短歌を作ってまでして承認欲求を満たしたいお話。
雑踏の 中に顔見す ツツジの香 少し夏ある 心地こそすれ
こんにちは。GW真っ只中ですね。その割には実感はありませんけど。
GWと言えば、非常に思い出深い花がありまして。それが上の短歌で詠んだ「ツツジ」なんですよね。
僕の母親の実家である祖父母宅が、広島県呉市倉橋町ってところにあるんですよ。幼い頃から毎年、GWにはそこに里帰りみたいなことをするのが恒例でした。
そして、僕の実家がある広島県呉市の中心部から倉橋に行くためには、音戸大橋という大きな赤い橋を通る必要があるんですよね。そこにめっちゃツツジが咲いてるんですよね。
※Googleの画像検索で「音戸大橋 ツツジ」で調べたらこんな感じ。著作権とかややこしいことはわからないので…気になる人はぜひご覧ください。
ね、綺麗でしょ?祖父母の家に行ける喜び、そこでいとこと遊べるワクワク感、春とは違うけど夏でもないあの絶妙な気候、そして音戸大橋特有の螺旋道路の気持ち悪さ。そんなのを毎年経験してたんです。
だからこそ、GWといえば「ツツジ」なんですよ。そして、そんな幼少期からの思い出をぎゅっと込めたのが、冒頭の短歌、
雑踏の 中に顔見す ツツジの香 少し夏ある 心地こそすれ
なんですよ(ツツジは春の季語らしいですが細かいことは気にしないで笑)
京都でも、百万遍のツツジが綺麗に咲いています。最近この季節に音戸大橋を訪れることは叶っていませんが、コロナ禍の中でも変わらず咲き誇っていると思います。
さて、そんなGWのウキウキ感満載の気候とは裏腹に、最近の僕はどうも元気がありません。
原因はわかってます。これまで他人と関わり、喋り、笑い、泣くことで精神の安寧を維持していた僕に、圧倒的に「他人との関わり」が欠乏しているわけです。
それはすなわち、「僕はここにいてもいいんだ」「ここなら誰かいてくれるんだ」っていう「安らげる場所」を喪失するようなものなのです。もっと簡単にいえば「承認欲求」が満たされてないんですよね。満たしてくれる人が急に身の回りから消えてしまった。
だからしょんぼりしています。
もちろん「承認欲求」という4文字では言い表せない、もっと人間としての根本的な生の欲求にも関係しているとは思うのですが、とにかく、自分の身の置き所を失っている感があります。
だからこそ、noteにその場所を求めたのかもしれないですし、だからこそ短歌を作ってみるのかもしれません。
てことで(?)、皆さんもぜひ「少し夏ある 心地こそすれ」を下の句においた短歌を作ってみてください。そしたらちょっとは、僕も、人との繋がりを感じられて、元気になれるかもなんで。
※コラム「どう森のブーケが可愛いお話」
ガチ恋。可愛すぎる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?