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診察室にカリフォルニアの風

今日は先生に会った。
先生に会ってそのあと泣いた。
雪国なのにそこだけ蒸し暑い温室で泣いた。
泣きながらなんの涙なのかなと考えていた。
卒業式の涙に似てる気がした。
私、今日を卒業式にしたんだ。

9:20に病院についた。
診察券を入れたら先生の名前が出てきた。
カッコイイ旧漢字。
そうだ、推しについては、
名前の漢字だってカッコイイように見えて、
全文字、推す気持ちになるものなんだ。

待合室、予定の9:30を過ぎて、
いろんな人の名前が呼ばれていく。
ニット帽をかぶっている人はきっと、抗がん剤治療中か、終わって間もない人。私は今じゃ髪の毛もそこそこ生えて、投薬は続いてるけど元気な部類だ。指に怪我したくらいの人が、救急車を呼んじゃいけないんだから、
もう何とかやれる、ってとこまで回復したんなら、ただ会いたいからって教授の診察時間を5分もらっていいのかどうか、それが自分には分からなかった。5分ならきっといい、先生がいいって言ってくれるならきっといい。
だから、お別れは言わなくていいけど。だけど、お礼は言っておこう。

待合室のテレビはNHK教育の、趣味の手芸だか何だか
「くみひも」で作るアクセサリーを紹介してる番組だった。
色んな色の糸がぐるぐるぐるーとまわりながら
まあまあなスピードで縒り合わせられていく。

それを眺めながら、先生に話したいことを考えていた。
ちゃんと考えておかないと、そそっかしい自分が出てきて、
テキトウなことを言って、せっかくの機会をやりすごしてしまう
というもったいないことも、これまで何度か起きている。
気を確かに持っておこう。でも決めすぎないこと。
(推しに会える前は、みんなこうやって色々考えるんだろう)

9:50に名前を呼んでもらった。
私にも名前があって良かったな。
名前がない人はいないのかもしれないけど
私は自分の名前を呼ばれて安心した。

部屋に行くと先生は座ってた。
鞄をそこに置いてね。と置き場所を示してくれた。

どうだい体調は。

私は「大丈夫です」って言った。

「がん治療しながら生きることに慣れました」
って言ったら、先生が
そうか。思い通りにならないこともあるかもしれないけど、
そうやってね。
というようなことを言ってくれた。

あとで思ったんだけど、
私はあんまり人の言うことを聞かないタイプの人間だと思うけど、
なぜか先生の言葉は抵抗なく受け入れられる。スポンジが水吸うみたいに。
だから「思い通りにならないこともあるかもしれないけど」
という言葉を、あとになっても、よく眺めることができた。
これは鬱ポジションで生きるということ。
白黒でなくグレーをみとめて生きるということだ。

それから、仕事の方は順調ですか。

私は「はい」って言った。

それから、質問した。
「ねえ先生、もし私がH大を離れるとしたら」

先生は、ぐっと気を引き締めるような顔をした。
そういうこともあり得るもんね。
と言った。

「いま入っている治験をやっている病院なら、
移管してもらったりすることはできるんでしょうか」

ときいた。

先生は、
それは治験側が決めるから何ともいえないけど、
この治験をやっている病院に通うなら可能性はある。

と言った。

そのあと私は「こないだ、M先生と音楽やりました」って言った。
M先生は、たぶん先生の友達なんだ。(たぶん)
そうなんだ音楽、いいですよね。
と言って、先生は私に、何やってるんだっけ。ときいた。
(知ってたみたいなさりげない聴き方。先生質問うまい)
私は「声楽です、昔やってたんです」って言った。

「先生も音楽やりますか」ときいたら、
先生はえへへへと笑って、やれたらいいなーと思ったりはします。
と言っていた。
「先生、好きな歌ありますか」ときいたら、
歌はないない・・・と言いながら、でも少し思いついてたみたいだった。
「1曲だけでいいです」と先生に言ったら、いやいや。
というので「英語の曲ですか?」ときいたら、
英語?英語だとねえ・・・あれかな
と、先生は英語の曲なら教えてもよさそうなムードになった。

私も知ってる曲だった。
あれだ、サビがカッコいい曲だ。
うれしくなって
「そうですか、カッコいいですよね!」
と言ったら、先生は自分がカッコイイって言われたときみたいにいやいやと言ってニコニコしてた。
「先生歌うんですか?」
ときいたら、先生は歌わない歌わない、と言ってニコニコしてた。

それから、「私の友達がきのうここで手術していただいて」
と私は言った。先生は、そうなんだ、誰?ときいたので
私は友達の名前を言った。

そしたら先生は、電子カルテに
・・・・・さんと友達、っと。
と書きこんだ。
「そんなの書いてくれるんですね」と先生に言ったら、
すぐわすれちゃうから、と先生は笑っていた。

「自分のときのことも、思い出して」
「お世話になりました」
と、先生に言いたかったお礼が言えた。

「またもし本当にさよならになったら来ます」

って言った。
先生はそうしてね、って言った。
まださよなら言わなくてもいいよ、また来てもいいよって言ってるみたいだった。

わかんないけど。でも。
でも、先生と話せて安心した。

先生の好きな曲、何回も聴いちゃおう、
弾き歌いのレパートリーに入れよう。
と思った。カッコイイから。

先生大好き。というのは言わなかった。
言っても困らせるでしょ、だけど私先生大好きなんだよね。

推しの効能で、私はがん治療をなんとか受け入れて、
溺れそうな息ができないとき、ずっと先生の存在にしがみついてた。
それから少しずつ少しずつ自立して、
少しずつ距離とりながら、ときどき先生がいること確認しに戻って、
また安心して少しずつ離れて、また戻って・・・を繰り返して、
いまここまできたんだ。
(大人なのにこういうことが必要だったのは、
私が愛着の問題を抱えた人だったからなんだろうけど。心強かった。)

受け入れるっていうのは特に明るい気持ちというわけじゃなくて、
もっとグレーでマーブルで、淡々とした気持ちなんだ。

先生を近くで見られて、数分話せて嬉しかった。
今日の推し活報告はこれでおわり。
(私も忘れちゃうから、書いておくんだよ。)

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