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いま、45歳を超えて考える、大学受験とその後のキャリアの関係について

共通テストが近いそうで。

どんな結果であっても大丈夫

とだけ言いいたいです。

若かりし頃、つまりセンター試験だった頃、思いっきり国語しくじったワタクシでも第一志望ではないものの国公立入れたから。そのあと海外大学院進学もできたから。まず入ってそこからじーっくり考えればいい

ということで、キャリアコンサルタントのときに学んだ理論と自分の経験を踏まえ、大学受験をどうとらえればいいか、考えてみようと思います。


キャリアってどう考える?

故クルンボルツ博士はスタンフォードの教授。キャリアにおいて

「計画的偶発性理論」

つーのを言い出しました。

キャリアなんてぇのは偶然に計画されているという偶然と計画という矛盾したことを言っている

この理論は調べた結果、8割方の人がキャリアは偶然に左右されていた、というモノ。一方、計画性というのはその偶然を起こすために計画的に努力と行動をするということなんだそうだ。

偶然を起こすのは努力と行動
努力と行動は計画的になる
だから計画的に偶然が起こる

という話だったと思う。
(キャリアコンサルタントの試験なんてだいぶ前に受けたから理論忘れちゃった)

事実、周りに「なんでその職業になったの?」ときくと「たまたま誰々に誘われて」、とか「たまたま親がこういう職業で」とか「たまたま見たパンフレットの学校に行ったからこの職業」みたいな感じだったりする事が多いと思いませんか?

ワタクシ的キャリア論

言いたいのは

まず試験を乗り切って早いとこ先にすすめばいいじゃん

キャリアの方向って漠然と自分の心のなかで決まっていて
それを大事にしつつ

偶然を計画的に発生させればいいじゃない

ということ

自分を振り返って考える

自分が受験生のときはこんなに勉強しなきゃいけないの?とおもってうんざりしていたのは事実。今思えば大変だったけど、それも過ぎて日本やアメリカの学校で学んで、その後、色々キャリアを積んできたワタクシ。

今振り返ると、確かに学生の頃、20代、30代はシッチャカメッチャカ行動したけど、そのシッチャカメッチャカを頼もしく思ってくれる存在というのも世の中にいたりする。努力をしている人、もしくは不器用だけど一生懸命な人に対して手を差し伸べる人は一定数います。

今考えれば、その手を差し伸べてくれる人との出会いは、偶然とも言えるし、偶然を計画的に発生させたとも言える。一生懸命やっていて、なんとかしたくて、モガいていた頃の出会いはかけがえのないものなのです。

そしてその手を差し伸べてくれる人から影響を受けてキャリアが決まってくるということも多々あったなぁ、なんて思います。

ワタクシのキャリアの中で大きな影響を受けたのは最初の会社とコンサル。

最初の会社は全くそれまでの人生とはつながりのない会社。いわゆる、夢にも思っていなかった業界、といえばいいと思います。
だけど、就職活動中で、モガイていたワタクシが、偶然紹介され、手を差し伸べてくれた上司や会社の方たちに見守られながら、社会人として一歩を踏み出しました。

その頃の上司にはいい面も悪い面ももらったけど、そのマネジメントスタイルや交渉の考え方は自分の仕事の根底にあるように思います。そのおかげもあってコンサルを志望して、コンサルティングファームに入社したりもしました。

今思えば計画的に努力していたから起こる偶然

そもそも、第一志望じゃない大学に行ったことや、海外で、英語がもう本当にわからなくて、毎日フラフラになりながら勉強したことで、結局自分はお勉強できないんだ、とクサっていたらそこで進まなくなる。

その場所で計画的に努力していたから偶然が起こり、今がある。つまり「計画的に偶然を起こしていたんじゃないか」と自分を振り返っても思うわけです。

言いたいこと

だから、どんな結果であっても大丈夫。そこからいいスパイラルを起こせばいいじゃないか、と思うのです。
むしろそこまで努力した自分に胸を張って、そこから計画的な努力と行動をしていけば、次が開けるのではないかと思います。

さもさりながら直近のこの課題

まずは受験をクリアしましょっか。

受験をクリアしたならば
シローの店にいかなくちゃ

シャントリもよろしく


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