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C100述懐→C101は

13日が台風で荒れて14日が竹箒で荒れたいう話題を抜きにして1ヶ月経って今更どう思ったかということを改めて書いてみる次第。翌週の夏インテととらのあな閉店やらメロンについてはまた別の記事で。述懐というのは辞書を引くと ①現在の思いを書く ②過去の出来事や思いを書く ③恨み言愚痴不満を言うこと、とあるがここでは②を客観的に分析したつもりで書くつもり。


…そんなわけで2019年夏以来になるコミケ参加。その前にまだ辛うじてサークルとして生きてるよという感じで5月のスパコミにも顔を出すには出したけれど様子見という側面は強く。
ただ今回も様子見だった人はいたのではないかと思うし、私も7月の政変というか政変があっても結局未だ国の方向性が変わらないまま…というかオタク票が底上げした形にすらなり、嫌な気持ちを抱えて一時寝込んだまま漫画なんか描いてていいんだろうかとか精神的に踏ん切りがつかなく。(でも結局漫画を描くのが仕事みたいな生き方をしているからギリギリの精神状態に鞭打って本らしいものは新刊として出来た次第)
…結果としてこの夏は亡父の後片付けが3年近くかかって漸く終わった気がした5月からさらに一歩進んだ様子見になっただけという未だ助走期間のような感じだったが、結論から言って今回もまた様子見でよかったというのが本音である。というより本格始動するにも戻るに戻れないというか、戻ったとしても規模を今までの数千部とか刷ってた時代からしたら明らかに減らさないといけないという状態になっていて完全に浦島状態というかなんというか。出戻りに当たるのか活動自体続けてはいたがコロナで期間中様子見をしていて戻ってきたのかやや線引きがややこしい私ではあるが、その目から見た感想ということで前置きしておきたい。

…写真では割と人が多いように見えるが何故か。これは午前7時50分くらいの2日目の様子。駅前の広場にも座り込んで屯している人がところどころ隙間はあれどそこかしこ埋め尽くしていて、駅を出た瞬間の混み具合なども割と2019年の光景に近かったように思う。
この櫓橋を登った右手が新しく出来た南ホールでそこが企業だと聞いたような覚えがあるが、そこに柵を張り巡らせて何か何時もと違うような雰囲気はあった。…いわゆる5000円払って並んでいる一般参加者様といったところではないかと思う。勿論サークルも11200円くらいトータルで支払っての参加なのでお客様ではなく参加者なら応分の負担はあるべき論も分からなくはないわけだが…このご時世に5000円は日本国内においては結構な価値を持つしその5000円分島中に落とすお金が減っているのは説明するまでもない。とまあ、スタートラインから何時もとは違ったわけだ。そして並んでいた大半のお目当ては…ここから先は割愛するところである。

一言で言えばコロナ前と世界観や価値観が変わり、あるいは多様化して分散しすぎ、かつコロナ前に比べて著しく懐事情が悪くなったから人がたくさんいるように見えても以前のような水準のコミケには戻れなかったのではないかと直球で言ってしまう。そしてこのアーリーチケット。全然世界が変わってしまった。
まあそれにも関わらずまず参加したという点で全員今回は褒められるべきだと思う。何せ私の中ではもうコロナ後だが人によってはまだコロナ禍でこんなところに1分でもいたら感染する!というヒステリックな状況はまだ終わってないからだ。(食べてるものさえ抗酸化作用があるものを意図的にチョイスして負けない体を作っていれば感染すらしないし体内に入ろうが弾き飛ばせられたということはまた別の記事で)

普通こんなことはオブラートに包んでただ「楽しかったですよ よかったですよ」ともろ手を上げて報告すべきなのだけれど、こんなことで嘘ついて人を騙したって何にもならない。人が回復しているにも関わらず頒布する側の意見や状況として極めて悪く厳しい状況だというのが現場を見てきた私の感想というところ。もっと言えばまだ5月の赤ブーのほうが島中まで人が巡っていたかとすら錯覚した次第。

