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久々に推しの配信見たら変わらず尊敬と共感の嵐だったので語る|生きるとは、恋愛とは、etc……
にじさんじというVTuber集団が好きで、昨日久々に推しの配信(アーカイブだけど)を見てやっぱり尊敬するなあ、好きだなあ、分かるなあ、という感情が止まらなかったので語ります。
冒頭はにじさんじ好きになった経緯とか書いてて本当にどうでもいいのでどうぞ飛ばしてください。そして毎度のことなんですが話が脱線しまくって長いです、ごめんなさい。
前置き
最推し3人について
にじさんじを好きになったのは2021年7月。大学2年のとき。マイクラ配信でイブラヒムにハマってにじさんじ全体が好きになった。そこから丸1年、ほぼ毎日イブラヒムの配信を見ていたと思う。常にPCの前に張り付いていた。
翌年7月、にじさんじENにもハマった。推しはサニー・ブリスコーというオーストラリア人。英語全然分からないけど、自動で英語字幕出してくれるChromeの機能使って何とか単語単語を拾って聞いていた。あの頃が一番英語学習のモチベ高かったなあ。サニーは日本語ネイティブレベルで上手いから時々日本語配信もやっていた。あとENは本当に仲が良くてコラボが多いのも好きポイント。大人数でわちゃわちゃしているところを見るのが本当に楽しい。
ちなみに就活の時期、にじさんじに夢中で他の趣味をあまりやってなかったのですが、趣味欄にVTuberと書くのは流石に抵抗があり、とはいえ嘘をつくのも嫌だったので「YouTubeで海外の配信を見ること」と書きました。面接では「配信で英語の勉強するのが好き」とか「色々な国籍の人が集まっているから視野が広がる」とか「リアルタイムで世界中の人とコミュニケーションしてるような感覚が楽しい」とか適当なこと言ってました。嘘ではないけどにじさんじENを利用しましたごめんなさい。
サニーにハマったのとちょうど同時期、バーチャルタレントアカデミー(通称VTA。にじさんじの研修生制度みたいなもので正式デビュー前。)にいた鬼伏千隼にハマった。私は鬼伏のことを心から尊敬しており本当に憧れ的存在だった。ただ、VTA生は卒業すると急に配信アーカイブが消えるのだが、彼も例に漏れず、2023年7月に消えた。
そこからしばらく音沙汰がなく「頼む……デビューしてくれ……」と毎日祈るような思いで待っていた。すると、2023年11月、声や趣味などすべてが鬼伏とものすごーく似ている(似ているとしか言えないのです…)ミラン・ケストレルというライバーがデビューして、これまたハマった。
推しは3人とも全然タイプが違うので好きポイントも結構違うけども、一番を決めるならば圧倒的にミランさん。なぜかといえば、面白いとか好きとかそういう感情プラス、超憧れすぎるから。もはやミランさんになりたい。イブラヒムやサニーも尊敬はしてるけど別になりたくはない。二人は配信者として大好きなんだけど、ミランさんのことは人間として超大好きって感じ。
メンバーシップも、他の2人は就職後しばらくしてから「配信見れてないしな…」と思って抜けたけど、ミランさんだけは今日までずっと入り続けている。配信見てないのにメンシ入るのは理解できない人も少なくないと思うけど、学生時代のように熱心に応援する時間がない中で、「少しでも長く活動を続けてほしい」という自分の勝手な思いを昇華する場所としては、メンバーシップって結構良いんですよね。
余談 : 「好き」の根源は「尊敬」
ちなみに私の場合、応援対象は二次元も三次元も、そしてリアルで関わる身近な人も全員、基本的には尊敬の念が高まりすぎることでビッグラブになる。
尊敬=好き、とは限らない(十分条件ではない)けど、尊敬の眼差しが強くなればなるほど好きになりがちで、ビッグラブ対象はもれなく尊敬している。好きな上司・先輩・同期・友人、二次元アイドルの推し、好きなアーティスト。全員に対してまず土台に「尊敬」がある。尊敬できないのに好きなのは母親くらいかな…()
