レトロがエモいとか思っていたら怪我した話
野暮用で実家に帰っていた。18歳までを過ごした地元は、自然が豊かで山に囲まれている。今住んでいる街も都会とは言えないが、地元ほどの田舎ではない。地元を離れてまぁまぁの年月が経った現在、気付けば馴染みのあるはずの実家への帰郷は田舎のおばあちゃん家へ出掛ける子供のような感覚と化していた。地元とはいえ、行ったことのなかった場所もあるし、離れてみたからこそ分かる田舎の良さというものが大人になった今だからこそ楽しめるようになったのだ。
今回は街にある美術館・文学館を堪能しながら、隣接する庭園の紅葉狩りもして、その後は某文豪ゆかりの銭湯へ行くという計画で地元を散策していた。十数回かは観ているはずの巨匠の名画はやっぱり素晴らしいし、紅葉も綺麗に色づいていて、天気にも恵まれてどんぐりを踏み潰しながら歩く散策路はなかなかに気持ちが良かった。でも、私が今回一番に楽しみにしていたのは銭湯だ。私はとにかく銭湯が好きで、一日中風呂に入ったりサウナに入ったり休憩所で寝転がったりとして過ごすのが大好きなのだ。温泉は家風呂では味わえないような不思議な癒し効果がある。
今回行く銭湯は、かの有名な文豪が通っていたという場所で、歴史は百年以上と非常に古い銭湯らしい。レトロな雰囲気の味わえる風呂屋さんという口コミだ。銭湯好きとはいえ、今どきのスーパー銭湯というものしか行ったことがなかった私は、昔ながらの銭湯とはどんなものなのだろうと心を躍らせていた。レトロな雰囲気というワードは、田舎を楽しみに来た身としてはなかなか魅力的なものだった。私は平成の生まれなので、昭和のことは映画やドラマ、漫画等で仕入れた知識程度でしか知らないが、レトロというものはきっと素晴らしいものなのだろうと疑いもせずそう思っている節がある。それに、知らない世界というものには好奇心が疼いてしまうものだ。駅から15分ほど歩き、目的の銭湯へ近付くにつれて、昭和の街並みが徐々に出てきた。ほぼシャッターが閉まっているものの、道路沿いには昔ながらの商店が立ち並んでいて、店の前には自動雑誌(所謂エロ本)販売機なんてものが置いてあった!エモい!エモすぎる!そのレトロな風景に感動して、スマホで写真を撮った。だってこんなの、令和の現代ではなかなか出会えないバエバエスポットじゃん。
銭湯に着くと、番台には雰囲気のあるおばあちゃんが座っていた。入浴料の450円を払う。ロッカーは松竹錠。ちゃんとフルーツ牛乳もある。壁一面に貼ってある広告はどれも見るからに古そう。とうとう私は身一つで昭和の世界にタイムスリップしてしまった。客は常連っぽい老人ばかりで、二十代も後半、そろそろ社会においては若人とは呼ばれなくなりつつあるラインに足を突っ込み始めている私も、此処においては一番の若者であることは間違いがなかった。若いどころか、最早子供のようなものかもしれない。それくらいに年齢層は高い人しか居ない。ドキドキしながら風呂場に足を踏み入れる。黄色いケロリン洗面器を持って洗い場で体を洗い流そうとした時に事件が起こった。使い方がわからない!!!!!!シャワーのようなものが付いているのだが、ホースがない。頭上に首だけ左右に動かせるそれのレバーを捻ってみれば、出てきたのは水。寒い!ここ、お湯出ないのかな?一応お湯が出る蛇口があるので、洗面器で一旦身体を流す。根気よく一分くらいシャワーを出し続けているとやっとお湯が出た。よかった。ただ、ホースがないので自由にそれを使って身体を洗う事はできないようだ。他の客は常連同士で仲が良いのか、互いに談笑しながら背中を洗いっこていた。途中、何か使い方を間違えたようで常連のおばさんに怒られてしまって完全に萎縮してしまった。源泉掛け流しの湯船は気持ちがいいし、お湯は最高だった。脱衣場に戻ると、先程はおばあちゃんだった番台がおじさんになっていた。ちょっとそれにはショックを受けたけど、まぁ別にこれくらいは仕方ないだろう。そういえば口コミにも、男の人が番台に上がるけどその人にジロジロ見られて嫌だ、なんてことが書いてあった。まぁこれくらいは番台のある昔ながらの銭湯ならよくあることなのかもしれない。
結論として、百年以上の歴史ある昭和のレトロ銭湯は平成生まれの私にとってどうだったかといえば、あくまで一個人の感想としては、「居心地は良くなかった」。レトロというワードになんとなく心躍らせてエモさを感じたくて行った結果として、レトロに打ちのめされてしまったというのが今回のオチだった。その後に立ち寄った駅ナカのタリーズコーヒーの方が余程気楽にゆったり過ごせただなんて皮肉なものだ。
シャワーが見慣れない形状だったから?客層が私以外老人だったから?おばさんに怒られたから?番台が男の人だったから?
それらは全てyesとも言えるしnoとも言える。銭湯を出た私の胸を占めていた感情は、物寂しさだった。
そもそも私達平成生まれにとってのレトロって何だろう。直ぐに思い浮かぶのは、ナンジャタウンのそれっぽく作られた街並みだったり、映画オールウェイズ三丁目の夕日の世界観だ。でもそれって、結局本物じゃないし、ナンジャタウンにいる人々も、三丁目の夕日に出ている俳優さん達も現代の人間だ。だから私にとってそれらは親しみやすく感じたし、憧れすら抱けたのだと今は思う。けれど、本物の昭和の世界に身一つで行けば、当たり前ではあるが、若者は私一人しか居ないのだ。シャワーの使い方すら分からなくて戸惑っているうちに怒られてしまう。それが現実のレトロだった。
上記は、理屈で考えれば当たり前のことかもしれないが、案外私のような、"勘違いしている若者"は多いのではないかとも思う。例えば、都会の喧騒に疲れて、田舎に憧れを抱いた人が、実際に田舎に行ってみて、コンビニはおろか、スーパーやホームセンターが全くない上に、交通の便も悪く、その不便さに耐えられなくなるような現象と近いものがあるだろう。
SNSなどの若者が使うツールでしばしば使われる、老害という言葉があるが、それは現代の若者的価値観から外れた昔的な思想に囚われたままの高齢者に向けて使われることが多い。しかし昔のままずっと時間が止まっているようなあの銭湯においては、寧ろ私のような若者の方が異質な存在であった。
知っているようで知らない世界というものは案外身近に存在していて、そういう異文化を経験できたことはいい勉強になったと思うし、これはこれで素敵な経験だったとも言える。あの銭湯にまた行きたいかと言われれば、それはnoだが。私の推し銭湯は、横浜万葉の湯だ。値段は高いけど、最高。みんなも行こう。
若者の私があの銭湯で感じた「居心地の悪さ」は、私達若者が揶揄するような老人達にとっての現代社会とも言い換えることが出来るのかもしれない。お年寄りには優しくしたい。そんなことを思った2020年秋。