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感情も心も、ときどき捨てたくなる


人の見方って人それぞれで、そんなことはわかりきっていたのだけれど、いざどう違うかを言われたら戸惑った。

私の苦手な人を、他の人が「溜め込みやすい人だよね」と言っていた。

私はその人のあけすけな態度が苦手だったのに。


人がそれぞれの人に対する態度は違うし、それぞれの人の感じ方も違うけれど、こんな正反対な見方をするなんて。

やっぱり私はその人のことを「苦手」と思う気持ちで、人の見方に眼鏡をかけていたんだろう。

だけど、「好き」と思ったところで、また新しい眼鏡はかかってしまう。


そんなことわざわざ考えずに、目の前の人と会話して、同じ時間を共有すればいいのはわかる。

でも、もっといろんな角度から人を見て、理解して、分かりたい。

分かりたいというのはなんだか上からに聞こえるけれど、好きとか嫌いとか苦手とか、そういうのなく人をその人として見られるようになりたい。

自分の感情を制御するわけじゃないし、その気持ちを抑え込むつもりもないけれど、それとは別でもっと冷静に誰に対しても同じようにその人を理解できる基盤みたいなものを身に付けたい。


人に対しての温度感に高低差がない、フラットな接し方のできる人になりたいから。

でもそれはきっと誰に対しても同じ対応をすることじゃなくて、それぞれの人に同じように敬意を払うことだと思うのだ。

そして敬意を払うというのは、人の良いところも悪いところも知って、その上でその人の良い部分も私からは良くないと見える部分も、否定も肯定もせず見守ることだと思う。

だからやっぱり、人のいろいろな面を知りたい。


それにはどうしても、感情も心も邪魔だと感じてしまう。感情でバイアスをかけてしまうから。まだまだ未熟だ。



#エッセイ #日記 #つぶやき #大学生 #人間関係



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