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私の中の「幸せ」の定義に気付いたかもしれない話
しろくまです。
最近、何となく「幸せって何だろう」と考えていたとき、ちょっとした気付きがあったので綴ってみます。
※こういう曖昧な言葉の定義について考えるのが好きなもので。笑
自己紹介にも書いているのですが、
私は日常の小さな幸せに浸るのが大好きです。
ただ、それ自体が私の幸せの定義、というと少しだけ違うと思っています。
「日常の小さな幸せに浸ることそのものが幸せ」
なのではなく、
「日常の小さな幸せに気付ける状態にいることが幸せ」
のほうが近いイメージです。
幸せじゃないときって、日常の小さな幸せを無下にしてしまうというか、そもそも気が付かないというか、なんなら鬱陶しく感じてしまうというか…。
だから、小さな幸せに気が付ける時点で、多分心に多少なりとも余裕がある。それ自体が幸せなことだと思います。
これと強く関連してくるのですが、
日常の小さな幸せの中でもダントツで愛していることがあります。
それは、ボーッとすることです。
朝起きて窓の外をぼんやり眺める時間
布団に入ってから寝付くまでの時間
夜ご飯を食べた後やお風呂に入った後、畳の上で何もせずのんびり座っているだけの時間
川や公園などでただ自然を眺める時間
温泉に入っている時間
今こうして文字で書いているだけでも幸せな気持ちになってくるくらい、ボーッとするのが大好きです。
ボーッと、と言っても何も考えていないわけではありません。
とりとめもないことを考え続けています。
ただ、そこに不快な思考はありません。
思考を巡らせているとき、ふと、
「ああ、今の時間、幸せだな」としみじみ感じるのです。
つまり、私にとっての「幸せ」とは、ボーッとする時間のこと。
……というわけではありません。笑
今の私にとっての幸せは、
「ボーッとできること」です。
※幸せの定義なんていくらでも変わりそうなので、一応 今の って付けてみました。笑
なぜかというと、調子が悪いときはボーッとできないからです。
この20年ちょっとの人生の中で、メンタル絶不調の時期が何度かありました。(詳しくはまた別の記事で語りたいと思っています)
メンタルの健康を崩しているときって、ボーッとしようとしてもできないんですよ。
過去の失敗
あの時ああすればよかったという後悔
まだ起こってもいない未来への不安
被害妄想(あの人に嫌われてる、とか)
その他 無力感、孤独感、罪悪感、自己批判
上記のような思考を抱いてしまう自分への嫌悪感
こういった種の反芻思考が常に頭の中を駆け巡っていました。
寝ることもままならない時期も。
上記の思考を何か別の思考で上書きしないと気が狂いそうだったので、眠気の限界が来るまでずっと音楽を聞いたり、動画を見たり、単純なゲームをやったりしていました。
学校にいる時なら、授業以外の時間、常に本を読んでいました。
とにかく思考を上書きしたかったのです。
そんなこんなで、メンタル不調の時期は大好きなボーッとする時間が作れませんでした。
だから、今、ボーッとしていても反芻思考に陥らないことが、この上ない幸せだと感じています。
ボーッとすること自体は、ありふれた小さな幸せかもしれません。
でも、ボーッとできること、
つまり、ボーッとしても不快な思考に陥らない精神状態にあることが、
私にとっては 非常に大きな幸せ です。
幸せの定義は人それぞれですよね。
「自分にとっての幸せはこれ!」というものがあれば、ぜひぜひ共有してください😊
ではまた。
2024年7月11日 しろくま
P.S.
記事の中で「幸せ」って言葉を書きすぎて、若干ゲシュタルト崩壊してます。笑
あと今回、初めてスマホで書いてみたんですが、やっぱりPCの方が書きやすくて良いですね。
今度レイアウトだけ直すかもしれません……。