眠り
今日、眠らなかった。眠り損ねたといえばそのとおりだし、あえて眠らなかったといっても間違いではない。問題は、今日眠らなかったために、今日私が眠るはずだった眠りがどうなってしまったのかということである。そのことを考えて私は愕然とした。なぜなら、今日眠らなかったぶんの眠りは、一生、というか永遠に眠られることがないからだ。それは、どうしても今日眠られるべきだったのだ。今日が最初で最後のチャンスだったのだ。なのに私は眠りを蔑ろにし、ほとんど見向きさえしなかった。お互いの距離が微妙にぎくしゃくしはじめ、離れようものなら離れるままにまかせておいた。特別、文句を言うわけでもなく、ただそんなものははじめから知らないといったふうに振る舞った。
眠りとともに眠れる人間は幸福である。私には、むろん私自身の責任でもあるのだが、一緒に布団に入る眠りはいないし、いたとしても、気がつくと眠りはいつでも部屋から立ち去ってしまった。私は眠りに向かってこう言うこともできたのだ。「愛している」と。だけどそんな軽薄な言葉は使いたくない。私の知るかぎり、その言葉には何も現状を変える力はないし、私は何かを変える力が欲しいわけでもない。
夜のあいだ、私は眠りがすぐそこにあり、それを私の布団に招き入れるには、私のちょっとした匙加減ひとつなのだということを理解していた。しかし、どうしても私にはそれができなかった。理由はうまく説明できない。ただ、そのときには、べつに一度くらい眠りを逃しても問題ないだろうとしか思っていなかった。
夜が明けると世界は一変した。あの言葉を言わなかったせいで、むしろ現状は大きく変化してしまったのだ。私が眠るはずだった眠りが、もう永遠に(永遠!)、ここへ戻らないという事実に気づいたとき、私は自分の胸に包丁を突き立ててやりたいくらいだった。この部屋から出ていった眠りはもう生涯眠ることはないだろう。私は自分がどうすればよかったのかと自問した。取り返しのつかない事態に追い込まれ、私は冷静に考えることができなかった。動悸がし、息をするのも苦しかった。今すぐにでも、眠りのあとを追いかけて行くべきではないかと思った。今ならまだ間に合うかもしれないと。
でも私はそうしなかった。どうやったって、もう間に合うはずもないことくらい、私にもわかっていたからだ。試しに私は、同僚に、私がまるで今日一睡もしなかった人間に見えるかどうかたずねてみた。今日というのは、昨夜のことなのかと同僚は訊き返した。私は眠りを失ってしまったせいで、昨夜のことなのかどうかわからなかった。たぶんそうだと答えた。
「とくにそんなふうには見えないけど。眠れなかったの」と同僚は言った。
「わからない」と私は言った。眠れなかったわけではないし、眠ろうとしなかったわけでもない。いつもの夜に、変更点がひとつ付け足されただけだ。それはちょっとした匙加減のせいで導入されたシーツの染みのような一点だったわけだけど、その影響は計り知れないほど大きかった。永遠が関わるほど大きな問題に、人生半ばにして出会うとは予期していなかった。
私は鏡に向かって問いかけた。
「あんたは眠りをどうしたかったんだい。いや、そうじゃない。そうじゃなくて、あんた自身がどうしちまったのさ。何か変わったことがあったんじゃないのかい」
鏡のなかの私は何も答えなかった。私は孤独だった。鏡は私の孤独を映し出していた。私は次第に事の本質を見失っていった。
そのあとも私はずっと考えつづけていた。あのとき眠りにもっと接近し、直接的に手を下すべきだったのではないか。いったいどんな手を下すというのだろう。私は自分の空想の先を考えることをためらった。自分がひどく混乱した状態に陥っていることを自覚してはいたが、少なくとも表面上は冷静さを取り繕うことができていたので、誰も私が混乱状態にあるとは思いもしなかった。その後も私は、私のいる場所からどこか私の外部へ向かって出ていってしまった眠りのことばかり考えていた。
突然、私は眠気に誘われ、眠気に襲われたが、眠りに貫かれたわけではなかった。私は憔悴していたが、眠りのほうも憔悴していたに違いない。私たちは、その場にいないこと、その場で対面をし、対話をし、気配を感じることなしに、むしろ不在であることを通じて、同じ憔悴の中にいた。離ればなれになってからもなお、絶対的に離れてしまうことは不可能なのだ。それは私をうんざりさせ、絶対的に離れることはないにもかかわらず、永遠に戻ってこないという矛盾した事実が、私を憂鬱にした。とても面倒なことに巻き込まれたという気がする。
暑さに苛立ち、自分の汗ばんだ身体に苛立って布団を蹴飛ばすように、私は頭の中で、私に覆いかぶさってくるすべての想念を蹴飛ばした。
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