玉葱を切る、シンボルスカを知る。
私は、今に切らんとしてまな板に置かれた玉葱を前に、或る詩を思い浮かべた。20世紀を代表するポーランドの詩人、シンボルスカの「玉葱」である。
シンボルスカは矛盾を詠う詩人である。外側の薄皮から最も奥の芯に至るまで同じ姿を淡々と繰り返す「完璧なまでの愚鈍」さ、そして「矛盾なき存在」としての玉葱を詠い、自己の内部の厭らしさを”名誉”や”栄光”のために覆い隠す人間の姿を炙り出す。まさに、シンボルスカの真骨頂だ。
日々の暮らしに照準を当てて人間存在や世界を問い、時や場所を隔てても色褪せることの無い詩を遺した詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカ。今回は、彼女の作品を特集します。
ヴィスワヴァ・シンボルスカとは?
ヴィスワヴァ・シンボルスカはポーランドの女性詩人・随筆家である。彼女は1923年にポーランドの小村ブニンに生まれ、8歳の時に古都クラクフに居を移した。2012年、病気で亡くなったのもクラクフであった。戦後も、依然として混沌とした状態にあった世界の矛盾や不条理と向き合い、『塩』(1962)、『万が一』(1972)、『橋の上の人々』(1986)、『終わりと始まり』(1993)などの詩集を刊行した。
シンボルスカは詩的業績の比較的少ない詩人であったが、クラクフ文学賞や国家賞、ゲーテ賞など数々の賞を受賞し、遂に1996年にはノーベル文学賞をポーランドの女性詩人として初めて手にすることとなった。このように、彼女は存命中からポーランドで最も偉大な詩人の一人に数えられ、今日に至るまで世界の文学史を語る上でも重要な存在だと考えられてきた。
※画像=肺がんで亡くなったシンボルスカは愛煙家としても知られる。リンク先の画像はノーベル賞授賞式で煙を吐く様子。
哲学的で知的な洞察力に溢れるシンボルスカの詩は、しばしば「ユーモア」「皮肉」「控え目」と特徴づけられるが、確かに、堅苦しすぎず静かであるのは彼女の詩の魅力かもしれない。彼女は詩の中で「人間とは何か?」「世界はどうあるべきか?」「死にゆくこととは?」という問いを見つめる。これらの詩は、劇的というよりはむしろ日常性を思わせ、大仰に説教垂れることもなく、民衆の側に引き寄せて一つ一つ置くように言葉を連ねてゆくのが印象的である。
詩の時代性と普遍性
シンボルスカの詩の特徴としてしばしば指摘されるのが、その普遍性である。
ここで一篇の詩を引用したい。(以下、引用は下記参考資料による。)
「自らへの問い掛け」(1954年)
微笑んだり
手をさしだすということには
どんな意味があるのか?
人が第一印象で心ならずも判断を下すような時
お前の実像というのはそれからほど遠いものなのではないのか?
人間一人一人の扉を
書物をひもとくようにお前は開くのか
活字の上でなく
その形でもなく
ときめきを探しながら?
すべてを確実に読み取っていたのか?
無くしたものを数え立てるかのように——
真剣勝負のところで際どい冗談交じりにのらりくらりと答えてはいなかったのか?
氷のように冷たい世界での
かなうことの無い友情
友情というものは愛のように
共に創り出すものだということを知っているか?
この厳しい困難な現実の中で
あるひとは歩みを止めなかった
だが親友の過ちの中にお前の落ち度はなかったのか?
あるものは泣き言をいい 忠告をした
お前が助けにいく迄に
しかしどれくらい涙を絞ったものか?
千年祭のお祝いのための
共同責任に対し
一分そして涙や しかめ顔を軽んじなかったのか?
お前は他人の努力を
見過ごしたりはしなかったのか?
ガラスのコップがテーブルに載っていたのにお前の不注意な動作のためにそれが落ちるまで気が付かなかったというような
人は他人をそんなにも疎んじていいのだろうか?