今総じてジャンル越えをするような大きなブームがないともいえる。まあ小粒ではあるのかもしれないがカテゴリー内でのブームはあると思う(ジャンプ系ならこれ、とかゲーム系ならこれ、みたいな)。
今回件の他ジャンルの通行などに盛大に迷惑をかけたと指さされてやまない当該ジャンルでスペースを取っていたこともあり、ジャンル全体に人が居なすぎるとかジャンル自体が著しく凋落したとかそういうわけでもなく。数年経ったよくあるジャンルにしてはまだ持ってるというか、寧ろそのやらかし具合みたいな事件がある種の起爆剤としてこれでも恩恵はあったほうかもしれない。
が、まあ、そこだけロックオンして力尽きたとかそこしか目当てではなかったとかいうのは省いておいても、そもそも何時もコミケに来ていたような人が来ない問題というのがあった気がする。そしていつも来ていなかった人が来ていたような気がする。つまりどういうことかというと、コロナ禍を経て、サークルも一般参加者も割と広範囲な一部が新陳代謝をしたのではないかということです。

コミケというのはどういうわけか昔からこの時期にしか現れない人で構成されている感覚があった。憚らず言うのであれば、一体普段はどこに住んでいていつ下界に降りてきたんだというようなタイプがぱっと見ただけで判別できるレベルで続々とやって来るという独特の雰囲気…ごく普通の一般人から見れば危険なタイプも中にはいるかもしれない、を醸し出した人が。平等に法の下で表現をできるといった感覚は晴海撤退の頃中学生くらいだった自分としてはそういった記憶をコミケはこういうものだった的に引き継いでいる。
絵の進化とともにオタクも大分容姿向上したようには感じるし一見オタクだと分からないような人もいるが、やっぱりなんか自己中すぎるとかズレてる発言やコミュ障みたいなのがやたらと多くて、そんな言動や行動を目の当たりにするたび逆に安心するというのが個人的にはあるのだが…
平たく言えば、変な人が多くて会場には変な人が多すぎたからこっちが変でもまだまだ上には上がいるから大丈夫だみたいな変な安堵感と共に毎回なんらかの事件が起きてたのも否定はしない(し大抵は些細なことと時間が経つにつれ特におかしなことではないといった闇に静かに葬り去られていった)。
そういえば、そんないわゆる明らかに見るからにヤバい人というのを、見かけなくなったかもしれない。あの人たちは今回来なかったのか。引きこもりのまま更に引きこもったが引きこもるうちに件の病にでもなったか。まあすごい体格とかでしたからね…毎回10人以上見かけるわけだが、それが一切いなかった。ある意味風物詩ではあったが、どこか物足りない感はありました。

新陳代謝が行われたように見えるのは例えば3年ぶりに帰ってきた自分もそうだけれど(頭が薄ピンク色とか普通に私も昔に比べて変わったところはある)、コロナ前とコロナ後とで考え方や目的が微妙に変わってしまい全く別人別サークルのように見える説。再燃組などもそれに近いが、全く新しいように思える帰還の仕方で別の形態になったサークルに思えるというのは結構あったかもしれない。

私の例で言えばまず成人向けが描けなくなった。コロナ直前で父親がコロナとは関係ない理由で亡くなったのもあるが、人は人の死を経ると大抵は何か自分の中で変わるものが出てくる。コロナで家族を失ったけれどコミケ参加してますとかになるとかなり上級者だとは思うけれど、心折れてそのまま参加をやめてしまった人はいるかもしれない。
もしそういうものをこの期間中に経た人がいたなら、再び参加する頃には自分でも前の自分とは違うという感覚を持つのではないだろうか。何故なら創作という行為は生み出す一方であり、死は限りなく全てを無にする真逆に位置するからである…から中々創作に手がつかなくなるのではないだろうか。また生み出せばいい?そんな簡単な話じゃないんだよ生み出すってのは。(私の場合は予告なく天から神が突然降りてきて無意識に描かせる感じの生み出し方なのだが)

そんな感じでブランクがありコロナ禍中にオンライン活動はあまりせずそのままオフラインの一時筆を置いた人もいるだろうし、フェードアウトした人もいたのではないかと思うけれど、3年前あるいはそれより前の昔と同じように活動がなぜかできず復帰したものの何故か迷走しているような感じで作風ごと変わったなんて人、は少なからずいるのではないだろうか。

