神社参拝の自分なりの価値と意味。
御朱印を始める前から、観光であったり、なんとなく心機一転・気持ちの切り替えで神社を参拝する機会は昔から多かったのですが・・
御朱印を始めてから、古事記を調べてみたりしていくうちに、単純に神社を参拝して、御朱印を拝受するというだけではなく、何故自分は今のタイミングで神社に行くのかという事を考える機会も増えていきました。
御朱印にハマっている家族のお付き合いで御朱印拝受が目的の参拝も結構多かったりするので、全てに自分の中で目的があるという訳ではありませんが、参拝する時に心の中で言葉にする内容は全く変わりました。
以前は、「恋人が出来ますように」や「合格・就職出来ますように」等、どこか他人(神様)任せであったり、「幸せになれますように」や「今の苦しみがなくなりますように」等、漠然とした“お願い”をしていました。
しかし、最近は特に自分にとって特別な神社(お世話になったと勝手におもっている神社)を参拝する時は、無事に参拝する事が出来て良かったという「ありがとうございます」という感謝の気持ちと、その時々の自分の課題や目標に向けて、自分に出来る事を心の声にして、その場で言葉にする事で「自分との約束・誓い」を意識しています。
具体的には、試験前であれば勉強を具体的にどう頑張るのか(苦手科目優先、一日○分以上等)というものや、仕事やプライベートでも自分磨きや今後を想像した上で、「一日○歩、歩く」「朝○時に起きる」「○月までに××の業務を覚える」等です。
この違いはとても大きく、自分の解釈ですが、「願い事」は運による奇跡的な要素が大きく、成就する可能性はとても低いと思います。
しかし、「約束と誓い」は神様の前で自分と交わしているものなので、それをやるかやらないかは自分次第です。
今では、毎年一回は訪れるような神社もありますし、まだ訪れていなかったり、また訪れたいと思っている遠方の神社も沢山あります。
欲張りにならず、小さな積み重ねとして、「次に訪れた時に何を心の中で話そうか」という事を小さな楽しみに。
そして、一番の喜びは、何かを成し遂げて達成出来た時はお礼参りとして参拝する時です。
親に褒めてもらいたい子供のようですが、「○○が約束した通りに出来て、××が達成出来ました。ありがとうございました」と。。
これは、神様に向けた言葉であるようで、自分に向けた言葉でもあるんですね。
※お守りを次に来る時まで、可視化する意味から鞄等につけておいたりもしています。
今は、目に見えやすい成果にしか気付きにくいですが、自分のことをもう少しでも客観的に見れるようになっていけば、もっと小さな事でも喜びや幸せを感じられるようになれるかもしれません。※そのために、カウンセリングを受け始めたのかもしれません。
ストレスコーピングの例をふと思い出しましたが、小さくて大した事がないようなものでも細分化して、沢山持っておけると良いのと同じように・・
最初に最終段階の大目標に対して、何かやると約束や誓いをたてるよりも、大目標も細分化して、小さな出来そうな部分から始めていき、小さな達成を繰り返して、成功経験を積み重ねていく。
自分には神社参拝が、その為の良い方法となりました。大きな目標の時ほど、かなり遠方の有名な神社に行ったりしています。行くまでの大変さが、「ここまで大変な思いをして行ったんだから、あそこで誓った事は実行しよう」と思えるので、これも自分には効果的でした。
家族以外でも誰かと一緒に行く機会も結構ありますが、最近は自分のことは前の誓いを継続という事が多いので一緒に行った方の約束や誓いが成就することを、そっと願います。
プレッシャーになるかもしれませんが、「約束と誓い」も神様、本人、同行者で3人分かなと(笑
勿論、その人が“願い事”をしていたとしても良いのです。何故なら、願い事があると言うことは、それまでもこれからも、その人はその願い事の為に何かしら頑張ってきている・頑張る事は変わらず、今は何を頑張れば良いか分からない時なんだと思うので。※これは自分に当てはまる事をそのまま書いています(笑
最後に、今までお世話になった神社TOP3を書いて終わりにします。
【おまけ】
1.三峯神社
仕事の中で大きな異動があり、大改革を行う予定でいました。一人で参拝してきました。
限界を超えた努力をしたかもしれませんが、結果として変革も沢山出来て、大きな躍進が出来ました。
2.伊勢神宮
自分にとって、一番大切で大きな国家試験だった公認心理師の試験前に参拝してきました。
人生で一番勉強した時期だと思います。
3.箱根九頭龍神社
結婚を控えた時期、音信不通になり、指輪まで返却されるという状況下で参拝してきました。勿論その後、自分で行動して、今があります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?