アンニョン、ピーテル #Б 【日本語教育素人、ロシア語初級者】
前回までのお話。
修士論文から逃げるために日本語教師派遣事業に応募。無事に書類審査は通過したものの、周りは現役の日本語教師も多数。わたし、一体どうなっちゃうの〜〜〜???
グループ面接は、受身なら受身、敬語なら敬語を学習者に教える際、どのような授業案をつくれるか相談し、その結果をプレゼンするというものだった(と記憶している)。周りは現役の日本語教師や、経験者の方ばかりだったが、わたしも全くの素人というわけではなかった。大学では日本語教育の授業を取っていたし、韓国留学中に週一だが日本語を教える経験も積んでいた。
使用する教材は『みんなの日本語』、通称「みんにち」。当時の教材のスタンダードだ(今は「まるごと」シリーズなのかな)。「みんにち」は当然知っていたし、授業で教材分析のようなこともやったことがあった。しかし、実際に自分で使って教えたことがなかったのだ…!グループの他の方は当然、やり込み具合がはんぱじゃないゲーマーのように「みんにち」を何周もしている。まさか「みんにち」を使ったことがないとも言えずに、「あぁ、はいはい、『みんにち』ね、当然知ってますとも」と内心焦りながら平静を装い、周りに会話を合わせるので精一杯だった。それでも文法については多少知識があったし、なにしろ口八丁でそれまで生きてきたので、頼りないながらもなんとかグループ発表をこなした。
そのあとは個別面接。ロシア語ができる人には簡単な文を読み上げたうえでその場で訳す課題が与えられた。紙が2枚ふせておいてあり、初級者向けと中級者向けという。わたしは学部で第3外国語(そんな区分はないので自由科目扱い)ではあるが2年間ロシア語を勉強していたので、中級者向けを選んだ。
よ、読めねぇ…!
あまりにもわからなくて、しどろもどろ。なんとかかんとか、うんぬんかんぬん、しっちゃかめっちゃかだが、読んで訳した。あまりにも読めなくて記憶が曖昧だが、たぶん短い物語だったのだと思う。普段接していたロシア語は自分の専門に近い論文を辞書を引き引き読むぐらいだったので、全然太刀打ちできなかった。後に面接をした方から「思ってたより全然ロシア語できてなかったね」と言われてひどく落ち込んだ。
筆記試験と、一通り面接を終えて控え室に戻る。近くにいる人とも話したのだが、中には背水の陣で臨んでいる人もいた。つまり日本での日本語教師の仕事をすでに辞めてきていたのだ。すごい。結局その人は最終メンバーの中にいなかったのだけど、一体どうしたのだろうか…。
グループ面接もいまいち、ロシア語はボロボロ、ということで全く自信はなかったのだが、なんと受かってしまった。直接の理由は知るよしもないが、ロシア語が少しでもできる人が必要な派遣地だったのだと思う。
派遣地はロシアのペテルブルクに決まった。たまたまとはいえ、本当にいいところに派遣してもらったと思う。ありがたい。
9月にペテルブルクの大学に着任する前、日本で日本語教師としての研修もあったのだが、その様子についてはまたの機会に。
2011年8月末22時過ぎ、約14時間のフライトの末に、わたしはペテルブルクのプルコヴォ空港に降り立った。着任する大学から迎えの人が来てくれていたので、一緒にタクシーに乗り大学の寮へと向かう。窓越しに通り過ぎていく、キリル文字が書かれたネオンサインが、どこか現実離れした感じを与える。長時間フライトの疲労もあり、幻想的な浮遊感のなか外を眺めていたのを今でもよく覚えている。まさかこのときは2年もペテルブルクにいることになるとは思いもよらなかったが…。
ということで、アンニョン、ピーテル!
次回へ続く。
Продолжение следует.