日本は島国で、国土の四方を海で囲まれた地理条件によるものか、世界で最も母国語が守られた環境にあると感じる。 1970年代後半、私は小学生だったとき、昔の要らなくなった教科書や指導要領を学校で好きなものを持ち帰っていい・・と先生に言われ、私は迷わず道徳の教科書をもらって自宅に持ち帰った。今現在の息子の道徳の教科書を見てもそうだが、国語の教科書以上に短時間で読めて内容が濃いのは道徳の教科書だからだ。(その後、昔の教科書配布はいけないことだと言われ回収されたが、その道徳の本だけは
今年も終戦記念日が過ぎた。 お盆の最終日、戦没者の霊も半世紀以上の時間を経て尚、懐かしい人の元へ戻るのだろうか。 私は戦後四半世紀を経て生まれた。出征した家族もおらず、戦争は学校で習った近代史の出来事だった。 だが、前の記事に書いた長沢さんに出会い、初めて戦争にいった人から戦争の話を聞いた。 長沢さんが伝える戦争は、授業で習ったことより、メディアで流れる画像より、鮮明に心に刻まれた。 死線をかいくぐり、友の死を目の当たりにして生き延びた長沢さんは、戦時中の自分を否定
永沢弘さんとの出会いは 20年ほど前の新幹線の中 いつもは自由席で大学のあった岡山に帰るのに その日はお正月すぎで、自由席が取れないだろう・・・ と、指定をたまたまとった時だった。 お隣に座った初老の男性から ポットに入ったコーヒーをご馳走になった。 その男性は四国の戦友会に出席されるとのこと 道中退屈されていたに違いない 年齢にすると50ほどひらきのあるその方が 生涯忘れえぬ友人になった 永沢さんは戦後小学校の教師をされて 定年退職後は全国各地の戦友会を駆け回り 年に一