【エッセイ】noteをやる理由
気づくのが遅すぎである。
まど夏ちゃんの紹介ツイート
→ゆずちゃんの記事
→これで気づいたそらちゃんの企画
〆切今日か!
noteを始めたきっかけ
確か何かの番組で、noteをやっている人の話を見てnoteの存在を知り、とりあえず登録したのは感染症のために学校が休校になった頃だった。
3月中旬で、次の年度について考え始める頃。
俺は、インプットとアウトプットについて考えていた。
「学校」という極めて狭い社会にいるため、自ら得ようとしなければ、知らず狭まってしまう考え方を打破するためのインプット。そして、自らの学びを血肉にするためのアウトプット。
noteはそれを求めた場であった。
転機
始めた理由が理由だけに、まず俺が求めたのは先生仲間で、世の中の先生はいったいどんな教育をしているんだと、先生を見つけてはフォローしまくった。
いろんな魅力的な先生と繋がったし、その姿に感銘を受けたり新たな発見をしたりもした。
また、一方で自分自身も自分の学びを記事に書き記した。
しかし、じきに別の記事を見るようになる。
noteの面白い機能、関連記事の紹介を渡り歩くようになったからだ。
微妙にずれた記事には新鮮な世界が描かれている。
いつしか記事をサーフィンして、少しずつコメントするようになった。
そして転機が訪れる。先日、noteから一線を引く決意をしたバンちゃんのサークル参加、そこから繋がったワディちゃんとあおはるちゃんのサークル参加だ。詳しくはこの記事。
俺はついに知ってしまったのだ。
自分はコメントのやり取りが好きだということを。
noteをやる理由
俺がnoteをやる理由は、会ったこともない、noteをやらなければ出会うことなんて絶対になかったはずのみんなとコメントのやりとりを通じて、その人の本質に触れるのが好きだということ。これに尽きる。
年齢、性別、社会的地位、そして価値観、そんな垣根を軽々とこえて緩やかにつながることのできるココが好きなのだ。
今、俺はかっちーちゃんやすみかちゃんをはじめ、多くの仲間が担ぐ『白杯みんなの俳句大会』という御輿に乗せてもらっている。
祭りにはいつか終わりが来るもので、来月の今頃には、熱い一ヶ月間の余韻に浸っていることだろう。
この祭りを通じて、これまで以上に多くの人たちと繋がった。
ワディちゃんのWACKを始め、さまざまな企画に参加したときもグッと仲間が増えたのだが、今回の大会は、お御輿効果でそれも跳ね上がったな。
(今年の1周年記事にその時の俺のフォロワーが掲載してあるのだが
そこからわずか半年と少々で200人近くフォロワー増えてるもんね)
残念ながら活躍のフィールドを移す人もいるが、俺は結構一度仲良くなったと思ったらずっと気持ちが離れないタイプなので、どこに行っても勝手につながりを感じている。
noteは、俺に人付き合いの新しい形を教えてくれた。
これが俺の「noteをやる理由」である。
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