母国語の大切さ
日本は島国で、国土の四方を海で囲まれた地理条件によるものか、世界で最も母国語が守られた環境にあると感じる。
1970年代後半、私は小学生だったとき、昔の要らなくなった教科書や指導要領を学校で好きなものを持ち帰っていい・・と先生に言われ、私は迷わず道徳の教科書をもらって自宅に持ち帰った。今現在の息子の道徳の教科書を見てもそうだが、国語の教科書以上に短時間で読めて内容が濃いのは道徳の教科書だからだ。(その後、昔の教科書配布はいけないことだと言われ回収されたが、その道徳の本だけは返さなかった)
そこには、戦後占領下にあった日本で日本語教育を続けられるか否かについての小話が載っていた。それがどこかに掲載されていないか、かなりインターネットサーフィンをしたのだが、みつけられなかったので私の記憶を頼りに書くことになるが、時は1946年12月、戦後国語教育のリーダーとなる倉澤栄吉と安藤新太郎がラジオ東京で戦後国語教育についてのラウンドテーブルに出席した時の話だったと記憶する。
GHQ占領下で日本語を国語として教えることの継続は難しいのではないか・・と日本側は考えていたらしい。GHQとしても当初は日本語表記の漢字全廃、ローマ字採用を当初考えていたようであるが、占領下における日本人の礼儀正しさや識字率の高さに驚き、日本語をそのまま国語として使うことは問題ないと判断した・・とそこには書かれていたと記憶する。倉澤と安藤は「日本語を国語として教えれる」ことに感激し、涙するという話だった。
当時の私は「え?なんで?その時に国語が英語になったら、わざわざ漢字を覚えなくてもいいし、英語だってふつうに喋れるようになったのに」と不満に思った。
だが、長じてその考えは180度転換する。
留学した時に、アジア人の友人が「日本は日本語で大学の教科書があるからいいよね」と言われ、世界で母国語で学べる大学レベルの教科書がないことに驚いた。
また、言語聴覚士として働きだし、失語症の患者さんと向き合ったとき、有意味文字の漢字を使っての訓練が有効だったことは、漢字というものがどれほど日本人のメンタリティーとしての言語を支えているかを知った。
結婚して、ドイツで子育てをすることになった時も、高等教育に入っていくときに基礎となる母国語能力がない子供たちは、ドイツ語が母国語として獲得されていない限り、ガラスの天井に阻まれてレベルの高い高等教育には入っていくチャンスはない。なぜならば話し言葉としてのドイツ語は駆使できても、高度な思考言語としての言語を彼らは持たないからだ。また、その教育現場における知的な高さとガラスの天井に阻まれるジレンマが若者を犯罪に駆り立てる原因になっているような気がする。(ここにはイラン系と書いてありますが、正しくはトルコ系ドイツ人だったと思います。)https://ja.wikipedia.org/wiki/2016%E5%B9%B4%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E9%8A%83%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6
アジア一教育熱心なシンガポールの共用語はシングリッシュ(シンガポーリアン英語)であるが、母国語を大切にしている家庭こそ(中華系であれば中国語を、マレー系であればマレーシア語を)高学歴だし、視座も高いから、仕事の上でも重用される。(高収入の仕事に就ける)
国語として、日本語を使えることは、まさに日本人にとって自分たちの歴史や文化を正当できるチャンスだけでなく、今現在世界の中で生き残っていける言語を学んでいるチャンスに恵まれているということである。ただ、その幸せを認識できている日本人は少ないのではないだろうか。
昨日のニュースで、内モンゴル自治区で今月の新学期から中国語を中心とした教育に切り替わり、大学受験は2025年から全面的に中国語のみ行われることになった・・という。2025年・・・・たった5年後だ。
同じことが日本で起こると想像してほしい。中学1年もしくは2年の自分の子供がたった5年で中国本土の子供たちと同じ土俵で中国語で大学入試の科目を戦えるだろうか?
ドイツで知り合ったモンゴル人の友達は「僕はモンゴル人だ、中国人ではない」という言葉にこの問題は集約されているとおもう。彼は母国語のモンゴル語、流暢な中国語、英語、日本語を操り、ドイツ語を勉強中だった。モンゴルにはモンゴルの文化と歴史、言語がある。何か国語を喋れようが、自分の国を亡国とするようなことには絶対受け入れてはいけないのである。
日本の政治家、マスコミにも今現在親中派、媚中派、いろいろな思惑の人がいるかもしれない。そういう人たちに問いたい。あなたたちにとって、今中国ウィグル自治区、または内モンゴルで起こっていることは対岸の火事なのかと。
母国で日本語が使える・・それは日本人が絶対譲ってはいけない砦だと考える。