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恋ですね

なんでも言っていい。
考えがまとまらなくてもいい。

そういう前提でこのブログを書いている。
自由に考えるためには、それが、どうしても必要なことなのだ。

今から書くことも
自由に考える必要がある
不快に思う人もあるかもしれないが
どうかゆるしてほしい。一緒に考えてほしい。

過去のこの記事でも書いたけど
誤解を招くことを恐れずに言うと
わたしは主治医に恋をしている
(と思う)

他方で、本当は誤解を招きたくないので説明をする
わたしの家族、友人知人など身近な人々にいやな思いをしてほしくない
破廉恥なやつだと思われたくもない
また先生にもいやな思いをしてほしくないし、迷惑もかけたくない
そのためわたしは、いったんこのブログの存在自体を
直接的な知り合いには伝えないことに決めた
けど、本当はこの話は、誰に知られても大丈夫な内容なのである。
患者の胸の内、それがわたしの場合は非常に恋に似ており
恋と名づけると説明がつきやすい
ただ、それだけのことだ

いまもまた、夜中に目が醒めて、先生のことを考えていた
昨日、先生は、1回目の診察のときみたく怒っていた
怒りながら、たくさん話はしてくれたので
その話を反芻している

退院はいつにすればいいかという質問には
まあ、自由だと言っていた
ドレーン抜いたあとの様子を見るので、
金曜はまだ居たほうが安心なんじゃないの?っていうのと
あとは迎えの都合に合わせればいいから、
土曜くらいがおすすめなんじゃないの?
でも好きにすれば、という感じ

迎えは特にたのんでないから
いつでもいいんですけど

ってわたしがいうと

こんなにいっぱい物を持ってきてるのに
一人で帰れるの?って言われた
カートに乗せてもらって
あとはタクシーに乗れば帰れると思う
とわたしが言ったら

だんなさん遠いですもんね!
タクシーで一人でじゃあ帰ってください
って言ってた気がする

それ、どうでもいい話をしているときのトーンではないけど
なんだかやけくそ気味に聞こえた
忙しくて大変なときに、超くだらないことに巻き込まれて足踏みしてる人が
無碍にもできず、しかしはやく解放されたくて
なんでもかんでも喋りまくるとき、みたいな勢いだった
終いには、先生までもがわたしに
順調!大丈夫!
と言うのだった(それは別の先生の口癖なのに)

忙しいときに呼び出すなよ・・・と思っているのかもしれないし
もう俺の仕事(外科手術)は終わったのに・・・・と思ってるのかもしれない
でも、これらは全部わたしの想像で
先生が本当にどんな気持ちだったのかは、
わたしには全然わからないのだ

ひとまず退院日は土曜でも日曜でもいいという感じだった
いつまでいたら次また先生に会えますか?とききたかったが(このあたりが恋でしょ)、看護師さんもいたので控えた(えらい)

わたしにとって
先生はかっこいいし
頼れるし、いつもきちんとした格好をしていて(白衣+ネクタイ)
でもなんだかミステリアスだ
わたしは先生のオペ室での姿は覚えてないけど(会ったってみんな言うけど)
先生の日曜ジーンズ➕白衣の姿は見られたので(ぜったいレアだと思う)
ああ、あの日がいちばん優しかったなーって
あの日の写真があればいいのになーって
夜更けに思ってる(ね、恋でしょ)

やっぱり、書いてみてもこれはかなり恋に似てる
経緯は全然、恋じゃないが
感情としては、恋なんである
この恋は目的(治療)を終えると消えていくのかもしれないし
先生がこのまま長く主治医でいてくれたら
いまのこの、ふわふわした感じがとれて
わたしの人生の、重要な他者に変わっていくのかもしれない
そうすると、恋とは一体なんなんだろう

わたしは、恋とは
ある方向へ向かいたいと強く願っているとき
それがひとりでは到達し得ないものであればあるほど
そこへいくまでの道標になるような人に強く惹かれること、
ではないかと思う

わたしは今回のがん治療において
道標をみつけた、幸運なことに
これからも、先生と一緒に治療していきたい

じゃあ、治療のための恋ってこと?
それは、少し違う
治療のために恋をしたというわけではなくて
治療に真剣に向かい合おうとしたら、
うっかり恋しちゃったということ
エンヤコラ明日へ大爆走してると、
いろんなものにぶつかって穴に落ちるみたいに
恋をすることがあるんだ

恋ってなにか、変化しようとするときに生じる面白い感情
つまり、わたしが今、いっしょうけんめい
どこかに向かっていて、変化しようとしてるってことだ

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