという考え方が非常にユニークだと思う。
女性に対する考え方
複数の妻を迎える制度には、戦争が多かった時代に女性の困窮を防ぐ意図があったことや、女性の財産権を認める点など、女性の権利を尊重する姿勢が備わっていることを初めて知った。
ムハンマドの商人としての経験が、公平性や実効性を重視する価値観につながっているのだろうと想像すると、宗教と社会背景の深い結びつきがよくわかる。
第2章:歴史の中で繰り返されていると感じた事柄
本書を読み進めるなかで、「人類史における哲学や宗教は、特定の時代や文化に一度きり生まれたものではなく、さまざまな場所や時を経て似た形で立ち現れては変化点として存在していた」という点がとても印象的だった。
気候変動などの環境要因から、大規模な戦争や社会変革、さらには科学技術の発展まで、多様な背景に応じて、人々はそれぞれの時代に合った世界の認識の仕方・解釈としての哲学や宗教を求め続けてきた。ここでは、そうした繰り返し現れてきた事柄を備忘録的に書き残しておく。
1. 地球規模の知的探究の始まり
古代ギリシャ、インド、中国などの地域では、ほぼ同時期に哲学や宗教の探究が盛んになったとされる。これらの地域に共通する背景として、地球規模の気候変動、道具の進化が人々の思考に大きな影響を与えた。一地域の問題ではなく、地球規模の環境要因が「探究の時代」をもたらしたと考えられるのが面白かった。
歴史的な事実
・気候変動による農業や生活の安定により、生活に余裕が生じた。これが地球の各所で同時多発的に起こっていた
・余裕が生まれると「世界はどう成り立っているのか」「なぜ生きるのか」という問いを探究する傾向が強まる。
2. 知識とイデオロギーの役割
多くの人々を統治するには、ある程度体系化された知識やイデオロギーが必要になる。統治者は、哲学や宗教といった概念を手掛かりに人々をまとめ、社会を安定させようとしてきたのだ。一方で、社会や文化の変化そのものが新たな哲学の登場を促すこともあり、統治と思想は互いに影響を及ぼし合いながら発展していくと言うのが、東西問わず共通する点が興味深かった。
歴史的な事実
・人の統治、社会の変化促進に哲学も宗教も使われてきた
・宗教と哲学の大規模アップデートは時代の変化点に存在していることが多い
- 統治者による社会全体の価値観や規範を共通化する“イデオロギー”としての活用
-社会が大きく変化する局面では、新しい理論や価値観が創出されやすい
・戦乱の世に外敵が現れると、支配層や知識階級に批判が集中しやすく、それまでの思想や宗教が大きく揺さぶられることも少なくない
・統治には官僚制度や人材育成を担う余剰労力が必要。そのためには、生産力・文化・技術的な豊かさや仕組みがつくれることが前提となる。
3. 宗教と哲学の違い
現代では「宗教」として認識されている多くの教義も、その誕生当初は哲学的・探究的な営みから始まった可能性がある。社会的・政治的に取り込まれる過程で組織化された「宗教」へと変容してきたともいえるのかもしれない。
こういった流れがあったのかもしれない
・誕生当初は「真理を見つけたい」「自分の考えを伝えたい」という個人の探究心から始まる
・周囲の人々が「これは素晴らしい」と賛同し、さらに社会が制度として取り入れることで「宗教」へと体系化される
・統治者や支配階級が利用しやすい形に整備されると、信者を増やしていく一方、教義が画一化されやすくなり、独自の権威を形成しやすくなる。
4. 人が拠り所を求める性質
人間は安心や希望を必要とする存在であり、そのためにどんな形であれ自分たちの生きる世界・社会を理解・解釈したいのだなと感じた。そのためにどんな形であれ世の中を理解するための体系的な考え方として哲学や宗教が発展することを繰り返してきたのだと思う。世の中を理解するための科学が発達したが、今なお「どう生きるか」「どのように救われるか」という問いは残っているので、回帰するのかもしれない。
歴史的な事実
・戦乱や災害、疫病などが頻発する時代ほど、精神的な支柱への需要は高まる
・そうした世の中では、宗教的儀式に時間を割いて取り組むことが難しくなることもあり、より宗教者が一般市民の代わりに救いを求め救済するという仕組みや考え方が発足することもある