「好き」という感情についても語りたいことが多すぎるので別の記事でガッツリ語りたい、というかもう下書きはある(いつ出せるのか……)。
本題
ミラン・ケストレル、全然変わってなくて良かった
大学2~4年の3年間は結構にじさんじに夢中だった。それなのに、就職して以来、全然配信を見ていない。社会人になったら配信を見る時間がなくなってしまった。捻出できないことはないけど、他のことに使いたいと思ってしまって。大学時代、にじさんじ大好きだったとはいえ超惰性でダラダラ一日中配信観ていたから、社会人になって「こんなに貴重な時間を惰性で消費したくない」と思うようになってしまった。ここ最近は切り抜きしか見ていなかった。
でも、雑談配信ならラジオ感覚で聴けるか、とミランさんの最新のマシュマロ雑談配信を聴くことにした。
まず、ミラン・ケストレルのことを簡単に説明すると、ENTP-A、常識に囚われない柔軟さがある(平たく言えば変人かつ超自由人)、好奇心と知的探究心がバカクソデカい、色々オタク(特に機材)、映画・アニメ・音楽好き、哲学的・抽象的な話好き、言語化能力高い、喋り出すと止まらなくて周囲を置いてけぼりにする、話がどんどん脇道にそれる(要するに話長い)、フットワーク軽い、寛容で視野が広い、全然怒らない、他人を否定しない、などなど……。
いや〜、全部良い。特に好奇心の強さ、言語化レベルの高さ、話の長さが好き。というか羨ましい、本当に全てが羨ましいよ。いつも超〜楽しそうに語るし、どんどん話逸れるし。一般的には面倒臭いとされるタイプ。笑
でも私は、自分の好きとかこだわりとか美学とか信念とかを抱えまくっていて一筋縄ではいかないような面倒臭い人間が本当に本当に大好きなのです。藤原基央(BUMPのボーカル)や藤井風も、種類こそ違えどまあ世間一般に生きてたら割と面倒臭がられるタイプじゃないかな……。笑
で、久々に見たら、全然変わってなくて、ミランさんはミランさんだ……と思って(何言ってるか自分でもわからん)、なんか涙出るかと思った。最近全然見てなくてごめんって思った。大好きな部分が何も変わらないままでいてくれてありがとうと思った。きっと変わり続ける人だとは思うけど根幹の部分がってことね。
「生きること」と「生きていくこと」の違い
「ミランさんにとって『生きる』ってなんですか?」っていう質問の答えが好きだった。(該当箇所から再生されます)
貴方がつらいのは「生きること」か「生きていくこと」かのどっちなんだいっていう話なんだよね。
私にとって生きるっていうのはさ、輪切りにされた時間をただ後ろから押されるだけのことなんだよね。なくなったものを補充するだけのことなんだよ。お腹が空いたからご飯を食べる、眠くなったから眠る、人と話したいから話す、それだけ。瞬間瞬間だよね。
今このままに、あるがままにあることが「生きる」ということであって、それを継続的に運用するための戦略、あるいは順序、方法を考える。それが「生きていく」ということだと思うんですよ。
何かがなくなったら補充するのが「生きること」ですが、補充するストックがなくては補充しようがありませんよね。だから、そのストックがなくならないように予めストックしておくことが「生きていくこと」だと思います。
(例え話:マリオのゲームの強制スクロールステージについて)
時々ステージによっては横スクロールが自動で行われるやつがあります。それは戻ることができないんですよ。放置していても勝手に操作キャラが前に進まされてしまうと。これが「生きる」ということなんじゃないかなと。ただ、そのままでは穴に落ちてしまったり、敵にぶつかってしまったりしてしまうというわけですね。それを回避するために、戦略的に足場を使ったりジャンプを使ったりアイテムを取ったり、時には少し前に時には少しだけ戻る時には立ち止まる、これが「生きていく」ということなんじゃないかなあと私は思います。
