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「豊葦原千五百秋瑞穂国」(東大五月祭弁論大会)
はじめに
「みなさんこんにちは!」
この言い回し、実は農水杯でも使っていたんですよね。演台にのぼって挨拶もせずに急に話し出すのは失礼だろうと思って入れた文章でしたが、後述する憧れの弁士も使っていたようで偶然の一致に胸を躍らせたことを思い出します。今では彼と気軽に話すことが出来るようになりましたが、農水杯当時は緊張で目も合わせられなかったんですね。恋かってね。
うーん。とはいっても、実は潜在的意識が働いていて都合よく偶然だと解釈しているのかもしれません。いやはや人間とは、ご都合な生き物ですね。
さて、今回の第一高等学校・東京大学弁論部さん主催「第17回 五月祭記念弁論大会(以下五月杯)」。私は弁士として演台に立ちました。
五月杯は新歓にて弁論部に入部を希望した新入生が「はじめて」外部の弁論大会を見る機会です。これも後述しますが、私も去年の五月杯に影響を受けて弁論部に入部して新弁の演台に立っていますから、良くも悪くもこの大会が新入生における「弁論」の価値基準になり、今後の弁論生活に大きな影響を与えます。つまり、この大会の弁士はそれ相応のレベルが求められます。
私は4/1付けで幹事長(代表)になることが決まっていましたし、在籍1年目後期より続けてきた広報担当に加えて新歓担当も決まっていましたから、5/13の五月杯に出せるだけのクォリティを担保できる時間が確保できるか分かりませんでした。その為、出場するべきか本当に迷いました。しかし、私は在籍2年目ですが学年は3年。残された時間は多くありません。
憧れの弁士を仰ぎ見た演台に私は立つことにしました。
時間がないとは言ったものの、決して敗北の言い訳にしたいわけではありません。耕作放棄地への問題意識は割と以前から持っていましたし、今回のプランには自信があったので入賞を逃したことは完全な実力不足です。
ただ、導入で聴衆を掴んだとも思いましたし、プランへの自信もありましたから、入賞できなかったことは私の弁論観を大きく揺るがせました。
今回のnoteは、自身の反省を整理するために書くものです。
そんなこんなでひとまず実際に大会に出した原稿を掲載します。
(一部改変あり)
原稿
豊葦原千五百秋瑞穂国
導入①▷
みなさんこんにちは!
國學院大學辯論部の~と申します!
各大学の新入生の皆さん、弁論部へようこそ。
今日の五月杯、おそらく多くの新入生が弁論大会を初めて見る機会なのではないでしょうか。
かくいう私も、丁度一年前のこの「五月杯」にて皆さんと同じように初めて弁論大会を観戦しました。
んー正直めんどうくさくて行きたくなかったんです。前日からなんて言い訳して休もうかなぁと考えていましたが、なかなかいい言い訳が浮かばずしぶしぶ会場に向かいました。
最初は、「野次が怖いし質疑も怖いし、やっぱり弁論って怖いなぁ」と思いながら弁論観戦をしていましたが、観戦を続けていくうちに弁論構成の美しさに加え、レトリックの緻密さ、演台に立ち大勢の前でも委縮しない弁士の堂々たる立ち姿に目が離せなくなりました。特に、ある~大学の弁士に猛烈な憧れを抱いた私は「弁論」というものに惚れこむと同時に「私も彼と同じようにあの演台に立ちたい」と思うようになりました。
そして一年たった今、憧れの人と同じ大会の演台に立てています。
新入生の皆さん、この大会は一年を通しても非常にレベルの高い大会です。皆さんも去年の私のように、気になる弁士をみつけて「あぁ、あの人のような弁論がしたいなぁ」と思ってくれたらといいなあと思います。私がその中の一人になれたら、とても嬉しいです。
導入②▷
最初に紹介した通り、私は國學院大學の神道文化学部に通っています。大學では、神社にて神職として神明に奉仕するために、作法のお稽古や勉学に励んでいます。
日本の神話において、この国は「豊葦原千五百秋瑞穂国」と美称されます。豊葦原千五百秋瑞穂国とは、葦が生い茂り千年万年と末永く穀物が豊かに実る国という意味です。
神話の神を祀る神社では今でもお供え物として、国産の野菜や魚や稲穂を神前に供えます。神職は、豊かな恵みへの感謝を礎に神明に奉仕します。私も未熟ながら、神社にて恵みの感謝の祈りを胸に奉仕していると、強く思うのです。ああこの国の希望は、農林水産業だと。
国土の育む大いなる恵みを受けて繫栄してきた日本という国。しかし、現在日本の食料自給率は38%にとどまります。昨今、ウクライナへのロシア侵攻で小麦の値段が上昇するなど安全保障としての食料自給率にも注目が集まる中、日本では「死にかけの農地」が多くあることをご存じでしょうか。
豊かな農業を育む「農地」。豊葦原千五百秋瑞穂国を体現する「農地」。が死にかけている現状は決して看過できません。
お米がおいしい!新鮮な野菜がおいしい!私はもっとこの国の農業を元気にしたい!