・大乗仏教のように「すべての人を救済する」という理念を打ち出す宗教もあれば、カトリック教会の贖宥状のように「対価を支払うことで救われる」という制度が生まれる例もある
第3章:気づきと今後考えたいこと
本書を読み進めるなかで、2点深く考えてみた。
1つ目は、西洋と東洋の社会構造に対して、宗教や哲学がどのように影響を及ぼしてきたのかという点。
2つ目は、言葉がもつ本質的な特性と、近年発展の著しいLLM(大規模言語モデル)への向き合い方。これらの事実と私自身の考えを整理し、今後の学びや行動に役立つよう記録に残しておこうと思う。
1.西洋と東洋の社会の仕組みへの宗教や哲学の影響
本書の中で明確に主張されているわけではないのですが、読んでいく中で「宗教的な考えの社会規範への結びつきが西洋と東洋で異なる」と感じた。
そう思うに至ったポイントを抜粋し、解釈を整理した。
宗教の違い:東洋と西洋の宗教が社会規範にどう影響を与えてきたか
西洋
神との契約や罪と赦しを中心とし、個人の信仰が強調されている。たとえばキリスト教では、神が絶対的な道徳基準を定め、それに従うことが社会規範や法の根底にあった。
東洋
儒教は倫理・哲学として機能し、家族や社会秩序を重視する。法や制度にも道徳観が組み込まれ、社会全体の調和を守る仕組みを支えてきた。
仏教は儒教を補完する形で、精神的救済や自然との調和を提供。個々人が心の平安を得るための要素が強く、社会秩序との両立を図ってきた。
発展の仕方:社会や政治との関係を通して宗教・哲学がどのように発展してきたか
西洋
ルネサンスや宗教改革を経て、宗教と政治の役割分担が進んだ。
理性や科学の発展により、道徳や法律の基準が宗教から離れ、世俗的・合理的な価値観に移行。
東洋
儒教的な倫理観が、国家の安定や教育制度の根幹として組み込まれた。
現代に至るまで、社会や家庭の秩序維持の基本に儒教思想が残りつつ、近代化の過程で西洋的な法治主義を取り入れている。
宗教と哲学の分離、なぜ分かれたか
西洋と東洋が異なるルートを歩んだ背景として、宗教観や哲学の扱われ方の差が大きい。宗教と哲学の関係性を一言でいうと、宗教の中に哲学が包含されているのが東洋で、西洋の方は宗教と哲学が分離して発展したと理解した。
西洋:
西洋ではキリスト教は「一神教」のため、神を絶対的な基準とする世界観が根付いた。これが、哲学や科学とぶつかりやすい土壌を生んだ。
東洋
東洋では、宗教が必ずしも「絶対的な基準」を主張せず、社会や自然との調和を重視。この柔軟性により、宗教・哲学・倫理が相互に補完的な関係を築き、分離する必要が少なかった。
考えたことまとめ
これらに加えて宗教は、その時代や社会状況に合わせて解釈や運用が変化したというのも学びだった。聖典の内容や教義が絶対的に固定されているわけではなく、人々の生活や文化、技術の進歩に合わせて解釈の幅や重点が移り変わっていく。
東洋のように複数の宗教・思想を柔軟に組み合わせる文化もあれば、西洋のように一神教を基盤に深い対立や分離を経て哲学と宗教が分化していく文化もある。しかし、グローバル化が進んだ現代においては、東西それぞれの強みや考え方を取り入れた新しい社会規範や倫理観が形成されつつある。
とすると、今後もまた世の中に求められる形で、宗教における聖典の解釈や信仰の仕方は変わる可能性があるのと、東洋的な考えと西洋の考えが融合していく現代でどう変化しうるのかは興味深いなと思った。
2.言葉というものの性質とLLMの発展への向き合い方
宗教や哲学の議論を追いかけるなかで、改めて「言葉がもつ本質的な性質」に興味が湧いた。とくに、ウィトゲンシュタインが提起した「言語ゲーム」の考え方は、現代のSNS文化や自動翻訳、そしてLLM(大規模言語モデル)の発展を考えるうえでも重要な示唆があるように感じたのだ。ここでは、本書や自分自身の経験をもとに、言葉の文脈や背景の違いによる誤解、そしてAI時代における人間の役割について整理してみたいと思う。
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」とは?