これは1954年のものであり、シンボルスカの詩業においては初期の作品に当たる。当時のシンボルスカはポーランド統一労働者党(※註)のメンバーであったため、この時期の作品は社会主義リアリズム思想が強く表れたものとして見做され、各種文学賞受賞の度に物議を醸してきた。
これらの作品の多くは、離党後彼女自身が廃絶してしまっているというが、上に挙げた「自らへの問い掛け」という詩に関しては、そうした背景を差し引いて、70年近くたった今日読み返したとしても、真に迫るような力強さが感じられる。思いやりや他者への愛という、時を経ても変わりはしない”人と人との関係性”を詠った、非常に内省的で哲学的なこの作品は紛れもなく素晴らしいものと言えないだろうか。
(画像は「1950年代~1980年代の典型的なポーランドの様子、国営商店に並ぶ市民」の様子。wikipediaより引用。)
実際、1954年に「自らへの問い掛け」はクラクフ文学賞を受賞している。時に”赤い詩”と呼ばれることもある栄光と悔恨の入り混じったこの詩を読むと、ポーランドという国の複雑さを垣間見ることとなる。しかし、それと同時にシンボルスカの作品における普遍的な響きも受け取ることができるのかもしれない。
※註)冷戦期、ソ連の衛星国であったポーランド人民共和国で一党独裁体制を布いていたスターリン主義的傾向を持つ共産主義政党。1989年議会選挙で「連帯」に敗れ、解散。
シンボルスカの眼差し
50年代のフランス留学を経て、後にシンボルスカは実存主義的な思想へと転向し「個」への眼差しを強めていったが、このことは彼女の詩作にも大きな影響を与えたとされている。特に、文学的な転向後の彼女の作品の中には、『橋の上の人々』(1986年)の「世紀の没落」や「世紀の子供たち」、『終わりと始まり』(1993年)の「終わりと始まり」など現代の私たちにも克明に語りかけるようなものが多く見られる。
いずれにしても、シンボルスカの詩においては哲学的な深い考察が、誰にでも読みやすい言葉選びで紡がれているのが印象的だが、こうした「民衆視点」の世界の捉え方は、彼女が若い頃に叩き込まれた唯物史観が根底にあるからだとの指摘もされている。
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wis%C5%82awa_Szymborska_2009.10.23_(1).jpg)
全く以て個人的な感想に留まるが、シンボルスカは、時に道に落ちては忽ち見えなくなる瞬間の雨粒へ向けるようでいて、時に人工衛星みたいに人類すべてを眺めるような、そんな眼差しを持った不思議な詩人であるように思える。詩の中にふいに現れる真理を突く言葉たちは、どれもテレビカメラには映らない物事、もしくは凡人の視界の外側を描いている。だからこそ、彼女の詩集を読むと、はっとさせられる瞬間が度々訪れるのだ。
おわりに ——素朴な質問を繰り返すこと
最後に、二篇の詩の一部を引用する。(本来は前文を引用すべきであろうが、分量の関係上ご容赦願いたい。)
「世紀の没落」(1986年?)一部抜粋
どのように生きる——だれかが私に手紙で訊いてきた
だれに この同じことを
きいたらよいというのか
このように書いてきたように
またいつもと同じこと
どう生きるかという素朴な質問以上に
緊急な問いというものはない
「詩の好きな人もいる」(1993年?)一部抜粋
詩とは——
ただ詩とは何なのか
この問いに対し
既に多くの納得いかない答がなされてきた
だが、私は依然として解答を出すことができず
それが救いの手すりででもあるかのように
ずっと握りしめている
シンボルスカは、些細な日々の瞬間から”生死”や”人間という存在の在り方”や”世界の捉え方”を見出し、厳しい世界でやさしい言葉を紡いだ。時にユーモラスに、時に難解な表現を以て。そして、「どう生きるのか?」「詩とは何か?」という問いが、囂然たる社会の矛盾に満ちた表皮を剝ぎ取って、いかにも単純な姿で私たちに繰り返し投げ掛けられるのだ。
冒頭で挙げた「玉葱」という詩では、人間とは違って「キュートなお腹」にいかなる矛盾も孕まない玉葱の様子をまるで歌でも歌っているかのように軽快に詠う。美しい「求心的フーガ」を奏でるシンプルな玉葱であることは、人間にとってはあまりに難しいことだ。私たちが見失いがちな、至ってシンプルで最も難しい問いを「ずっと握りしめる」シンボルスカの姿は、玉葱の美しい反復と重なりはしないだろうか?
参考資料
つかだみちこ編・訳『世界現代詩文庫 29 シンボルスカ詩集』、土曜美術社、1999年。(※詩の引用は全て本著による。)
つかだみちこ著『シンボルスカの引き出し ポーランド文化と文学の話』、港の人、2017年。