いまさら、ミッドサマー。見終わってから、ずっと怖い
怖くて絶対に見ないようにしようと思っていた映画「ミッドサマー」を昨日観た。
※本当に今さらですが、いやな気持ちになったまま、
ついつい考えちゃうので
書いて吐き出します。
以下、ネタバレを含みます。
とにかくミッドサマー、恐ろしい予感しかしなくて
意識してわざわざ避けていたが、どこかでずっと気になってた
「観てみてもいいかな」と思うようになってしまったのは
ミッドサマーの監督の作品と知らずに、先に「ボーはおそれている」をみてしまったことからだった。
「ボーはおそれている」は、面白かった。
観たあとで(え?「ミッドサマー」の監督なんだ・・・じゃあ、もしかしてやっぱり「ミッドサマー」も面白いのかも)
面白い映画にもいろいろあるが、私にとっていいおもしろさを持つ映画とは、観たあとの数日~長かったら2週間くらい、ことあるごとに回想してしまい、それに対する捉え方もどんどん上書きされていくような映画のことだ。
映画の回想と、捉え方の度重なる上書きの楽しみは、
映画を観ている最中よりもさらに面白い。
つまり、後味がどんどん変わっていく、それがすべて新鮮でおいしい。
みたいな味わいのある映画。
「ボーはおそれている」は、観てすぐ、私は他人事みたいに思っていた
(ボーはすごいおそれてたな、でも私はおそれていない、みたいな)。
けど、すごくひきこまれたし、あとでいろいろ思い出してしまって、
数か月後、自分がGWに父親に会う約束をしてしまってから、
そわそわするようになってしまって、
(なにこれ私、ボーと似てたのか)と気づいた。
まあとにかくあの映画はたのしめたから、
(怖いっていっても、ああいう怖さなら私観られるかも
というか、むしろ好きかも)と思って、
ああ、結局、うっかり観てしまった、ミッドサマー。
今も、見なきゃよかったとは思わないけど(面白かったから)
健康のためには、あんなもの見るものじゃない。
という気がしてる。
ともかく、観ようと思ったけど、やっぱり怖いから、
小さいipadの画面で、しかもヨガマット敷いてヨガしたりしながら、
わざと集中しないようにして観た。
それでも、最初のダニーの家族についての出来事が起きるところから、やっぱりぐぐっとひきこまれて、やめられなくなった。
あとで色んな映画評をみると、「面白いがとにかく胸糞が悪い」という意見があってなるほどと思った。
本当、よくあんな映画作ったな
よく映画館で上映することがゆるされたな
私はあの映画を最後までみて、
まず主人公が死ななかったことに安堵していた。
ということは、あの子に自分を投影して観てたんだろう、
仕方ないよね、私も育った家庭で事件みたいなのがあったし、心理職だし、女だし。物語って、共通項がある人に肩入れして観ちゃうものだから
彼女は安心したかった、何かに頼りたかった、徹底的な集団的共感の動作に、鮮やかな花々に何重にも包まれて、堕落した
そうだよ堕落してもいい、
彼女自身が少なくともあの場では恐ろしい目に遭わなくてよかった・・・。
・・・よかった?
何が良かったんだ?
いいわけないじゃん?
