悪いことは言わないから『友人』は必要最低限で良い!
皆さんは何人友人がいるのだろうか。
私はつい最近友人が減った。
今何名かと聞かれると私だけが友人だと思っている気がするので、恥ずかしくて言えない。
たまに、地元に帰ってきて話す同級生や年齢は違えど以前の会社を辞めても仲の良い同僚、私の周囲はそんな感じ。
いわゆる普通の人のはずだ。
だからこそ、友人というものは最低限にとどめておいた方が良い。
私は別に狭く深い関係性を築けと言っているわけではない。
むしろ、狭く浅い関係性で良いとさえ感じる。
今日はそんな友人についての話。
傷をなめ合う集団はカス
よく学生時代に見た光景がある。
全員が同程度の容姿で同様の学力、特に性格も普通。
でも陽キャになりたい。そういうやつらの集まり。
大体は誰かの悪口か世間のゴシップに騒いでいる。
その中の誰かが惚れた腫れたで共感の嵐。
言葉にすると辛辣かもしれないが、皆の周囲にもこういったグループはあるはずだ。
まあ友人のいなかった私は悪口を言われる側になることも多かったのだが。
本記事にはあまり関係ない。
こういった集団を学生時代は正直嫌っていたと思う。
裏で何か言われて、こんな私でも普通に傷付いていた。
腹いせで記事にしてやろうと思ったわけではないので、ご心配なく。
しかし、学生時代に嫌っていた集団も社会人になると、少し哀れに思うのだ
「あいつらの正義はどこにあんのかな~」みたいな感じだ。
学生時代の癖が抜けずに社会人になっても、同じようなことをやっている。
自分は悪くないと騒ぎ立て、会社の経営者や人事、直属の上司などなど、自分以外の人間に責任転換する。しかも集団で。
社会人になると『ただ痛い』だけ。
それに気付かず哀れな連中だ。
それで、結局昇進も後輩に抜かれ、また文句を言う。
それの繰り返しなのだ。
そこに友人の姿はあるのだろうか。
ふとそんなことを考える。
結局『友人』とは
結局のところ、友人とは自分にとって都合の良い人物なのだ。
本当の意味でお互いをさらけ出して、罵倒し合えるような関係性など作れないのだ。
だからこそ、たまに合って少し話すそんな関係性でも友人だと言い張る私のような人間が出来上がる。
唯一私が親友だと思っていた人間も、本当の意味で親友ではなかったように(この話は別記事で今度書きます)
でも、それで良いのかもしれない。
いや、それが良いのかもしれない。
所詮は他人。他人の為に本気で腹割って話しをする人間など存在しない。
友人とは程よく、孤独という寂しさを紛らわせるスパイスでしかないのだろう。
友人とはそれくらいの間柄で、お互いを不快にさせない程度の距離感を保つべきなのかもしれない。
最後に
悪いことは言わないから『友人』は必要最低限で良い!という話。
結局は友人など必要ないよ。という心の余裕が必要なのである。
私にはそんな余裕があるのだろうか。
否、余裕ではなく私には友人など。。。という諦めなのであると今になって身に染みる。