なので、生きていくのは大変だが、生きること自体はそんなんでもないと。少なくとも、ある程度豊かな社会に生きてる分にはね。
生きていくのがつらいなあって思うのは、戦略を立てるのがつらいのか、戦略が間違っているのがつらいのか、そこら辺を考えてみてはいかがでしょうか。
わかる、わかるなあ。以前、「生きる」ってただ心臓が勝手に動いてるだけだから意味とか価値とかなくね?という話をnote記事で書いたんですが、まさに「輪切りにされた時間をただ後ろから押されるだけ」のことだなと。何をしたって勝手に時間は過ぎていくし、勝手にお腹はすくし、勝手に眠くなる。そこに自分の意思は介在していない。「生きる」というのはあくまで瞬間的な現象でしかない。
だけど、人間にとっては、そんな瞬間瞬間の「生きる」を継続的に運用することが大変。それを「生きる」と「生きていく」という形で明確に切り分けて捉えているのが良いなと私は思った。私は割とそこをごっちゃで捉えていたかもしれない。生きることに意味はないが、生きていくことに意味や目的を見出すのは悪くないかもしれないなと。(ただ、突き詰めると自分自身を苦しめることになりかねないので、まあ意味なんてなくていいだろ、とは思いますが)
それと、マリオの強制スクロールステージは言い得て妙だなと。ずっと立ち止まっていたら勝手に進まされるけど、だからといって常に前進していてもダメで、立ち止まって待たなきゃいけない、何なら少し戻らなきゃいけない場面もあるのが、そうか人生も進むことだけが「生きていく」じゃないな、と思った。
「恋愛したい」って何?
「ミランさんは『恋愛したい』とは思う?」という質問に対する答えが共感の嵐だった。(該当箇所から再生されます)
あんまり……。別に……。恋愛?って、何でしょうね……。したくてするものなのか?
それって恋に恋するってやつだよね。
ほら、恋愛がしたくて相手を探すわけじゃないよね?
相手がいて、好きになって、結果的にそれが恋愛だから……。恋愛をしたいとか、恋をしたいってのはちょっとよくわかんないんだよね……。
まあ人類全体は割と好きだけど、個人に関しては、まあそんな?笑 って感じというか。笑
友人とかは好きですけどね、ここらへんはしっくり来る感覚を得たことがないのでわかんないんですよねー。
一言一句、全面同意。
「相手がいて、好きになって、結果的にそれが恋愛」、まさに私もこの考えなので、恋愛がしたいとか彼氏・彼女が欲しいとかマッチングアプリとかって、手段の目的化じゃない?と思ってしまい全くしっくり来ない……でも世間的には普通なんですよね……はい……なんかすみません……。他の人が恋愛したいと言っている分には全然良いのです。自分ごとにならないというだけです。
「人類全体は割と好きだけど、個人に関しては、まあそんな」、これも共感。人間好きなんですよ。だから特定の一個人と付き合うというのは想像ができないし、ちょっと重みがデカいような……。というか私、結局は「人間大好き!でもなんだかんだ一人が一番好き!」みたいな人間なので、誰かと付き合うとか、無理じゃねって思う。そもそも恋したことないしタイプとかも全く分からない。人間としての愛だけじゃだめですか……。
ただ、ある意味では「恋愛したい」と思わないこともないです。世間一般の人は恋愛に対してどう思ってるのか、恋するとどう感じるのかを体験したことがなく、作品の中の登場人物に感情移入する形(つまり想像)でしか味わったことがないので、どんなものなんだろう?と。完全に「未知」への関心であり「恋愛」への関心じゃなくてウケる。
興味ないことは覚えてない
「ミラン・ケストレルさんって、興味ないことありますか?」に対する答えも共感の嵐だった。(該当箇所から再生されます)
これは回答のしようがないんじゃないか?