書きながら怖くなってきた。
いいわけない。全然違う、全然違う。
待って。
もういちどおさらいしてみよう。
そうそう、あの子は家族を事件で失って、
抗不安薬を片手に、悪い予感が的中しまくって、
そう心理学を勉強していて、
彼女の体験したことからすれば、
不安であったり涙が止まらないことは、
妥当でまともなことなのに、
それを恥じて、できるだけ隠して暮らしていたダニー。
そこまでは分かる。
けどホルガみたいな場所に計画的に招待されて、
クィーンに仕立て上げられたらもう逃げるすべはない。
(それにしても、最初から気持ち悪かったな、ペレ。)
あの場では堕落してしまう(受け入れる)ことが最も生き物として安全で葛藤が少ない道だろう。彼女はしっかり狂ってしまったのか、それとも一時的に変な飲み物の作用で判断力が弱まり、さらにあの瞬間だけ多幸感があふれていたのか。
まあ、どちらかというと、しっかり狂ってしまったように見えたけど。
ホルガで人々がやっていたような共感、
あんな暴力的な共感は、過去に見たことも考えたこともなくて、
本当に胸糞が悪いという言葉がぴったりだった。
でも「おかしいな、気持ち悪いな」と思いながらも、
押し付けられて押し切られてその中に入り込んでしまったとき、ゾンビ映画みたいに(ゾンビ映画も見たことないけど)、自分も同化してしまい、
安堵するのかもしれない。
それは結局、自分の意思とかこれまでの価値観とかを
食い殺されてしまった状態になってしまったということと同じなんだけど。
とにかくこの物語は、人間を大切にしていないように思える。
徹底的に丁寧にひとりずつの個性を描き、全員を丁寧にバカにしていく。
多様な方法で、自分たちの世界観のなかに位置付けて殺していく。
殺されないものは精神的に同化させる。どちらにしても、その集団の物語を守っていくための食い物になってしまう。
あの物語で一番怖いのは誰だろう?ペレだろうか?
狂ってしまうダニーだろうか?
いやいや誰というよりも怖いのはあの集団だ。
個がなく、絆もなく、集団と神だけがある。
考えなくていい、上手にやればいい、従えばいい、
緻密な計画と、暴力的な共感と、練習と、あきらめ。
これを書きながらクリスチャンに投影しはじめてきた。
あの人、普通の人だよね。まともというか。
適当なとこあるけど、それなりにちゃんと優しさもある。
「あなたも私を置いて行きそう」って言われたときは、
ショック受けてたよね。
自分なりにこの子を大切にしてきたつもりだったのに。
そうだ,この映画はやっぱり
クリスチャンに肩入れして考えると
恐怖が倍増しますね
どんな事情があっても,狂うのはずるい,
けど,狂えない人は苦しんで死ぬ
結局、これ書いてて全然、気分の悪さがよくならない。
むしろ怖さがつのる。
物語に巻き込まれて外に出られない(ダメな私)。
とじこめられて、首を固定されて、
目を見開かされて、怖いものを見せられた。
面白いけど、悪意しかない映画じゃないか。
ボーはおそれているの方が、まだだいぶ可愛げがあったと思う。
ああ、書いててわかった、
私も家族や事件には影響受けたし
PTSD的なストレス障害に近い体験を自分なりにして
身体も壊して気持ちもぐらぐらするときも
宗教とか暴力的な共感とか薬物とかに堕ち切ることなく
低空飛行でも黒い何かに食い殺されずに生きてる
私はダニーみたいにならなかった,
弱った私を利用しようとする人はいたけど,
あんなに周到ではなかったし,集団ではなかったし
時間もお金も体力も気力もかなり喰われたが
そこから私はなんとか脱出した(と思う),そこから得たものもある
そうだな,ダニーはもう無事じゃない,食い殺されたんだ
クリスチャンは,ダニーが黒いなにかの方に堕ちてしまって,
熊の皮のかわりに,山盛りの花でかざられた権力を行使して
クリスチャンを生贄に選んだ,クリスチャンは彼女の選択で殺された?
それも違うな,もちろん集団がそのように仕向けたんだけど
仕向けたというより,そのようにダニーを仕上げたというか
あの最後の選択で、転ばなかったほうのダニーを想像したい
(まあ,最初から薬物が介在している時点で,無理なのかもしれないけど)
最後の選択で,ダニーが「誰も選ばない」という意志表示ができていたとすれば,あのあと,結局ダニーも殺されてたんだろうか?
まあ全員,あの祝祭の村に連れて行かれた時点で
もう,どう転んでも助かる術はなかったのかもしれないけど
ホルガは、足を踏み入れるだけで生きて帰れない村だとは分かるけど
最後に,外から来た人物であるダニーが,
あれを受け入れる選択をした(した,というのが適切かわからないけど)
それが最後に,彼女にとっての幸福かのように描かれていたことが一番怖いな
本当に狂ってしまった状態は,もしかしたら,
ある種の,幸福と呼べるものなのかもしれないけど
ああだから,見終わってからずっと怖いのか