虐待サバイバーと「家族」
これ↓は今朝のツイートです。
筆者の家族の状況はもう何度も書いていますが、こんな環境で育つと「家族とは何か?」と聞かれても、「自分で選べないもの」としか答えようがありません。家族の中で一応世間並みの「普通な」関係を維持できていたのは、だいぶ前に亡くなった母方の祖父母と、筆者と同じ虐待を生き抜いた姉だけ。父親と男兄弟は家族と思っていませんし、思いたくもありません。もし赤の他人なら間違っても一切関りを持ちたいとは思わなかったでしょう。
これ↓も今日のツイートですが、こういう伝統的家族観ガーとか家族の絆ガーとか叫ぶだけの「絆原理主義者」には正直嫌悪感しか感じません。「家庭・家族=地獄」で苦しんだ人がいる事実を認識できないのか、あるいは人1人の「命」や「人生」より「お題目」が「イデオロギー」のが大事なのか。どっちにしても、人として最低限の想像力や思考力、思いやりの欠片もないのが不思議でなりません。
「絆原理主義者」はネットで見つけた用語ですが、イデオロギーを妄信し理屈が通じない点は本当にイスラム原理主義者とそっくりです。
「遠い親戚より近くの他人」と言いますが、筆者は「嫌な家族より優しい他人」との考えなので、家族とか血縁とか戸籍とかに執着する人の気が全く知れません。そういう人自身はよほど素敵な家族に恵まれたのかもしれませんが、だとしても「家族に恵まれなかった人もいる」ことを認識できないとか、「脳みそ入ってるの?」と聞き返したくなります。
もっと言えば、こんな↑長男に対してすら法的には兄弟として扶養義務があることが、もはや悪夢としか思えません。
逆にどんなに愛し合っていても、異性同士の1:1でなければ家族になるのに結婚という選択肢はありません。養子縁組は可能ですが、対等な関係で法的な家族関係を持てる方法はこの日本では皆無です。
家族になりたいと希んでも叶わず、逆に絶縁したくなる相手を家族として押し付けられ、選択の余地すら与えられない…
正直、「家族って何?」とすら思います。やっぱり理不尽なだけの「親ガチャ」「兄弟ガチャ」でしかないんでしょうかね。少なくとも今はそうとしか思えません。