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精神を病む。

精神科にかかる。
自分は違うと思いたい気持ちと相反する追い込まれるような苦しさ。生きづらさ。

昔ほど敷居は高くはなくなったけれど、それでも偏見や薬の副作用・依存に対する恐さや不安。自他共に何らかの抵抗感が付き纏うのが精神科等にかかる時に少なからず生じる感覚かもしれない。

あの時、通院しなければ・入院させられなければ・・という話と、通院・入院して良かったという話では、前者の方が多い。

仮に後者と思えるのは、自分の人生に自分自身が期待している証でもあり、悪いものではないように思う。

転ばぬ先の杖があるかないかで、大怪我になるか軽症で済むか。それが、薬や心理療法的なもの。リハビリに通ずると思う。

自分自身で自分の体調変化・不調に気付けること。睡眠の取り方や運動不足、気持ちの浮き沈み、被害感・被害妄想。いろいろあるけれど、自分のことを自分で知ろうとできているか。最悪に至りたくないとブレーキが作動するのか、このまま行きたいとアクセルを踏むのか。自分とその時近くにいる人によって変わりもする。

自分自身を思い返すと、最悪時の自分(その人)自身がその現実に気づけていない事は恐ろしい。近くの人の言葉や行動が、その時は裏切りや傷つけられたと感じても後にどうなるかは分からない。

大切にすべきは自分(その人)の人生。

当事者(経験者)、友人・知人・同僚、家族、PSW。

様々な立場から自分(その人)自身にある権利と責任。そして危機管理を考える。
もう少しだけでも偏見や敷居が低くなったら良いのになと思い始めて、何年が経過しただろうか。

健常者と障害者。当事者と支援者。
ここにある溝と変な上下関係も、相互の偏見が影響している。

偏見は無くならないだろうから、せめて減っていくように。自分自身を卑下しすぎず、自信過剰にもならず。弱さを最後の言い訳にせず。権力を人を傷つける武器にしないように。

最後の最後は、一人ではないことを感じたり、思い出せて、少しでも安心できる場所・人があることが守ってくれるのかな。

どっちもどっち。
そんなことをたまに思うと備忘録として残しておきたい。


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