その発言の裏にカラフルな背景を想像すること
日々色々なことを考え悩むのですが、ちゃんと書こうとしたり、社会の関心の上に載せようとすると上手く書けないので、練習がてら下の2つを意識して書いてみようと思います。
・色々考えていることをとりあえず書き出してみる
・いつかまとめ直すくらいの気持ちで書いてみる
そのため、たどたどしい部分もあると思いますが、温かい目で見ていただけると嬉しいです。また、色々感想をいただきながら、みんなで考えられたら嬉しいなとも思っていますので、思うことがあれば何かしらのかたちで発信、もしくは心のうちで考えていただけると嬉しい限りです。
今回は、最近のTwitterコミュニケーションに感じる違和感を備忘録代わりに書いてみようと思います。
結論ファースト礼賛×ファスト会話
仕事をしているとよく言われる「結論ファースト」という手法。私個人としては、回りくどく話すことなく、まずは伝えたいことを明確に伝えるものとして理解しています。それこそ時は金な流れ且つ、同じ文脈を共有する集団の中では有効な一つの方法だと思います。
近年、ビジネスに関係なくこの手法が世間に浸透しつつある中で、140文字以内のリプライをつなげるファストな会話と掛け合わせることで違和感の生まれるコミュニケーションが生まれているように思います。少しコミカルに描くとすると下の図のようになるでしょうか。
ここまでシンプルすれ違いが起きることはなかなかないかもしれませんが、図の中では「メートル」や「フィート」などの単位という前提を共有しないがために同じものを見ているはずなのにすれ違いが生じています。
これが、より複雑な「政治」「教育」「仕事」などになるとどうでしょうか。グローバル化が進み、様々なバックグラウンドを持つ人達がいる中、私たちはどれだけそれらをすり合わせて会話できているでしょうか。
断っておくと、Twitter上で声を上げることに対して必ずしもマイナスな感情は持っているわけではありません。しかし、「フィルターバブル」の中で醸成された考えを泡の外に持っていく時、再度自分の前提を立ち返る必要があると思います。
ある立場にいる時、主張する方針が他の立場にとってマイナスなことは往々にしてあることだと思いますし、全員にとって幸せな選択肢を見つけることは困難を極めるでしょう。だからといって、自分の立場の前提や正解が世界のすべてであるとしてしまうのは横暴のように感じるのです。
みんなそれぞれの生活に忙殺されているとしたら、なかなか難しいことだとは思いますが、他者が自分と同じ計算式を持っていると思わないこと。更には、結論だけではなくプロセス、可能ならその背景まで思いを馳せてみることも大切なことを考える際には必要なのではないかと私は思います。
誰の目的に合った手段か
前半では、その結論が生み出されるまでのプロセスや背景に着目してみました。後半では、前半の内容とも密接に関わりますが方向としては反対の背景について考えてみようと思います。
反対の背景、と表現していいのかわかりませんが、その会話の向かう先のようなものをイメージしています。例えば、自分の出会った魚がとっっても大きく驚いたことを説明したい人が身振り手振りで表現した際に、それを(計測的)大きさを伝えたいと思っている人が見た時に「身振りよりも数字で言ってくれ」と見当違いの指摘をするようなものでしょうか。(下図)
大きさを伝えることを目的とした際には、数字で伝えることは前半のように前提が噛み合わない場合を除いて多くの場合で有効だと思います。しかし、そもそものコミュニケーションの目的が違っていたとしたらどうでしょう。受け取り手もそうですが、伝える側も相手の目的と自分も目的がズレてしまっていたとしたら。
場合によっては、発信/受信の慎重さというよりは、都度の調整のようなものが活きてくるのかもしれません。
文脈と目的
ここまで、2つの方向の背景を考えてみました。実際のコミュニケーションはより複雑だとは思いますが、簡易的に「文脈」と「目的」の切り口で背景を考えるとこのような内容決定に関わる経路が考えられます。
仮にこのように決まっているとした場合、相手の発信した内容だけを見ることができるTwitterというのは「いい刺激」になることはあっても「他者理解」にはあまり向かないように思えます。もちろん、相互にフォローし、TLを長い間共有することがあれば別かもしれませんが。
まとめると、Twitterに限らず、他者と会話をするときはこのような背景のズレによるディスコミュニケーションが起きているかを気にするとより相互的な会話になるのかなと思いました。私自身も、あまり共有するものの少ない他者と会話する際はより一層丁寧したいと思いました。
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