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腫瘍の顔つきを見てみたいこと

私のがんは、最初のクリニックのMRIで撮られた写真ではスヌーピーみたいな形をしていた。

大学病院で撮られた画像でもちょっとスヌーピーっぽさはあった。

それ以来スヌーピーを見ると仲間のような身内にいる敵のような変な気持ちになる。

最初のクリニックではki-67の数値は低くて(8%だった)、穏やかなタイプだから、悪性腫瘍のなかではましなほうですというような言い方をされた。それでまあ穏やかならよかったよ、そうだと思ってたよとなんとなく安堵していた。

それが、大学病院で再度(クリニックから検体を取り寄せてもらって)病理診断してもらった結果、ki-67の数値は28%まで上がっていた。

だいたい15%以上とか20%以上とかだと高リスクに分類されてる。同じ検体でも異質性があるから少しは変動あるとは聞いてたけど、28%にもなってて少しびっくりした。主治医にその数値についてたずねると「こんなのあんまり参考にしない」とかなんとか、そっけない返答だった(それが今の主治医の1回目の診察。あの時は、ひどくそっけなかった。いまはあんなことない。共通言語も愛着も理解も、少しずつ築かれてきたものなんだなとあらためて思う)。
そして術後の病理結果では、ki-67の数値はなんと78%とかだった。これはさすがに「あんまり参考にしない」などと言ってられなくなるくらい悪い数値なのだった。

さらにgradeというのがありますよね、これもki-67と並んで"顔つき"という不気味な言葉で言い換えられたりする分類。1~3で評価される。gradeも高い方が悪性(増殖がはやい)らしいんだけど、これも私のがんは3(最も悪い)なのだった。「患者さんのためのガイドライン」を読んだけどgradeについてはあまり解説がなかった。参考のためにと小さく掲載されていたgradeの例をよく眺めて、その分類基準を推測した。

grade1の細胞たちは比較的大きさが揃っていて、透明の囲みみたいなのが基本で、なかに気持ち悪いぶつぶつみたいなのが少ない。grade2はちょっと大きさがいびつだけど、それでもなんとか整列しようとしているのは分かる。ぶつぶつはちょっと黒いのがある。そしてgrade3は見ていて悲しくなるくらい、滑稽なくらいめちゃくちゃなのだ。だれかが並べようとしたどんぐりを、あとからきたヤマネコが踏みつぶして、そこにつばやうんちや木の実をてきとうに散らかして投げつけたみたいな、どうしようもなく気持ちの悪い図柄なのだった。

grade3は「顔つきが悪い」というより、不器用で、明らか偽者なのに、人一倍はりきって、なんでも真似して増えよう増えようとしている。まさかとは思ったが、医師から私のがん細胞はgrade3だと言われたので、まずは受け入れるしかないのだった。自分はまるで、犯罪者になってしまった息子の顔を見なくてはいけないというおかあさんのような心境で「その写真を見せてください」と言ったが、主治医はその写真はここにはない、ぼくもみていない、というのだった。

そんなものですか…。と帰ってはきたものの、あれからときどき、やはりそのgrade3と言われた自分のがん細胞の写真が見てみたいと思うようになった。私の息子が犯罪者だなんて?まさかあの可愛かったあの子が?いままで反抗もしたことがないのに?病理医がそう言っているだけでなにかの間違いなんじゃないの?なんていう過保護の親のような心境にもなるのだった。

「顔つきが悪い」って言われても、こういう顔しか想像できないんだけど

どんな見た目か想像つかないけど、私はそれを見ておいた方がいいように思う。あと、なぜ病理結果の指標の一つにそのような言語(「顔つき」という、見た目についてのことば)を用いるのだろうか?という点に関してはなんだか不思議で、単なる好奇心で知りたくなる。
わたしは変な人間なのだろうか?ピンク色の、不揃いなどんぐりと地面を散らかしたような写真を見せてもらえたら、私はどんな感想を持つのだろうか?

患者がそんなものを見て、なんの役にもたたないとお医者さんは思うだろうか。だいたい病理の先生が判断するもので、主治医の先生さえ見ないものなんだから、そりゃ私なんか見なくていいんだろう、診断の役には立たないだろう、それは分かるけど。

何のためにとはうまく言えないけど、私はそいつの顔がみたい。
わたしはまだ、ここまできて未だに、病気になったことを信じきれない、受け入れ切れないということなのかもしれない。またもしかしたら、私の体のなかで変異しちゃってめちゃくちゃしちゃってるがん細胞への、ある種の親心というか責任感というか、愛着のあらわれでもあるのかもしれない。

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