大事にしていることの探り合い
4年ぶりにあった友達。
前は毎日一緒にいて、一緒に笑って、一緒に過ごして、誰よりも時間を共にしていた友達としばらく疎遠になっていた。
久しぶりに再会した友達は、もちろんあの頃のまま優しかった。
私も友達もそれぞれの人生があってその中の一瞬の道のりを共にした。そこではある意味似た価値観に共鳴し、分かち合っていたことが多かった。けれど今回久しぶりに会って、あの頃の友達はもういなかった。あの頃の私ももういなかった。話は思い出話で盛り上がるけれど全て記憶の中での私たちでしかなかった。
どんな風に世界を見ているのかとても気になった。はじめてではないけれど、はじめましてと言った方がしっくりくる心地がした。
久しぶりに会った私たちは、お互いの状況を話した。その中には、深い世界の見方が隠されている。私は、違いをはっきりと感じた。
当たり前だけど不思議だった。
友達は友達の人生があり、私は私の人生がある。かつて共にした時間は、その時、一期一会で共鳴し、その場を共にするかの選択と偶然のような方向性の共振によって形作られた世界であると感じた。
誰であっても。誰かや何かと共にあるとき、そこにははじめに、大事にしていることの探り合いが存在している。そして、自分とその人の人生が重なるときはじめて、時間を共にできることが分かった。
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