女性向けの場合は(ジャンルの消費速度も近年やたら早いこともあって)大きな流行がないからと言われてているが、そう毎回大きな流行があってたまるかというのがじっくり腰据えてやりたいタイプの本音。今くらいバックボーンが安定してて数年経ったジャンルに長々と居れているのは手の遅い描き手からしたら助かるのだけれど、まあそうなると購入者とかは毎回決まってジャンル回遊してる同じ人、なんていうのもなくはない話。
小粒的な大流行も女性向けでは半年よくて1年くらいしか持たないし、こんな大量消費社会滅んだらいいのにと思っていたら、全然違う意味でコロナ禍でそこかしこのジャンルが以前より人来ない問題的に滅びかけている。元々コミケに申し込む女性向けは減る方向にあったけれど、もしかしたら来週のインテでは違うかもしれないなどとそれはそれと思いながらも、私の場合はガチなBLではなくNLや全年齢を行き来してたまに女顔受なBL描いてるみたいなタイプだから結果として10年近くコミケがなんだかんだと比較にならない部数出ていた。これはBLで取ろうがNL出そうがあまり大きな差はなく比率で言えば変わらないというのが本当のところ。強いて言えば全年齢が一番出たと言えばそう。なので最近は全年齢に向いてるタイプなんだなと何処に出しても表紙からして恥ずかしくないものを心がけているつもりですが…

いつもの何かが音を立てて滅んだ。…滅んだというよりは次世代や再燃が現れ、その逆に今まで惰性で何となくあーこの時期コミケだから行くか出すかみたいな層が、どうやらもれなくごっそり姿を消したような気配がしてならない。そのくらいの落ち込みが酷かった。当然それを見越して大幅に絞ったり再び様子見をしたというのはあるわけだがそれで丁度か少し余るくらいにまでは落ち込んだ。コミケってそういうものだったか?これは8割以上の参加者が感じたことではないかと思う。

まあどこまでこの直感が当たってるかはわからないけれど、コミケがあるなら行くかみたいな中で様子見を含むコロナ後も辛うじてサークルや一般として残ったタイプと、昔のコミケは知ってるけど今はよくわからんみたいな層と、全然コミケ知らないけど行きます!あのサークルだけ!、みたいな3タイプが適度に混じった感じの比率でのC100だったのではないかなという感じ。
…言ってみれば人口的にも主力購買層である40越えくらいの毎回参加してたみたいなタイプが家庭の事情などを顧みるなどしてごっそり抜けてしまったような感覚があるわけです。

…とはいえ丸ごと40代あるいはアラフォーがいなくなったかというと元々数が多すぎる関係でそれがせいぜい半減した…くらいなわけで。半減でこれだけダメージがあるのかとかいうより見渡せばやっぱりアラフォー以上だなみたいなサークルはゴロゴロいたわけだし、他の世代も当然半減はしているはずだし、少ないはずの若年層ほどネットでいいや赤ブーでいいや通販売り切れちゃったんですか〜はわわ再販ポチ!(でも買わない)みたいな層になっているとは思う。
失礼ながら一般やスタッフでも髪がないとか真っ白とかザラにいて、身体を張ってコミケに来ている方々もかなりたくさんお見受けしたような。来てる人は来る。それは分かっている。何処かのインタビューでも利益が出なくてもそこにコミケがあるなら疑うことなく参加するもの的に四国から来ているとかもありましたが。でも。

こうして考えると同じ参加するでも採算に合わないとコスパの面で考える人から脱落しているような気はひしひしとしたというか。何よりも今までの通常入場時間に参加するだけで2000円でパンフも自由に見られないような状態だと。最早貧乏人はお断りの世界になりすぎていないかと。コミケってそういうものでしたっけ?何かが違う。絶対何かがおかしい。

