自己紹介note ~ ワタクシの経験してきた事 ~
シローの店 の代表が 自己紹介 します
ワタクシ、コシロー(代表取締役)の自己紹介をしたいと思います。とっちらかっているので、あまり胸を張れたもんではありませんが、どんなやつか、一応。
家庭
父はシローの店会長のシロー。母は京都出身の専業主婦で現在折り紙のエキスパート。
そこそこ厳しい家庭に育っています。
一方で傍らにはシローの店という会社が常にあったのも感じていたり、いつの間にか入社スタッフがワタクシより年下になっていたりと、時とともに感じ方もかわっていったりしていました。
総じて、変な方向にはいかずのほほんと育ちました。
ちなみに嫁は某大手会社のOL。
学校
仙台では珍しく、私立の小中高です。中高は仙台の元祖男子中高一貫教育の私立(もう男子校じゃなくなった)。その後、そのままその中高からエスカレーターで大学に行く道もあったのですが、そうしないで推薦を蹴り、国立に行きました。大学卒業後はもうちょっと勉強したいなーってことで、今度はアメリカの大学院に行きました。
アメリカ で 留学 と 仕事 をした 経験
アメリカでの経験はさすがに強烈で、一度日本という国から出るのはありだよなぁ、と思うことが多かったです。
日本の常識は海外の常識ではないんだ、という当たり前で理解しながらも、腹に落ちていないことをたくさん経験して、価値観を変えた事がたくさんあります。
もちろん、大学院に行ったのでむちゃくちゃ勉強しました。言葉の壁がなかなか辛かった。最初に英語でペーパー4枚書けと言われたときのうんざり感。そのうんざり感もなくなるもっとひどいのがペーパー20枚。もう泣きそうでした。
でも、周りの日本人や助けてくれるアメリカ人の友達のお陰でなんとかこなしました。多分一生分勉強したような、もうお腹いっぱい、勉強もういい、って気がするぐらい勉強して、卒業。
卒業後、アメリカで就職をしています。
仕事の経歴をざっくりと
最初の就職
実はアメリカで最初の就職をしています。アメリカ中西部にある日系の自動車部品メーカーです。入社したときはすごく小さな会社で、親にもそんな会社でいいのか?と言われたりもしました。だけど、ワタクシはそこが良かった。
会社は小さいし、作っているものも小さいし、給料は良くもなく悪くもなく、でした。休みだってそんな多くない。だけど他に決め手がありました。
その決め手は、今から伸びる感じがしたし、今はちょぼちょぼの給料かもしれないけれど、小さい会社だから様々な仕事をこなし、色々経験ができる、と考えたからです。さらに、その経験は後々大きな武器として役に立つだろう、と先のことも考えたからです。
なによりも、その時の上司がしっかりしていたので、この人から色々学ぼう、とおもって入ったところもあります。もちろんしっかり仕事をしてアウトプットもだしてきました。
最初の会社では良くも悪くも多くの事を学んでしまい、いい面も悪い面ももらってしまった感じがしています(苦笑)
ちなみにその会社はワタクシが在籍していた数年で大きな工場に移転。小さいものを作る大きな会社になりました。
転職1回目
アメリカに長くいすぎた、と感じたのは、在米10年目。
そろそろ帰って日本という、しってるけど知らない国に戻ろうか、とおもっていたら、リーマンショックが起こってしまいました。転職活動はアメリカから日本への転職ということもあいまって難航。
そんな中、運良く東京のある会社に転職。でも、ちょっと窮屈な感じのする会社でもあったのでそんなに長い期間在籍せず、すぐ転職することに。
転職2回目
その次に入ったところは大手コンサルティングファーム。多くのコンサルファームが多分そうですが、「自分のことは自分で考えて決める」という裁量の大きい会社でした。
いわゆる自分の何が売りなのかをしっかり把握しておかないと仕事にならないところでした。自分のことは自分で考えてやる。できていそうで、できないことに気付く事になりました。案外と指示待ちだったり指示されることが多かったんだな、と過去を振り返る事が多かった時期でもあります。自律しないとなぁ、と思った次第です。