本弁論では、「死にかけの農地」である「耕作放棄地」に焦点をあて、「豊葦原千五百秋瑞穂国の農地」について論ずるものであります。
分析①▷
人間が生きていく上で「食べる」という行為は必要不可欠です。人間の営みは食べ物によって支えられています。食べ物の多くが農業によって農地から供給されていることにご存じでしょう。
そんな農地は「農地法」という法律によって守られています。農地法によって、農地は「農業をする」以外の使い方ができないほか、貸し借りや売買が強く制限されています。
それでは先ほどから度々登場している「耕作放棄地」とは一体どういうものでしょうか。耕作放棄地とは、農業の統計において「以前耕作していた土地で、過去一年以上作物を作付けせず、しかもこの数年の間に再び作付けする考えのない耕地」とされる土地のことです。令和2年の調査では42万haの耕作放棄地があるとされています。これは東京ドーム約9万個分の大きさです。
耕作放棄地は全国的に増加しており、農水省によると、耕作放棄地の発生原因としては「高齢化等による労働不足」や「相続によって非農家が取得」などの理由があげられています。
問題提示①▷
そんな増加をしている耕作放棄地ですが、大きく3点の問題点があります。
まず一番大きな問題が、収穫量の減少です。
農水省の調査によると、令和4年度の水稲収穫量平均は10アールあたり536kgでした。これを耕作放棄地に当てはめると2万2500tになります。なかなかピンとこないですよね。マツコ・デラックスがおよそ150kgなのでマツコ・デラックス15万人分だと思ってくれれば想像がつきやすいでしょうか。収穫量は天候や土壌などにも左右されるのでこの例は非常に極端な例ではありますが、本来農地として収穫が期待される沢山の収穫物が生産されていない現状が分かっていただけたでしょうか。
2つ目の理由が病害虫の温床になってしまうこと、3つ目の理由が野生鳥獣の住処になってしまうことです。この2点の問題は、近くの農家に実害を与えます。農作物の病気感染や野生鳥獣の農地荒らしだけでなく、人間への病気感染や鳥獣とのエンカウントのリスクも上がります。
耕作放棄地は、その土地がだめになるだけではなく、近くの農地も浸蝕していくのです。実際、耕作放棄地が一つ出現するだけで、近くの農地が耕作放棄地になりやすい傾向があることが分かっています。
分析②▷
そんな大きな問題を、国も指をくわえて見ているわけではありません。2013年に「農地中間管理事業の推進に関する法律(通称農地バンク法)」という法律を整備し、各都道府県に農地バンクを設置しました。
農地バンクとは、耕作放棄地をはじめとする農地を集め、貸し借りを仲介する都道府県の第三セクタ―として整備されたものです。簡単に表すとすれば、農地を貸したい人と借りたい人の公的マッチングアプリのようなものです。農地の貸し借りを農地バンクが仲介することにより、農地を貸しやすくしました。
農地バンクの大きな目的としては、「耕作放棄地対策」「農地の集約化」があげられます。
農地バンクによって耕作放棄地を現在耕作している農家や新規の農業参入者に貸すことで、耕作放棄地を農地に戻すことができます。
また、農地バンクは耕作放棄地だけではなく、ばらばらの農地をバンク上に集めて区画を整備し、より効率よく農業ができるように再分配することができます。
ちょっとわかりにくいですね。詳しく説明します。
例えば横並びの土地にABABABという農地があったとします。土地が分かれていると、耕作するのが大変です。これを農地バンクに登録して再分配することによって、AAABBBという風に農地を整理することが出来ます。これは顕著な例ですが、同じ区画に農地を集めれば、より大きく効率的な耕作が期待できるのです。
問題提示②▷
そんな農地バンクですが、問題点もあります。一番の問題点としては農地を集めきれていないことです。令和3年度の調査では、432万5千haを誇る全国の耕作地に対してバンクへの登録は34万3千ha程度にとどまります。割合にすれば7.9%です。これでは、耕作放棄地への対処をしているそばから耕作放棄地が増加してしまいます。
実際、農地バンクによって解消した耕作放棄地より新たに出現する耕作放棄地が多く、全体としては耕作放棄地が増加している現状があります。
回収▷
農地を登録し、集めて貸し出す農地バンクの仕組みはなんとなく理解できたでしょうか。
