別れの選択権はいつも私

先日、彼氏とお別れした。

別れは一本の電話だった。切り出したのはわたしだ。

「別れてほしい」と伝えたとき、彼は「別れたくない」と言った。

別れまでが急すぎて追いつかない、ものの数か月前までは仲良く出かけていたのに、と。

確かにね、と自分でも笑いたくなってしまった。それでも、私の中には別れる以外の選択肢はとっくになかった。


どうしてだろう。いつも自分の中で決着をつけてしまう。

話し合いは、自分ではしているつもりだけど、相手の中では話し合いなんてできていない、って思っているだろう。

この年齢になるまでなんとなく恋愛を続けるうちに、相手を長く愛することができなくなっている気がする。


「この人に捨てられたら私は終わりだ」と思って、必死にしがみついた恋があった。

彼は、私の道標であり、私に対して厳しいのは、私が歩むべき道から外れることを阻止するためなんだ、と思っていた。

「男は信用してはならない、男友達なんてありえない」ってずっと言われていた。

ちょっと友達と会えば、「浮気した?」と聞いてくるような人だった。今考えるとモラハラだなと思う。

でも、結局彼自身が浮気をしていた。知らない女の人と手をつないでいるところを目撃した。

現場を目撃した後、彼がこれまで私に対して放っていた言葉がすべて、塵屑のように思えた。私のための言葉ではなく、彼自身が優位に立つための言葉だったんだな、と思った。

浮気を目撃した後話し合ったが、彼が浮気を認めることはなく、浮気と疑う私がおかしいと言われた。

でも、そのおかげで私は彼と別れることができた。

「この人に捨てられたら終わり」は幻想で、彼は私のことを何一つわかっていなかった。別れた後も、私の人生は終わりを迎えなかった。


たった一人にのめりこむのが恋愛であるならば、私は恋愛なんてしたくない。

別れ話をしたとき、彼は泣いていた。今まで、私が振ってきた人はみんな泣いていた。

それでも、私は自分の気持ちを大切にして進みたい。

彼らなりに改善する余地はあるのだと思う。そんなすぐに決着をつけなくてもいいだろう、と思われているに違いない。

でも、私なりに考えた末の結論だ。私はわたしを大事にしたい。自分の気持ちを大事にしたい。

それでも、今、心が物悲しいのはなんでだろう。

愛せなくてごめんね、と思っているのはなぜだろう。

「自分が絶対正しい、そういう風に話すよね」と別れ話の時に言われた。

自分が絶対正しいなんて、そんなこと思うはずがない。

今でも、この選択で正しかったのだろうか。今までの選択も正しかったと言えるのだろうか。ずっと悩んでいるのだから。

物悲しさは、私の中の懺悔が生み出しているのかもしれない。

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