逆に言えば純粋に昔のように採算度外視でやる同人活動に戻りそうな気配も感じるわけで。しかしそれでも参加するにはかなり敷居が高くなったような。
ある意味拡大や営利すぎたものが元あるところまで縮小し、営利を考えるのは壁に天下りした売れない商業作家や公式やピン(オリジナル)ではイマイチみたいな作家が陣取って店を開く場、というハッキリとした二極化になるんだろうなと。そういう未来はわかるけれども。こんなに一般が参加しにくい状況作ってどうしたいのか。
…最悪、また晴海のA館みたいな、大手だけ20サークル集めましたみたいなことが有明の南ホール全部使用とかで隔離されて開催されるところまで戻るんではないだろうか。辛うじてそれを知ってる世代だけれど、コミケが全館使用をビッグサイトから強要されて今まで以上に参加費が必要だなんていうことになって参加費が下げられない&一般参加者からも参加費を取るというなら、(そこだけを目当てに早朝から高い金額払って並ぶ一般がいるなら)大手だけ参加費を10倍くらいに上げてそこだけ集めて隔離し営利追求を認める手厚い(?)施策をしないと、アマチュアの表現活動の場であったはずのコミケがもう意味を成さないのではないのかとすら思ってしまうのだけれど…
まあそれで南ホールから東ホールのアマチュアに人が流れてこないのが実験で分かればそもそもある一定以上の大手は逆に混乱を招くということで落選させるしかないのかもしれないなと。

…しかしそれだと今回のようにメロンブックスが泡吹いて倒れるようだし、何か解決策はないものか…というのを、今日先程C101スタッフ募集のツイートが流れてきて。…本格的に時代が変わったなと。
今までは確かスタッフになれば青封筒とかいう暗黙の了解で絶対落選しないプラチナサークルチケットが確約されていて我先にと応募をかけずとも有志のようにしてスタッフ応募があったはずですが…
今回のことで色々あって、スタッフも集まりにくい状況になったのは正直大丈夫なのかと危惧しかねないというか。スタッフが集められず頑なに外注せず全館使用必須ならそのうちコミケも2日どころか1日になって抽選率がまた高くなるのかもしれないとか、そんなことをふと思った次第。10月から物価も再び上がる見込みで為替相場含め経済状況も決していいとは言えない中、更に落ちるところまで落ちるのかそれとも何かの間違いや抑止力があって突然V字回復するのか。

とまあ、困惑をかなり含んだ今回の述懐でした。

ならこの先どうしたらいいのか。やっぱりオンラインで細々とやるしかないのか。そもそも公式のガイドラインが厳しくなりオリジナルが台頭してきた最近の世の中では最早二次創作自体が価値観として時代遅れなのか。ファン活動がなければ公式も潤わないのはわかってて黙認しているからファンアートもあるわけで、そこにかけた膨大な制作時間があるのに無断転載とか平然とされる世の中で著作権があるにも関わらず中学生くらいのキッズに踏み躙られるような事件もおきているというのに。意味がないことなのかと。…自問自答すらしてしまうわけだけれど。

大事なのは最後。1円にならなくても今やってるそれを続けたいのかそうでないのか。全ての閉塞した状況を打ち砕いていくのがただ「好きかどうか」という気持ちであって、売れなくても本という形にしたいかどうか、続けたいのかとかそういう話になってくるわけで。
我々描き手は日々どっかから稼いできた小銭でなんとか印刷代を出せば今では10部から刷れる時代だから11部目からは電子書籍やファンボックスでどうぞ!と言えるが。

コミケは準備会もコミケを存続させたいというなら、あくまで営利でない、コミケにお客様はいないと言い張る上で金がないというなら。
今回のように消費税のように広く負担を求めて一人当たりが苦しくなり負担金のせいで参加を見送るとか本を買う量を減らすといった事態になるようなことを避けて、累進課税的に大手から売上分相応に求めるかクラウドファンディングで有志義援金を募って会場運営費を作り上げた方がいいのではないだろうか。


…まあ、色々考えてみましたが少子化も食い止められないしコミケは危険が伴うから全館使用必須と東京都に言われているみたいですが、あまりにもこの先この体制では無理が出てくるのではないかと思うので…まずはボランティアなり有志でやっててこれだけ大きなお金が動いているのだからもういい加減決算を公表したほうがいいんじゃないでしょうか。お金を取ることばかり考えず無駄な部分はカットするなり外部から監査を入れるなりしてそれで必要なら一般参加者からも負担をとしたほうがいいような。これで次のコミケが中止してもいいように企業でもないのに企業の真似して内部留保いっぱいしてますとか言われたらおそらくみんなそっぽ向いてしまう気がする。そうならないように次の秋の代表選とやらでは内部を改革をしてほしいと1ミリくらい願っています。あまり期待はしてないんですが、一応。コミケがなくなったら変な喪失感が出てくる気もするので…

まあしかし万策尽きて滅ぶ時にはあっさりと滅ぶのかもしれませんが。


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