農地バンクは耕作放棄地の解消に効果的なものの、現状の制度では耕作放棄地を解消しきれていません。
解決策提示▷
うーん、せっかく良いシステムなのに生かし切れていないのは勿体ないですよね。
このままの勢いで耕作放棄地が増えていったら、私が焼鮭と一緒においしいコシヒカリをほおばることも、神社に野菜をお供えすることもできなくなってしまうかもしれません。さすがに極端な例ですが、皆さんの食卓から国産農産物が徐々に減少してゆく可能性はあるでしょう。なんとしても耕作放棄地の増加を止めねばなりません。
そこで次の政策を提案したいと思います。
すべての、日本のすべての農地に対して、各都道府県の農地バンクへの登録を義務化することです。
解決策分析▷
詳しく説明していきます。
まずここで言うすべての農地とは、現在も耕作されている農地を含めすべての農地を差します。
農地の状態はおよそ3つ想定できます。
1つ。「自分の所有している農地で耕作をしている場合」
この場合、制度上は所有者が農地バンクに土地を貸し、農地バンクからその土地を借り耕作するという形を取ります。しかし実際農地に何か変化があるわけではありません。所有も耕作も同じなので支払いの発生や所有権が取られると言ったこともありません。ただ、耕作のリタイアや相続によって耕作されなくなった場合には他の耕作者に転貸することができ耕作放棄地は発生しなくなります。
2つ。「所有者が耕作者に貸している場合」
この場合、所有者と耕作者を変更せずに貸し借りの仲介に農地バンクが存在するようにし、耕作をリタイアした場合にはバンクが他の利用者に転貸できるようにします。
3つ。「耕作をされていない土地」
これには耕作放棄地と耕作放棄地未満の土地が含まれます。現状の制度設計では耕作放棄地には対応できても耕作放棄地になりそうな土地についてはまったく対応ができていません。全農地登録義務化で、耕作放棄地になる前の土地もきちんと農地として利用する道筋をつけてゆく必要があります。
農地は一回農地でなくしてしまうと再び農地に戻すのに途方もない時間がかかります。そう、まさに耕作放棄地は「死にかけの農地」なのです。
なんとしてもこの農地を復活させて、農業を振興していく必要があります。
結び▷
「我が皇御孫命は豊葦原水穂国を安國と平けく知ろし食せと事依さし奉りき」
大祓詞という祝詞にはこのような一節があります。意味としては、「神々が、天照大神の孫にあたる瓊瓊杵尊に対して、豊葦原の瑞穂の国を安らかで平和な国として治めなさい」と伝えたというものです。この国の国土は、豊かな自然と温かく優しい人々を育みます。
豊葦原千五百秋瑞穂国として、特にその豊かな農業の実りを絶やさないこと、「死にかけの農地」がなくなることを望み、安らかで平和な国の実現を願います。
ご清聴ありがとうございました。(4064)
原稿分析
それでは各パートごとに原稿背景解説とか分析とかをしていこうかなと思います。
・導入①
正直今回の弁論大会はこの導入が全ての理念でした。
私は現在3年ですが、1年次には新歓がなく弁論部には入れませんでした。大學2年次に弁論部への入部をしたので、弁論部では2年生になります。
そのため、昨年の五月杯は弁論部新入生として見学しました。
そんな五月杯で私は、ある弁士の弁論に惚れこんだのです。
新聞を流し読みをしたり、テレビのニュースを見るのが好きだったので政治には多少なりの興味がありました。そのため弁士の弁論している分野には多少知見はあったので弁論初観戦ながらスッと入ってきたのです。論理構成の美しさは素晴らしかった。論旨が一貫していた。声調態度に質疑応答の誠実さも素晴らしかった。特に、政策プランの双方向へのメリット提示(その弁論においては税を徴収する側と納める側だったが)がとてつもなくきれいだった。彼は演台で輝いていた。
根暗なのに目立ちたがり屋な性格の僕が、インテリなあの演台にあこがれるのは必然だったのかもしれません。
彼の弁論を聴いた後に改めて打診された(前々から出ないかとは言われていた)新弁への出場依頼を興奮冷めやらぬ顔で了承したことは今でもよく覚えています。
まって、こんな情的な文章ばっか書いていたらウン千文字を超えていつになっても終わりませんよ私。