ここまでの仕事で身につけた、仕事の進め方、マインドの持ち方、考え方
アメリカでもビジネスの進め方は教わりましたが、それ以上にコンサルタントの方たちは仕事をいかに効率的にかつ品質高くこなすか、ということに長けていました。周りがいわゆる「できる人」ばっかりだったからその時期に仕事の仕方や進め方、マインドの持ち方、何よりも考え方をしっかり身につけた、と思います。
コンサルにいた頃に「考える」ってこういうことなんだ!と分かってきました。それまで「考えているようで実は考えてない」仕事の仕方をしていたなぁ、なんて振り返る事が多かったです。
ある意味このコンサル経験というのは大きなパラダイムシフトでもありました。世間が言うコンサルタントのイメージが実際なってみると、なるほど「コンサルっちゅぅのはこうなんだな」と思う事が多かったです。
仙台に帰ろっかな、って
そうこうしているうちに仙台に戻ろうかな、と。
いろいろ渡り歩いてきたけど、やっぱり地元に戻りたいなぁ、なんて思い始めたころでした。
仙台に戻る決断
仙台に戻ってなにするのか。
そもそも、父の会社、いわゆるこのシローの店がどうなっているのかもちょっと気になっていたし、最後には仙台に帰りたいと思っていたところもあります。
実は仙台に戻ると言うのは簡単な決断ではなく、それで1年ぐらい悩んでいました。大手の事業会社からも魅力的な話を頂いたりしていたので戻る理由はあまりなかった当時。ですが、盆暮れに仙台に戻り、友達と飲んでみるとみんな仕事をしていて、家業を継いだり所長になったりと頼もしかった。
孤軍奮闘だったアメリカや東京ではなく助けてくれる友達がいる仙台で仕事をしたら、面白い仕事ができそう、と思ったのが一つあります。
事実、現在いろいろな同級生、先輩、後輩に支えられて仕事をしているところもあり、決して悪い決断ではなかったと思います。
美容業界への転職
関係ない業界の経験を持った人間が家業を継ぐ。よくネットとかで出ますが、そこそこ大変です。
そもそも美容と縁遠い世界にいたのでトリートメントとコンディショナーと違いをあまりしらない状態で入ってきたのが最初。ほぼ知識なく、トリートメントもさらにコンディショナーもどれも一緒だべ!と思っていた状態でした。
そこからなんとか知識を少しずつ足していくことでキャッチアップしていきました。
具体的には美容商材の営業さんと話をしたり、その導入臨店講習にもしっかり顔を出したりして理論を学ぶ。
その際に前職で叩き込まれた、予めテーマがわかっていればアポの日時前に徹底的に勉強してから講習やミーティングに望む。そして構造化して理解する、というのが今の仕事の一つになっています。
結構大変そうなことをしているように見えますが、キャッチアップするにはそうしないとだめだったから。今はこういうことの積み重ねか、不勉強なメーカーやディーラーの営業は、話をしているとわかっちゃうようになりました。
前職の経験と今
大手のコンサルティングの会社にいた、という前職の経験は決して無駄ではなかったと思っています。というのも、仕事をしっかり早くこなすということや考えるということの癖付けは非常に有効で、やっぱり考えながら仕事をしないとだめなんだなぁ、と、ここでもよく思うようになりました。
他にはPC操作の習熟度も大きいのかもしれません。マウスに触らないで仕事をすることを叩き込まれたので、そういったところでもワタクシは操作が無茶苦茶早いらしい。あんま気にしていないんですけどね。
んで今は?
昔ほどガリガリ仕事をしていませんが、やっぱり大変は大変。やること多くて目が回ることもあるけれど、なんだか充実しているよなぁ、と思うことが多いです。
長々と書きましたが、とっちらかった経歴なので、今やっと一つにまとまりつつあるかな、というところです。気長にやっていければいいなぁ、と思っています。
仙台の美容室ヘアサロンはシローの店へ
シローの店にいかなくちゃ!
コシローJ
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