突然ですが、あなたには守ってくれるモノや勇気付けられるモノはありますか?
家族、恋人、仲間、家、仕事、お金、法律、社会、地位や権威、過去の思い出、概念、夢、思想、などなど
人それぞれ様々な事があると思います。
では
あなたは何に支配されていますか?
こう尋ねられた時、上に挙げたものと同じ物を答えてしまう事ってないですか?
この違いは何なのか
それは「感謝を伝えているかどうか」ではないでしょうか
物事を分離して考えた時、感謝以外の感情を感じるのであれば、あなたは支配されていると言っていいでしょう。
例えば慣れや楽、不安、怯え、疎ましさ、執着、未練など。
そしていつか支配者側に返り咲きたいと腰眈々と狙っているかもしれない。
こう言われたらあまり良い感覚はしないですよね
これは過去の私の話ですww
私は自立したいと思いながらも、なかなか動けず、悶々とした日々を送っていました。
そもそも
「自立」とは立派な事ではあるのでしょうが何やら大変そうな…辛そうな…
自立したから何?とでも言うような…
なんやよく分からんが、とにかく立派な人間になるとでも言うような…
っていうか、
楽する事、安定を望む事はそんなにいけないの?って気持ちが払拭されず、日々悶々とした感覚だけがのこる。そんな感じでした。
そこで辞書で引いてみると
【自立: 自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。】と。
……。
支配⁉︎
支配されるのは嫌だ!!
では支配者に……ってそれもなんや分からんが嫌だな!
と感じました。
では
私は「何に支配されているか」を自問自答してみる事に。
すると、
楽や安定を「維持」しようとすると自ずと「支配」する、されるといった感覚に落ちていく。
そこにどんな違いがあるのか…
それが「感謝の念」があるかないかという事に辿り着きました。
感謝はもちろんしている……
けど…でも…だけど…となってしまう汗
このような時、大切なのは「分離して考えること」だと知りました。
例えるなら、
産み育ててくれた親の「存在」には無条件で感謝します。
しかし、親の「思想」に言いなりになって生きるのには嫌悪する。
愛おしい記憶を残してくれた別れた恋人の「存在」には感謝する。
しかし、悶々とした日々を送らざる得なくなる「未練や執着」には疎ましさを感じる。
などのように。
そして課題の分離と繋がる。
自分の課題か
他者の課題か
私が考えるのは自分の課題だけでいい
それをちゃんと伝える
他者の目線になるとたちまち自分が「支配」されていく感覚に落ちていく
嫌われるかどうか、受け入れてくれるかどうか恐るのは分かる。
しかしながら「嫌うか、受け入れるかどうか」は他者の課題で、私には関係ない
分離して考えると、「守られている」「勇気付けられている」ものに対して、明らかに感謝以外の感情を感じると「支配」が存在する。
この支配する、されるモノからは早急に手放した方がよいのだろう
でも手放すにしても反発し、乗り越え、上書きしていけばいいのかって、、
それでは争いが生まれるだけ。
では、どうすれば………
私のたどり着いた答え。
それは「権力争いの座から降りる事」
それが私の「自立」でした。
そしてもっともっと
権力争いの座から降りるなら
「私は自分の意思すらも私に支配はさせない」
そもそも
「自立したい!」って自分の意思に支配され、そして今は「決して支配する事も、される事にも下らない!!」って意思に「支配」されている。
自立??
しなくたっていいし、出来てしまっても構わないじゃない
支配??
したって、されたっていいんじゃないの?
でも、しなくてもされなくてもいいじゃない。
つまりは……
何も深く考えず、「今」やりたい事を「今」勇気を持って選択し続ける事。
私にとって支配とは
手足の自由を奪われ、餌を与えられたら食い、何もかもも支持され、己を無くして卑しく生きる…
ような物
そこまでして私は生きたくない。
究極に今、私は自由なんだ。って感覚
コレが自立への第一歩
そして唯一の救いとして言えるのは
支配されるのも、支配するのも「自分で選べる」ってこと。
「私は権力争いの座から降りる」
そう宣言するだけでも何かきっと変わるものはあるのだと知った気づきでした。