まあなにはともあれ五月杯に出たかったのは、その憧れの人と同じ演台に立つことが私の弁論部人生における一番の目標だったためです。そのため、本来なら蛇足になってしまうこの部分で600文字弱を使いました。本当は1000文字近くあったのですが削りました。部内ではまだまだ削った方がいいという声もありましたが、ここは私がこの大会に出場する理念だったので断固として譲れませんでした。
まあ、つまるところ私の「気持ちいい」ところだったんですね。いろいろな人に講評を頂きましたが、この導入①をほめてくれる人は多かったです。ただ、ここから割と堅い農業の話に飛んでいくと、その落差がマイナスイメージを与えたことも少なかったようです。
結果、私の弁論で「弁論がしたい」と思った新入生はいたのでしょうか。
それが気になって気になって、登下校の電車の中でしか眠れません。
・導入②
このままのペースだとウン千文字になってしまいそうなのでスピーディーに行きます。
私は神道文化学部で神社の神主になる為の勉強をしています。神社では「神饌」を神前に供えます。野菜や魚など。私は元々農林水産業に興味はありましたが、親戚に農家が多いと言っても所詮私は東京都住み。なかなか農林水産業に触れる機会は多くありませんし、なかなか自分から触れようとしにくいジャンルでした。しかし、神社でこうして自然の恵みをお供えし感謝を祈っているとふと疑問に思ったんです。「恵みがどうやって供給されているか見たこともないのに私は自然に感謝を祈れているのだろうか?」と。
気になりだしたら止まらないのがサガです。
早速、瀬戸内海に繰り出し果樹栽培や漁を見てきました。また、養殖産業やジビエ産業も見てきました。実際現地に行ってみると、第一次産業がいかに窮地に立たされているかを知りました。私たちが当たり前のように食卓で食べている食材は当たり前ではなかったのです。神前への感謝の祈りに深みが増したと思います。
この導入②パートは神社関係の話だったので、初稿では専門用語飛び出しまくりでした。深夜の自己校正にて、いかにわかりやすく伝えるかを非常に重視しました。
深夜の校正、大好きなんですよね。界隈の人はそんな人が多いような気がします。こんなにも夜型の多い世界はなかなか見つかりません。居心地がいいです。
通常、導入パートはひと枠しかありません。
導入パートが2つもある弁論というのは中々珍しいと思います。
ある人から頂いた講評では、「だらだらとしゃべりすぎ」と言われてしまいました。実際、およそ4000文字がベースの12分弁論で、1/4をしめる1000文字以上が導入でしたから、ながながしゃべっているように聞こえたのでしょう。ただ、どうしても譲れないところだったんですね。
弁論において弁士の「どうしても譲れない」って結構大事な要素だと思っています。それがないと詰めで簡単に理念や論理がぶれてしまいますからね。
今回は農林水産業の「農業」における「耕作放棄地」に焦点を当てました。
豊葦原千五百秋瑞穂国は農国土を体現する言葉です。そんな農地(国土)が正常に利用できていない点に問題意識を覚えたのが出発点でした。
・分析①
農地は「農地法」という法律によって守られています。
この農地法、なかなか法律がつよくあまりテコ入れがされません。
日本の農地政策は、農地法をベースに後付け法律で補強をしていくようなかたちになっています。私が「農地法の改正」という政策プランをたてなかったのはこれが理由です。後述する政策はかなりぶっ飛んでいて実現可能性を問題視されましたが、あれよりも農地法の改正の実現可能性がないなと思ったのです。
・問題提示①
そういえば今回、弁論の書き方を変えたんです。
今までだったら
「分析」→「分析」→「問題提示」→「解決策提示」
の流れが私の中で割とデフォルトだったのですが、今回は
「分析①」→「問題提示①」→「分析②」→「問題提示②」→「回収」→「解決策」
という流れを取りました。私自身も整理して話しやすいですし、聴衆も聞きやすいだろうと考えたのです。
問題提示①は今回の問題パートのひとつでした。
一番は、農業の深刻さを聴衆に共有できなかったことです。
農業の深刻さを共有しようと、割とわかりやすくマツコ・デラックスさんで例えたのですが、明らかな逆効果でした。
また、水稲の例示はどう考えても極端で、恣意的な情報提示に見られかねません。私の弁論では「さすがに極端な例ですが」という断り文句ははいっているものの、できれば使わない方がいい表現だったなと思っています。
なんとか農業の深刻さを共有しようと変に空回りしてしまったパートであることは間違いありません。
