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終電間際の地下鉄ホームで、冷めたポテトをかみしめていた頃

27歳、一般的に「ほんとうにこのままでいいのか」と自分の人生について考え始める年齢だと言う。私もそうだった。

食いっぱぐれないが、先が見える人生。当時の私にはそれが退屈に思えた。「安定」も、人生を豊かにする大きな要因なのに、なんて生意気な奴だったんだと思う。でも、そういう年頃なのも事実だ。

上京した私は、派遣会社で働いた。業務内容は、BtoBのコールセンターでのオペレーションだった。仕事自体はそんなに難しくないし、職場の上司や同僚にも恵まれた。酒好きの上司に、よく飲みに連れて行ってもらったものだ。こういうときに肝臓が強いことは役に立つ。

私の後に入社した男性が、明らかにゲイだった。
叶姉妹を崇拝し、原色のコートを着こなす彼は、カミングアウトさえしていないながら、隠す様子もなかった。東京には、こんなタイプの人もいるんだなと驚く一方で、自分自身を表現している彼の姿勢がうらやましくも思えた。いや、私は別に叶姉妹の話もしたくなければ、原色のコートを着こなしたいとも思っていなかったのだけど。彼もきっと私のことをゲイだと認識していたと思う。ゲイ同士にはそういう感が働くものなのだ。

派遣会社に慣れてきたころ、「グラフィックデザイナーに、俺はなる!」という上京の目的を果たすべく、DTPが学べるキャリアスクールに通い出した。学費はオリコローンだ。借金が嵩むが、契約書に捺印するまでは夢も大きく膨らんだ。

毎週土曜日、渋谷にある学校に通った。授業自体は、新しいことに触れている自分を感じられるので楽しかったと記憶している。しかし、問題はそこから先にあった。私は、学校に通うこと自体に満足していたのだ。一応、この学校で提供していたコースの最終目標であった「DTP検定」には合格したのだけど、上京という一大決心をした割には、熱心に学ばなかったのだ。

同じクラスに、少し年下の男性がいた。彼は人一倍努力をしていて、課題作品は他の人たちのものより頭一つ抜きん出ていた。

私はといえば、派遣会社に勤めながら、平日の夜はファストフード店でバイトをしていた。ダブルワークというやつだ。体力的には問題なかったが、年下の店長の面接を経て、女子大学生と一緒に働くことにしょうもないプライドを傷つけられて、精神的に少しダメージを受けていた。帰りの電車を待つ地下鉄のホームで、店から持ってきた冷え切ったポテトとコカコーラを夕飯にしていた時期。なんともいえない寂しい気持ちになる。

平日がそんな感じだから、ということを言い訳にして、週末のクラスに備えて努力なんてしなかった。いや、というよりも、そこまでDTPやグラフィックに興味がなかったんだなと今では思える。同じクラスの彼みたいに、なんで私はなれないのか。それは、おまえが考えなしに動いているから。

派遣会社勤務なので、稼ぎも少なかった。
一方で、沖縄時代にこしらえた借金と、上京費用、スクールの学費など、払わなければいけないお金はかさむばかり。給料日にもらったお金を返済に当てて、当月の生活費は借金でまかなうような生活がしばらく続いた。

沖縄のゲイの友人から、東京に住む外国人ゲイを紹介してもらった。上京してしばらくは、彼らの世話になった。知り合いが全くいない土地で、彼らのコミュニティに加われたことは救いになっていたと思う。

彼らはパーティーが好きで、なにかと誰かの部屋に集まっては騒いでいた。私には日本語で話してくれるけど、盛り上がっているときには英語になるような、そんな感じ。人見知りを発揮して最初はなじめなかったが、少しずつ仲良くなれた。

そのグループの中でのロマンスはなかった。珍しくメンバーの一人に呼び出されたと思ったら、セックスの相手として求められていただけ、ということもあったな。はるばる1時間以上かけて彼の部屋まで行って、セックスして、寝るだけ。暗い布団の中で、やるせない気持ちになったことを思い出した。

落ち込むことも多かったが、私は私の「上京物語」を成功させようと、気持ちの上では頑張っていた。行動が伴っていないのが残念だ。DTP検定という弱すぎる武器を片手に、デザイン事務所のようなところに片っ端から面接を受けたけど、箸にも棒にも引っかからなかった。いまなら、どれだけ無謀なことがわかる。27歳で未経験、ろくなポートフォリオも作ってこないやつを雇おうとする物好きはいない。東京はシビアな街である。

わたしにはグラフィックデザイナー以外の軸があった。エンターテインメントだ。エンタメ系の求人情報を探っていくと、たまたまエンタメ系フリーペーパーの編集部員の求人を見つけた。

数々の面接を経て学んだ私は、架空の音楽雑誌の1ページを作り、履歴書と職務経歴書とともに同封して応募した。デザインも記事も自分で手がけた力作だったのが効いたのか、見事採用されたのであった。

そこから、私のライター人生が始まった。


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