だって興味がなかったら覚えてないから。わかんないな。
(恋愛は?というコメントに対して)
恋愛に関しては、別にどうこうってつもりはないけど、"恋愛観"というものには興味がある。人々が何をもって誰を選ぶのか、結局最後に何を手元に残そうとするのかっていうのは面白いから。
あと、自分は興味ないけどね、でもラブコメって面白いじゃん。ラブコメ好きだよ。
わかる、わかるよ……!!!興味がないものってそもそも認識しないから、興味ないことを聞かれても、うーんって感じなんだよな。
相対的に興味のないことなら挙げられる。例えば、スポーツ観戦と読書だったら私は読書のほうが好きだから、"読書に比べたら"スポーツ観戦は興味がない。
でも、読書という評価軸を消して「スポーツ観戦」単体で興味の有無を聞かれたら、興味ないとは言えない。だって興味はあるから。小学生のとき一時期女子バレーハマってたし、にじさんじ甲子園でパワプロ実況観てたとき面白かったし、ちゃんと観たら絶対面白いだろうなと思う。今はそれよりも更に興味のあることが沢山あるから、そっちにリソースを割きたいだけで、決して興味がないわけじゃない。
あと、私はスキーとかそういうウィンタースポーツ系をやったことがないしやる気もマジでないのですが、これも興味ないわけじゃなくて普通に怖いからってだけなんですよね。興味はあるよ。
ジャニーズやK-POPに対しては、自分が応援する立場になることには興味ないけど、一文化としての興味は何なら強い。人々はどういう部分に魅力を感じているのかとか、時代による応援方法の変遷とか、他のアイドルやアーティストとの違いとか、もはや文化学的な話になるけどそういうの分析してみたい。絶対面白いだろうなあ。
私が本当に心から興味がないことって世の中にあるのかな。興味ないことがあったとして、認識していないんだろうな。
というか、第一印象で興味なくても、「好奇心の塊人間であるこの自分が興味ないだと!?」と思うと逆に興味出てきちゃうんですよね笑
あと基本的に人間が好きなので、対象そのものに興味がなくても、その対象を愛する人間に対する興味が湧いてしまいます。
恋愛に対する興味も超共感で、「自分が」恋愛することに関しては全く興味がないのですが、人の恋愛は普通に好きです。人の感情、ひいては人生って面白い。恋愛から結婚に結びつき、家庭ができて……となるともはやそれ人生の大部分を占めちゃうというか、最初は「恋愛」という小さな芽だったものがどんどん育ってでっかい木になる感じが素敵だし、一冊の物語のようで面白い。惚気話聞くのも大好き。恋愛観も人によって全然違うから面白いですよね。
恋愛ものの創作も、嫌な奴が出てこないものなら好き。要するにラブコメか。恋愛ものの漫画だと『桜蘭高校ホスト部』と『ハニー』と『あせとせっけん』が好きで……全員もれなく可愛くて悶え苦しんで死にます。
あと映画ね。ローマの休日とか、オペラ座の怪人とか、時をかける少女とか、耳をすませばとか、ハイスクール・ミュージカルとか、涙が出るほど美しくて……泣
憧れとは共感+尊敬、つまり自分の超上位互換的存在
書いていて思ったけど、私はミランさんに尊敬の念とともに共感を抱くことが非常に多い。これが憧れにつながるのか、と思った。(ここで言う「憧れ」は「自分もこうなりたいという理想像として心惹かれる」という意味で用いている。)
思えば、私は職場のリーダーのことが大好きかつ超憧れで生まれ変わりたいレベルなんですが、それも共感+尊敬(+感謝)だなと。元々は尊敬と感謝メインだったのが、だんだんと「あれ?こういうところは自分と似てるかも?」とか「それ分かる!」と共感を覚えることも増えてきた。
要するに、私にとって彼らは自分の超上位互換的な存在であり、私が抱く「私の好きなところ」を持ってるうえで、私が抱く「私に足りないところ」も持ってるんですよ。私が思う「自分のこういう部分は好きだからこのままでいいけど、こういう部分は好きじゃないから取っ替えたいなあ」を、もし本当に取っ替えることができるとしたら、彼らのような人間が出来上がるみたいな。(ただ、ミランさんとリーダーは、部分的には似ているところもあるとはいえ別に丸ごと似ているわけではない。)
もちろん、私にあって彼らにないものだって何かしらはあるだろうけど、まあ人間なんてないものねだりですから……。でも私は「あの人はあんなに素敵なのにそれに比べて私は……」みたいに特定の個人と自分を比べて自分を卑下することはほとんどなく(自分への卑下は自分単体でやってます)、「あの人最高ー!大好きー!」だけなので、ないものねだりによる弊害がないならいいやの精神です。