・分析②
農地バンクの紹介も非常に難しかったです。
耕作放棄地を消そうとするメリットに絞って論述すれば聴衆理解はしやすかったでしょうが、農地バンクにおける農地集約化の意味と意義は絶対に伝えねばなりません。
ABABABの例示をしている際に、「なるほど~」や「なかなかいい政策だそれ」みたいな野次が聞こえてきてやっぱり入れてよかったなと思いました。
ただ問題もありました。農地バンクの素晴らしいところは何といってもその集約に「所有」を必要としない事でした。
農地バンクの立ち位置は、農地の貸し借りを仲介する三セクにとどまります。つまり、農地を完全に買い取って分配するような口分田のような仕組みではなく、あくまで耕作する権利だけを集めるものであったのです。農地は農地法によって、耕作することが必要とされています。
この説明を校正の段階で切り捨ててしまったのです。
毎度のことですが、初稿は6000-7000程度の大文章。多くの仲間を切り捨ててしまいました。
この場合明らかな切り捨てミスでした。
・問題提起②
農地バンクの明らかな問題は、土地が少なすぎることです。
実は、現在耕作している人からすれば農地バンクへの登録はあまりメリットはないんですよね。バンクのメリットは既存ではなく未来を向いているんです。その為、能動的な登録を待っている現状では一向にこの政策の目的は達成されないのではないかと思ったのです。
新たな耕作放棄地の出現も問題です。必死に放棄地対策をしているそばから放棄地が出現し、全体としては増傾向にあります。
・解決策提示
「日本のすべての農地に対して、各都道府県の農地バンクへの登録を義務化する」
我ながらなかなか思い切った上に、新規性のある政策だなと思いましたし今でもそう思っています。今は中々農地政策が議論されていませんが、あと一歩踏み込んで農地政策が進んだら実現されるんじゃないかというくらい実現可能性もあるのではないでしょうか。
特に、自分で農地を持っていて、自分で耕作している場合の制度上の「貸し借り」状態は我ながら非常にきれいで素晴らしい政策だと思っています。
説得性という意味では、「①自分の土地で耕作している人」「②借りた土地で耕作している人」「③耕作されていない土地」の3つにカテゴリー分けして、①には現状に対するメリットはないけど、②と③に対しては現状に対するメリットがあって、全てにおいて未来へのメリットはあると説明したのも我ながら誠実だったと思います。早口で聞こえにくいのは反省点でしたが・・・。
また、農地は固定資産税がほぼかからなかったりと税制面での非常に大きな優遇を受けています。その分大きな制限(農地法による農行利用限定制限など)を受けています。農地バンクへの登録義務化はその制限の一つとして適用できるのではと思ったのです。
戦後GHQの占領政策で、地主制の解体と小作人への農地の格安販売が行われ、日本の農地は小作に所有が移りました。日本の農政は小作を独立させ小中農家をメインに農業を行ってもらう政策に寄っていました。
しかし、2013年の農地法一部改正から大きく農政が動きました。農業の効率化・大規模化を目指す指針が出たのです。これは、民主党政権化における農政からの脱を目標とするものでもありました。そんな農政の一環として「農地バンク」という制度も整備されたのです。
「小規模・数で勝負」から「大規模・効率化」に農政が転換したのは分かっていただけたでしょうか。
ここで現在の農政を見てみましょう。
現在は「大規模・効率化」に舵を切りつつも、まだ小規模農家への配慮も大きく(農家の数はおおいので選挙対策として小規模農家にデメリットな政策は打ちにくいとかいう話もある)なんだかどっちつかずな政策になっています。だったらもう、現在農政が目指している「大規模・効率化」にシフトするべきだ!とするのが、今回の政策案なのです。
特に、農地バンクの「所有」を奪わないシステムは非常に画期的です。小規模農家の最低限の権利は維持しつつ、「大規模・効率化」農地運用への道筋が見えることは非常に先進的だと思うのです。
私個人としては、小規模農家によって培われた美しい農村の景観や、収穫などに与する伝統儀礼・伝統文化を残してゆく必要は大いにあると思っています。でも、現在農政が「大規模・効率化」をして農業振興を目指すならばその舵切りを切り抜く勇気も必要だと考えたのです。