ヴィトゲンシュタインの言語ゲームについて、本書では下記のように述べられている。
言葉のズレとSNS文化における影響
現代のSNS上で頻発する誤解や対立の多くは、この言語ゲームの概念から説明できると考えた。異なる文脈や言語背景を持つ人々が同一のプラットフォーム上で交流する際、表面的には同じ言葉を使用していても、その意味する内容や範囲に大きなズレが生じていることもあると思う。
この問題はSNSの特性上、以下の要因によってさらに複雑化してる。
異なる言語ゲームのルールを持つ集団が即時的に交流する
文脈の共有が不完全な状態でコミュニケーションが行われる
短文での発信が中心となり、詳細な説明や背景の共有が困難
自動翻訳やLLMの技術的課題
LLMの発展により、高度な自動翻訳や文章生成が実現されつつある。翻訳の過程で時代背景や文化的文脈が省略されたまま「それらしい」回答が出てしまうこともあり、母国語話者からすると違和感のある翻訳を見かける場面も増えてきたと感じる方も多いのではないだろうか。
今回の考察の中で、以下はまだ課題として残ると考えた。
文化的背景や時代性を含む概念の適切な変換の困難さ
言語間で完全な対応関係を持たない概念の翻訳における課題
文化的文脈が異なる場合の適切な補足情報の付加方法
ここを乗り越えてよりよい対話をするためにはどういったアプローチがあるのかは継続して考えたい。
考えたことまとめ
ウィトゲンシュタインの言語ゲームをはじめとする「言語と文脈」の考え方は、現代のSNS文化や自動翻訳・LLMの登場によって、その重要性がますます高まっているように思える。
言葉は使われる場や人によって異なるルールや背景を含んでおり、同じ単語でも意味がずれてしまう可能性が常に潜んでいる。これは人間にとって厄介な問題である一方、相互理解を深めるための鍵ともいえるのではないか。
今はまだAIには、中長期的に複雑な文脈を踏まえ、人間と同じように共に紡ぐことはできない。
たとえば、「共通のゴール」や「同じ価値観」を前提にした微妙なニュアンスを、長い時間をかけて一緒に“編んでいく”ようなコミュニケーションは、まだ人間ならではの強みなのではないか。
AIの役割が広がる一方で、こうした「文脈を共に作り上げる力」をどう活かすかは、人間の価値を再確認するうえで非常に重要なポイントになるのではないかと思う。
全体まとめ
改めて本書は人類の思想史そのものを俯瞰できる点が面白かったです。加えて、今回は比較的時間に余裕があったおかげで、本をただ読むだけでなく、理解を深めるための4つのアプローチを実施できたのが学びとして大きかったと感じました。
具体的には、
COTENRADIOを聞いて時代背景や人物像を物語的に深掘り理解し、
シェアハウスで同じテーマに興味のある仲間と意見を交わし、
読書会で本を軸にした対話を行い、
さらにはChatGPTとの音声会話と文章で壁打ち
をしながら思考を整理しました。
読むだけで終わらせず、自分の興味どころをはっきりさせてまとめるプロセスを踏んだおかげで、学習満足度が大幅に高まったと思います。
また、これまではテキストでアウトプットすることで整理してきましたが、概念の輪郭がまだ曖昧なうちは、音声による対話形式が相性が良いこともわかりました。ChatGPTを使って音声会話することで、書くよりスムーズに思考を深められた場面が多々ありました。
一旦今回はnoteにまとめましたが、哲学や宗教の分野は沼だとも感じました。今回の学びをゴールではなく、日常的に頭の片隅に置きながら、折に触れてまた考察していきたいと思うので、もしこういったテーマを語ることに興味がある方がいればお話ししましょう〜!