超余談 : なぜVTuberが好きなのか
VTuberを好きな人のVへの「好き」の在り方って、どんなに少なくとも3パターンはあると思っている。(実際はもっとあるけど超ざっくり)
まず一つ目。一つ目は、バーチャルとしての世界観重視タイプ。例えば、VTuberの先駆者として名高いキズナアイはまさにそう。現実の匂いが全くしない。にじさんじにおいてもガッツリロールプレイタイプとそうでないタイプとがいる。卒業しちゃったけど黛灰は最後まで自身の世界観を貫いた人物として有名。
(もしこのタイプの方がこれを読んでいるなら、この後でメタい話をするので、記事を閉じることをお勧めします……)
二つ目は、アイドル目線で捉えているタイプ。これはホロライブに代表されるが、男性ライバーならにじさんじにも多い印象。ライブもよく行われているし、グッズ展開も多い。いわゆる「推し活」層のド真ん中ゾーンという感じ。
三つ目は、バーチャルとかあまり意識せず、単に配信者として見ているタイプ。にじさんじとかぶいすぽっ!に多い印象。(にじさんじは人数が多すぎてもはや全パターン網羅している……)
私はこの三つ目なのだが、この中だけでもかなり幅があるとは思う。私の場合は極端かもしれないが、「バーチャル」という要素にこだわりがほとんどない。バーチャル特有のコンテンツも大好きだけど、普段の推しの配信に関してはマジで見た目はどうでもよく、究極、顔出さなくても全然いい。
じゃあなんでV見るの?普通の配信者でよくない?という意見もあると思うのですが、VTuberって基本的に全員美男美女じゃないですか。言い方悪いけどある意味では標準化されている。だから余計な情報量がない。余計な情報量がない状態で配信者の表情だけ見れるというのはVTuber特有だな~と思うのです。
生身の人間の顔が余計な情報量多いと言っているわけではなく、人間って「第一印象」があるじゃないですか。生身の人間だと「ちょっと怖そう」「チャラそう」みたいに「~そう」という印象や偏見を無意識下に抱いてしまうことがある。有名配信者で言えば、k4senさんはめっちゃ笑顔で良い人そうだけど釈迦さんはちょっと怖そうだとか(でも実際に釈迦さんの配信見たら、めっちゃ良い人だし面白いし良いパパだし夫婦ラブラブで可愛い)。でもそういう食わず嫌いをしやすいんですよね。よくないなあと思いつつ、感情だからどうしようもない。自覚してるだけいいかと開き直ってます。そもそも偏見という感情自体は悪いことではなく、それを差別という言動に移すことで初めて悪になるわけなので(この話もめちゃくちゃしたい)。
話を戻すと、VTuberはみんな美男美女だからその偏見を抱きにくい、というか偏見自体は抱くんだけどそれがその後の行動が結びつかないんですよ、私の場合。
生身の人間は、顔と中身が一致するわけではないにしろ、少なからず影響はある。生活や価値観、ストレス状況などの変化に伴って、見た目や顔つき、印象が変わることも全然珍しくない。
でもVの場合、生身の人間と違って絵を被ってるだけ(どんな顔でも被れる状態)だから、外側の印象と本人の中身は一切関係ない・一致していないということが分かりきっている。だから、偏見を抱いたとしてもそこから「配信を見る」あるいは「見ない」という行動に移りにくい。顔が好きだから配信見るとか、顔が怖いから見ないとか、そういう流れにならない。
じゃあ顔出ししていない配信者見れば?という意見があると思う。それはそう。だから中学・高校時代くらいまでは顔出ししていない実況者や配信者ばかり見ていた。顔出し解禁している人であっても、顔出しをしていないときの動画のほうが好きだったくらい。だけどそれも一長一短というか、やっぱり人の表情を見たい気持ちもあるんですよね。表情でしか伝わってこないものもあるから。それでいうとVは良いとこ取りで、情報量を削ぎ落としつつ、表情という情報量だけ渡してくれるのが良い。だからもうiPhoneのアニ文字とかでも私は全然良いです。笑
変にパターン化しちゃったけど、私みたいなタイプはあんまりいないかもしれないなって書き終わって思った。まあみんなそれぞれの好きがあるってことで許してください……。
結論
要するに、人間が好きってことです。(雑まとめ)
2025年1月26日 しろくま