質疑応答でも申しましたが、完全に小規模農家を消しさろうとは言っていません。大規模効率化できるところとできないところの棲み分けをしつつ分配を決めるのは農地バンクの仕事です。中山間部の比較的効率耕作がしにくい農地は中小農家に優先的に貸し出し、大規模効率化しやすい農地は大きな農家や参入企業に優先的に分配するなどの分類分けを想定していました。
うーん。こんだけウン千文字で説明しても説明しきれません。
完全にテーマの選定ミスなのは確かです。4000文字に収まらない。
原稿分析総括
最初に申し上げた通り、今回の弁論の一番の理念は「導入①」でした。そして、今回の弁論テーマである「耕作放棄地」は本来今年の農水杯に出す予定の弁論でした。新歓であり得ないほど多くの新入生が入ってきてくれたことを踏まえ、リベンジで出ようと思っていた農水杯への出場を新入生に譲ることにしたのです。
神明奉仕で感じた農林水産業への想いは、私の中で非常につよく「訴えたい」というものでした。
言いたい理念と理念がぶつかっているこの原稿は非常に特殊です。故に、聴衆に聞きにくさを与えました。特に、4000文字マックスで書いても説明しずらい農地バンクの分析・政策を導入1000ある弁論構成で持ってくるべきではなかった。
ある講評にて「言いたいことにとらわれ過ぎていて、きちんとした分析ができていない」と詰めの甘さを指摘されました。
また、「耳当たりのいい言い回しよりも、きちんと分析と政策分析を丁寧に詳しく弁論にすれば面白さは後からついてくるんだよ」という言葉も頂きました。
私は新弁で3位、農水で特別賞、部内で準優勝に加え、外部の政策立案コンテストでの優勝経験など、弁論部に入部してから今まで「賞を取ったことない」大会がありませんでした。
今になって俯瞰してみると、そんな連続入賞に過度に囚われ、焦りが弁論に見えていると感じる部分がありました。明らかに蛇足な聴衆へのウケ狙いのレトリックがその一つです。明らかなウケ狙いが本来のメインである弁論の論理的構成を邪魔している部分が非常に多かったのです。
今回連続入賞が途切れたことによって、ある意味入賞プレッシャーから脱すれたともいえます。
弁論観や私がなぜ演台に立つのかを踏まえて、また演台に立てる日があると信じて頑張ろうと思います。
おわりに
日本の第一次産業はどんどんどんどん衰退の一途をたどっています。
従事者が減っているという問題はどの産業においても少子高齢化社会と結びつきます。相対的な人口が減るなら今までと同じ人間の「頭数」に頼る仕組みはなかなか展望が見えなくなっていきます。どの産業においても、少数で今までと同じかそれ以上の生産量を担保するための「効率化」が求められていると思うのです。
よく弁論作成において、「「技術革新」を望む解決策の切り口は書けない。」という声を聴きます。そのとおりです。不明確な技術革新を弁論の解決策として持ってくることは弁論自体に大きな不確実性を与えます。
しかし、過去を見直したうえで既存の課題にアプローチをかける解決策提示には限界があります。つまるところ、「技術革新を望むうえでの周辺環境の整備」というアプローチなら弁論構成においてもある程度の確実性を産みます。
今回の弁論では、具体的な効率化には言及しませんでした(質疑応答において効率化の具体例への多少の言及はあったものの)。農業技術の発展により、様々な効率化の方策が取られて行くことは想像できます。その際に、その地盤である「農地」に効率化の基盤が弱いことに対してのアプローチでした。
まあ何が言いたいかというと、よく言われるような「技術革新を望む政策」「教育万能政策」のように弁論の解決策提示として利用されにくい政策も少し目線を変えてみると論理の通った政策になりうるということです。
結局10000字を越えてしまいました。ここまで読んでくれた人は何人いるでしょうか。
私の弁論が、だれかの弁論人生にポジティヴな影響を与えることが出来ていたらいいなぁと思います。
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最後の最後に、本弁論にて言及させていただきました憧れの弁士に加え、私を弁論界に引きずり込んでくれた去年の五月杯の弁士たち。
また、今回弁論大会にて競り合った今年の五月杯弁士たち。
そしてなんといっても、弁論の詰めを手伝ってくれた弊部同期や後輩諸君に感謝を伝えたいと思います。
それではまたどこかの大会で!